富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2005-09-19

農暦八月十六日。香港の「中秋翌日」という祝日がいい。中秋の晩は遅更まで月を愛で て時も忘れるほど月に酔いしれ……ゆえに翌日は休み、と何と風流ぢゃないか。でも僕はもうこの年だと朝も早く起きちまう。昨晩はあんな雨風で中秋の月もま ともに拝んでもいないのに、なんてこった、今朝は見事な晴天。これが昨日だったら最高の月見酒が出来ただろうなぁ……(と以上、山口瞳っぽい文章)。午前 少し、自宅のまわりをほんの少し走る。本当にいい天気。昼にかけてZ嬢と実地検分。場 所は昨日、Z嬢に依頼されて下見したBraemar Hillの裏山の三角点付近。それほど歩かずで、かといつて誰でも来れるほど容易でもなく、これから月見や花火見物にはいい場所ぢゃないか、と実地検分。 天気もいいのでデジカメNikon D70sばかりかNikon F2に28mmの広角レンズ装着まで持参。かなり重い。いや〜絶景、絶景。海南島の方に向かつた台風の所為で雲の流れ早く九龍の清水湾のほうからきれいに 雨のカーテンがこちらに向かつてくる。慌てて下山。ほんの小雨にあたる。折角、重い思いでカメラ抱えているのでBraemar Hillから108番の海底隧道バスでホンハム。最近やたらホンハム多い。週末、ホンハムのジムに行く機会があるのと北角からフェリーに乗るのがのんび り、なだけでホンハムでもWhampoa Gardenの中など歩いても一つも楽しくもない。が108番のバスでわざわざ出かけたのは東九龍走廊(5号幹線)とWhampoaに挟まれた市街(かつ てのホンハム湾の漁村から市街化した一帯)はかなり古い建物が残り今日なら撮影日和。と くに旧啓徳空港から馬頭涌道、5号幹線の高架道は「香港」の強烈なる印象が強い。といふのは昔、香港に三更にパンナム航空などで到着すると「あの匂い」の 啓徳空港からエアポートバスに乗り尖沙咀の安宿に向かう時(あるいは観光バスでも香港島に渡る途中)バスは九龍城の市街地を横目に真っ暗い中、馬頭涌道か ら5号幹線の高架道を走る。すると今ほど街は明るくないわけで、眼が慣れてくると暗い市街に椅子など出して夜風を楽しむ住人たちの姿。こんな夜遅く!にパ ジャマ姿で路上で遊んでいる子どもたち、ランタンのぼんやりとした灯の屋台、そして何よりも高架道から眺める高層ビルの部屋べやに「なぜ室内灯をつけない のかしら?」、冷房などないから窓は開けっ放し、真っ暗な室内にどの部屋もテレビ、当時は白黒でしかもみんな同じチャンネルを見ているから同じ画面がいく つもの部屋のなかでテレビから映る。その画面をじっと眺めている人たち。天井でまわる扇風機。あの光景が香港の原体験にあるのは我一人でないはず。……で 馬頭涌道、5号幹線の高架道は香港の印象なのだ。歩道橋の上から5号幹線を撮影。ホンハムの旧市街を写真撮影しながら歩く。大利清牛南の店があつたので牛 南河粉。湾仔と天后の店にくらべスープがかなり薄味。同じ名前の大利牛南でもそれぞれ全く異なる。でガガーン!。レンズを床に落とす。18-70mmの ズームレンズ。レンズ交換で落とすならまだわかるが「レンズ交換は立ったまませず、かならずしゃがんで」の基本は当然で、なぜレンズ落としたか?といふと カメラバックに仕舞つた筈のレンズがバッグの中でカメラケースの上にちょんと置かれた格好になつていたようできちんとバッグに入つておらず。で店で腰を下 ろそうとした時にレンズが床に転げた。幸いレンズには損傷なし(と信じたい)。がマウント部分がしつかり打撲(重傷)。当然、壊れる。落ち込むとヴィクト リアハーバーに投身自殺しそうなので望遠レンズで撮影、撮影。あとはF2で撮影。F2が、なにせマニュアルで絞りもオートでないカメラなど20年ぶりくら い。露出も適当、シャッタースピードと絞りの勘だより。勘ったって勘があるはずもない。がファインダーに映る景色がContaxレンジファインダーとも また違う、なにかダイナミックな明るさがあり「もしかすると?」と期待もありWhampoaのDPE店に現像に出す。小一時間して受取り。期待の反面、 「お客さん、なんか露出がぐちゃぐちゃで何も撮れてないですよ」とか「カメラ、壊れてるんじゃないの?」と言われても不思議でなし。何せ父も何年前に、い や恐らく十年以上使つておらぬカメラで保存状態がいいかどうか、の世界。恐る恐る現像受取り袋から出してみる。思わずDPE店の店員に「ポジのフィルム、 置いてる?」と突然、態度がデカい我。何ってこった!といふくらいの明るさ、柔らかさ。ほとんど何も操作せず露出計の使い方もわからず、で、である。 シャッターの音、ボディに響く。カメラ機内で機械が電気モーターで、でなく動いているのを実感。昔はカメラはみんなかうであつた、と思い出す。ホンハムか ら北角に戻るフェリーで、レンズを一本壊したショックとF2の予想以上の出来に悲しいやら嬉しいやら、で青島麦酒1缶で孤独な乾杯。