富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2005-10-29

十月廿九日(土)曇。Z嬢と尖沙咀の中港城の埠頭から午前八時半のフェリーで広東省の江門(Jiang Men)に向かう。目的地は広域では「江門」だが、その「開平」というところ。かなり旧式のフェリーで僅かHK$50高く払い一等にしたのはまだ正解。いくつかの座席の横にゴミ箱がついている。便利なようで自分だけでなく周囲の客もゴミを入れると思うと不快。二時間半の船旅で持参の新聞も四紙熟読。自民党憲法草案までじっくり読む時間がある。マカオでフェリーはマカオ旧市街とタイパ島を結ぶ海峡を抜け珠江下流のデルタにある河と呼ぶにはあまりに幅広い河を遡る。この河も珠江の河口の一つだと思っているが地図で見ると中流広東省の肇慶市があり上流は広西壮族自治区から貴州に至り、珠江とはまた別の大河。肇慶の先では西江と呼ばれているが広西自治区では郁江、さらに上流では紅水と、いくつも名前がある。河口から遡ること80分ほどで江門の波止場に到着。かなり整備はされているが付近には何もない、市街からはだいぶ離れているらしい開発地区のようなところに波止場があり、波止場を出るとタクシーだの白タク、バイクの客引きが五月蝿く、さてどうやって開平に向かおうかと案じていると市街各地に向かう無料のシャトルバスあることがわかり「これは便利」と職員に「開平行き」を尋ねるがフェリーから百名を越える客が降りたのに開平に向かうのは我ら二人だけ。開平はそんな田舎のはずもないが、と案じたが、「新会」という、これも広域では江門だが一つの大きな町に向かうバスがあるので、とりあえずそれに乗り新会で乗り換えろ、と言われる。今回の旅の問題は香港で、この江門についていろいろ調べるがロクな、というか観光案内の書物も結局一冊も見当たらず、珠海だ中山だ、と言えば誰でもよく知っているが江門は中山から一つ西の都市であるのに誰も知らない。唯一、A氏がむかし広域では江門だが沿海の台山に工場誘致の話があり視察した、がお粗末な魚肉加工の工場で投資にならず断念、という話を聞いたのみ。詳細な地図もなければ江門のどこに波止場がありフェリーが着くのか、開平がどれだけ離れているのか、もよく見当もつかず。そもそも、この旅の発端は四ヶ月ほど前のSCMP紙に(広東省の旅行案内が数ヶ月に一度、別冊付録であるのだが)江門の特集があったこと。そのなかで紹介されている開平の僅かな情報が頼り。とりあえず新会行きのマイクロバスに押し込まれ三十分ほど走り新会の市街に着く。江門の郊外都市だがこれだって規模はかなりの都市。その華僑大廈の前でバスを降りるが、当然、我ら二人のために此処から開平行きの継続バスが用意されている筈もない。バスの運転手に聞くと少し離れたところから開平方面に行く「長距離」バスが出ている、と言われ「長距離」にぞっとするがバスは面倒だし「このタクシーで行けばよろし」と勧められるが、どうもこのタクシーが江門の波止場からの連絡で待っていたようでさっさと余の荷物をトランクに入れる。タクシーに乗り込み、とにかくメーターを動かしたので値段交渉の難がないだけでも安心。距離がわからないのだから値段交渉もできぬ。がZ嬢が「あのメーター、基本料金が0だ」と言う。見てみれば確かにメーターは倒したが「空車」のサインが倒れただけで料金は0(笑)。つまり値段交渉せねばならぬ。で運転手曰く180元。冗談じゃない。高いから降りる、と言うがタクシー会社の規定では250元のところ180元にしているのだ、と運転手は言い張り無線で会社に問い合わせて250元と無線の向こうの職員が言う。それも信じる気にもなれぬが150元で妥協。とにかく早く開平に着かねば。で埃っぽいバイパスだの国道を走る。手許にあるかなり大まかな地図で新会から開平まで20kmくらいか、と予想していたが料金は0のままのメーターの距離表示は動いていて開平市に入ったところで既に30km。国道沿いに浴室関係の水まわりや内装関係の展示場、問屋などがかなり目立つ。開平市内にようやく入るが新会の運転手は、予約したホテル「潭江半島酒店」というホテルが何処かわからない。何度も通りがかりの者や信号で止まった隣の車の運転手に問い合せ、市街中心部を流れる川を何度も渡りホテルを探す。開平は蒼江と潭江という川が交わる水域、そのいくつかの中洲を中心に出来た街。そのため市街をぐるぐる回ると蒼江と潭江の橋をいくつも渡ることになる。ホテルの住所が中銀路2号というくらいだから市街の中心にある中国銀行開平分行のビルを目指していけばいいのでは?と提案して、ようやく遠くに聳え立つビルが中国銀行だとわかり、また橋をいくつも渡ってようやく到着。結局、メーターでは60kmで市街で迷った分を差し引いても新会から55km。一応、基準としてあるタクシー料金が初乗り6元で250m毎にいくら、というので計算するとメーターでも110元ほど。それほど「ぼったくり」でない。タクシーの運転手が「5星だ、5星」と興奮してホテルに入っていくので見上げると確かに30階建てくらいの高層ビル。潭江の中洲の突端に中国銀行のビルとツインタワーになっている。大型ホテルらしく正面には万国旗がはためく。「日の丸がない」とZ嬢。本当にこれだけ並んでいても日の丸がない。小泉三世の所為。ホテルはとんでもない豪華さ。ホテル経営は広州の白天鵝酒店の管理会社が受け持っている、と宣伝するくらいだから客の接待のレベルなど香港のホテルに学んでもらいたいほど丁重、慇懃。27階の、かなり見晴らしのいい部屋。浴室もいれると45平米くらいの広さ。これで一泊480元はかなりお得。眼下には潭江と支流が流れ込む一帯を見下ろし絶景。旅荷を置いて、部屋に置いてある、と言われた開平の地図を眺める。タクシーでぐるりと周り地図を見て客室の窓から外を眺め、ひとまず開平の町のつくりが把握できた。ショックだったのは、この地図を見ると、なんと香港から開平に直行のフェリーがあること! SCMP紙の江門特集でも開平を紹介していながらフェリーは江門しか書いてなかった。不覚。開平のフェリー波止場は市街の外れ。これがあるのだから江門港で降りて開平に来る客がいるはずない、と今になって納得。ただし香港〜開平のフェリーは1日1往復。片道4時間も要するのはマカオを過ぎるまでは江門行きと一緒だが、どうやら珠江デルタではなく潭江を遡るのに江門行きより沿海をずっとまわるため距離を要するためらしい。同じ朝8時半の香港発で4時間であるから開平着は午後12時半。ホテルに着く時間では江門経由も同じだがタクシー代を考えると当然、江門経由は高くついた。しかし明日の帰路は開平発のフェリーは午後1時半で、これでは明日は午前中のみ。江門発は午後5時なのでせめて午後まで時間が使えるだけ江門経由でよかったか、と無理やりの納得。昼も一時近いので昼食を兼ねて市街を散歩しよう、と外出。だがこの中銀タワーのある場所は一つの中洲であるが、他の一帯がかなり古くからの市街であるのに比べ、ここはこの中銀タワーとその背後にかなり高級そうな一戸建て住宅などが並ぶ新しい開発区で、場所的には不便。というか、此処に来る客の足は自動車、が前提。たかだか昼飯にタクシー使う気になれず、取りあえず歩き始め一番近くの橋から「風采堂」のある対岸に渡る。風采堂は1914年に建設された地元の教育施設。清の時代までなら科挙の試験受ける学生を対象にした高等教育機関のようなもの。華南の、当時、西洋建築の影響をかなり受けた「嶺南建築」と呼ばれる様式で西洋風の洋館の至るところに中華的な意匠が施されている。この建造物、実は現在も中学校敷地内にあり図書館などとして風采堂の一部が利用されている。土曜の午後もまだ授業あり。勉学熱心。かなりエリート校らしく賢そうな女学生に尋ねると敷地内に入って見学できる、と言う。それで入って見学していると、さっきは正門にいなかった守衛が飛んできて「写真撮影するなら料金を払え」と言う。風采堂の中は一般公開しておらぬようで外観の写真撮るだけでカネを払うのも癪なので断り退場。だが守衛室に料金表示もなく、どうも守衛の小遣い稼ぎと思える。で東南アジア的にパサードの続く古い市街地を歩く。通りがかりの店で餃子でも、と歩くが、飲食店がない。選り好みしているのではなく、飲食店がない。橋を渡り市の中心部へ向かう。飲食店がない。とにかく目立つのは市街でも浴室の水まわり、室内内装関係、照明、音響製品といった住宅関係の店ばかり。ようやくあったのがマクドナルドとケンチキ。茶餐庁のような店もいくつかあるがどうも入りたくない。料理屋がないのに、不思議なのは何処でもあるのが「涼茶」の店。しかも五軒も並んでいると圧巻。しかもどの店も客がいない。不思議。結局、一時間歩き、ようやく餃子を売る店を見つける。「21世紀の新風味」という看板がどこか気になったが歩き疲れビールで喉うるおし出てきた餃子。マズイ。本当に食べられぬほどマズイ。飲食店が本当に少ない上に、ようやく見つけた餃子屋の不味さに開平は「住」はこだわるが「食」は不毛か、と懸念。とにかくビールで空腹感抑えたので、また歩いてホテルに戻る。二時間余歩いて風采堂を外観だけ見学したのとマズイ餃子で終わってしまった。しかし、おかげで市街の地理にはだいぶ明るくなる。ホテルのサウナ。按摩するには早晩からの外出に時間もなく垢擦り。江西省出身という師傳のオヤジ(といっても余より若い)は垢擦りといってもお湯をびちゃびちゃにしての垢擦りとは違う。かなり乾いた擦りの世界。垢擦りに慣れた人ならわかるだろうがお湯でびちゃびちゃした垢擦りはいっこうに垢がでない。それに比べ客のカラダなど少し蒸した程度で殆ど乾いたタオルで擦ると恐ろしいほどの垢が出る。というか皮膚が剥けているのだ。これが肌にいいとはけして思えないが。で師傳に「どこから来た?」と尋ねられる。「香港」と答えるが、あまりの垢の出具合にどこか山奥の未開地から来た、とでも思われたに違いない。顔まで垢擦りされる。たまったものじゃないが肌はすべすべ。早晩に外出。この中銀タワーの裏にはとてつもない高級一戸建て住宅が並んでいるが、ほとんど空き家。バブル崩壊か。だが、たんにバブル崩壊なら安値で買い取られ住人がいるはずで、推測だが、この一帯、中国銀行のこのビル建設で開発された地区で、この住宅地は「その関係」で建てられ「売られた」分譲地ではなかろうか。だが当然、建設資金の出所と売る相手、売った価格や、その購入資金の出所など問題になり関係者粛清になったとか……何となくそういう物語を想像させる空虚なる住宅地。いずれにせよ、こんな広東省の江門の衛星都市に、中国銀行がなぜ30階建ての分行を建てねばならないのか、而もホテルつきの複合建築。中国は地方政府や党委員会の庁舎やビルの豪華さが問題になっているが、これもその一つ。こんな資金があるのなら民生だのインフラ整備にまわすべきなのだが共産党政府はそうはいかない。でバス通りまで歩くと、昼に戻ってくる時には午後の休憩であった海鮮料理屋が開いている。何気に店先の海鮮の水槽など眺め歩いていると「野味」の看板あり「いやな予感」したら案の定、蛇やウサギと並び籠の中に一匹のネコ。しかも愛らしいネコで、これが今晩、鍋になるのか、と思うと、いたたまれない。Z嬢と言葉もないままバスに乗り市街へと向かう。ホテルの部屋にあった地図では「商業地域」とある幕沙路でバスを降りる。大型家電店と茶葉屋がある程度。潭江の川沿いを「ショッピングアーケード」に向かい歩く。暗い路上にいくつもテーブルを出した料理屋が並ぶ。どうやら昼間は営業しておらず晩になると路上の即席レストランとなる様子。ショッピングアーケードをひやかし、此処は飲食店はやはり一つもなく、裏通りの路上の、通りを暴走する自動車とバイクの排気ガスと路上の埃が舞う、暗い「四川料理の看板」の店で夕食。昼の餃子のトラウマで四川料理が本格的四川料理には思えなかった、味はまぁまぁだが、やはり四川というよりも「京滬川」の何でもあり、の店。何の特徴もない店にかぎって「京滬川」つまり「北京、上海、四川」とごまかしの看板出す、と劉健威氏が書いていたが、そういえば今日の信報の随筆で「滬川」上海風四川料理というのは、戦時中に上海資本が日本の攻撃から逃れ南京、重慶と遡り、戦後また上海に戻る時に四川から運ばれた四川料理の味覚が上海で定着したもの、と書いていた。なんか今回の旅は食事については期待外れかも、という感じ。バスでホテル近くまで戻り、さっきのネコの野味料理の店の角を避けホテルに戻る。テレビではマカオで開催されるスポーツの東アジアゲーム?だかの開会式。お祭りさわぎ。大会主催者の代表が下手な挨拶をしているがフィールドに並んだ選手らは話も聞かないどころかデジカメで記念撮影に興じるだけならマダしも携帯で「今、テレビで見てる?」とか電話する選手も多し。チャンネル変えると呉君如が風俗業の名演みせた映画『金鶏』をノーカットで上映。一流の俳優らの友情出演で面白い喜劇を再び見る。
自民党憲法草案。「愛国心」だの「和を尊ぶ日本の伝統」といった言葉が削られたことに寧ろ憲法改正に本気。前文の「日本国民は帰属する国や社会を愛情と責任感と気概をもって自ら支え守る義務を共有し……」などと謳ふが、憲法は国民が国家に規制を与えるもの、という憲法の本質を全く理解しておらず。現行憲法も前文を読めば確かに「日本国民は……」と全ての段落で「なすべきこと」を述べるが、それは全て「日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成する」ためのもの。全くスタンスが異なる。とくに気になるのは草案の第12条の「国民の義務」
この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、保持しなければならない。国民は、これを濫用してはならないのであって、自由及び権利には責任及び義務が伴うことを自覚しつつ、常に公益及び公の秩序に反しないように自由を享受し、権利を行使する義務を負う。
これは現行憲法
第12条 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。
と読み比べればかなり国民の自由や思想信条の自由に踏み込んでいる。現行憲法では国民が自覚して責任をもつ、というものが草案では、義務となり自由と権利が制限される。こんな草案で憲法改正されたら、たまったものぢゃない。

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