天天豆乳4本購ひ帰 宅。Z嬢とFCCで早めの晩餐。ステラの半パイント。ハイボール2杯。晩に市大会堂で一昨日最終選考を参観の香港国際ピアノコンペティションの最終日。本 日は審査員の先生方の演奏会。昨日は中秋の観月で逸したが最終選考の上位3者による演奏会。ところで結果は一位はZ嬢「お気に」のIlya君(余はこの人 の演奏聞いておらず)、二位がラフマニノフ好演の上海からのShen君で三位が百貫キム君であつた(結果)。で昨日のこの三人 の演奏会は観た人のサイトで読んだかぎりではShen君が予定されたプログラムから突如の変更でリストを弾いたとか。かなり難易度の高い曲で一曲終わると 拍手の中、立ち上がつたかと思えば無表情にピアノの周囲一周してまたピアノに戻りもう一曲をモーレツに弾いてみせ観客はやんやの喝采だつたとか。一位の Ilya君が喰われたのは当然であらう。で今晩の審査員演奏会はチケット購入時は「アシュケナージ先生が嘘でも一曲弾くであらう」と思つたが先週だか演目 発表となるとアシュケナージ先生は出ない。N響のリハでお帰りの様子。もうずつとピアノ演奏からは遠ざかつているであらうし当然か。連日弁舌巧みな主催者 =司会が演目紹介。彼はGary Graffman先 生がブラームスの「左手のためのChaconne二短調」(原曲はバッハのPartina BWV-1004)を演奏するのに際してブラームスがクララ=シューマンのために左手のための曲を作曲した逸話(こちら)や第一次世界大 戦で参戦し片手を失つたピアノ奏者らのために片手で弾けるピアノ曲が大戦後に欧州で盛んになつた歴史など語る。そのGraffman氏の「左手のための シャコンヌ」に圧倒される。この演奏を言葉で語ることなど余にはとても無理なこと。続いてVladimir Krainev先生。チャイコフス キー=コンクールのピアノ部門の審査員も務める氏が香港で演奏。Scriabinのソナタショスタコヴィッチの3つのプレリュード。続いて李名強先生。 右手がピアノ演奏には不自由なことは一昨日の日剰に綴つたが演奏するはショパンの葬送行進曲。観客の前でピアノ演奏するのは正式には二十年ぶり。その機会 にあることの感激。氏の不自由な手について語ることも失礼だが記録のために綴つておけば、右手の中指と薬指が鍵盤を和音で押えることはできるが細かいフ レーズの演奏には難あり、だが、フレーズは親指、人さし指と小指で奏で一音も省かずに見事な演奏。もはや宗教の儀式で音楽に拝する如し。文革での苦しい日 々を過ごした氏が二十年ぶりの演奏が葬送行進曲の厳粛であるとは、それに政治的意味はない筈だが考えさせられること多し。葬送行進曲はあの葬送の有名なフ レーズばかりイメージにあるが李先生が奏でる、あの曲の慶び、故人を、生命を讚える明るい部分こそ李先生の真骨頂。「故人」といへば先日、久が原のT君よ り贈られた、中秋の白楽天の「三五夜中新月色 二千里外故人心」につき「故人」を我々はつい「亡くなつた人」の意味でばかり用いているが「故人」はもとも とは古き友=老朋友の意。老朋友の「老」も現代日本語では「老人」すら差別用語のやうに解され「老人」を避け「お年寄り」などと言い換えるが「お年寄り」 の方がよつぽど失礼な話で「老」は「長い」の意味だからこそ「老朋友」と用いるのであり「老人」も「長寿者」の意。老朋友が他界し葬儀での友人の送辞、弔 辞であるからこそ「故人」と用いたのが、いつの間にか「亡くなつた人」=故人と意味が転じたのではなからうか。推測だが。もしさうであれば弔辞で親族が親 を「故人」と言つてはいけない筈。閑話休題。続いて李先生が、やはりピアニストの娘 Li Jing女史との連弾でチャイコフスキーの眠れる森の美女から四曲。休憩挟んでPascal Roge氏が自家薬籠中のDebussyの6つのプレリュード。このコンペティションで用いられた、ステージに並ぶ4台のピアノに敬意を表しての 4台のピアノを代わる代わる演奏。なんて素晴らしい晩なのだらう。続いてCristina Ortiz女史が演目紹介には“Cristina’s favourite pieces by French-Brazilian composers”としか書いてない。演奏はZ嬢にあとて聞けばDebussyラフマニノフシューマンなど「よくぞあそこまで続けて」の渾身の演奏 で見事な組曲になつているのは事実、事実。最後にRoge先生とOrtiz女史が連弾でFaureのSuite DOLLYから6曲。楽しい晩。尋常に考えれば若いお二人が先でGraffman、Krainevと李先生が最後にくる「べき」だが、このプログラム編成 はそれはそれで秀逸。最後は楽しく終わり2008年の再会を演奏者と観客が約束する。演奏会終わり会場でF君と邂逅。かつて余を「先生」と呼んだこともあ る当時、中学生のF君がすつかり大人になり(オヤジとは言わぬが)かつてのバスケ少年と李先生の演奏と文革などについて語る。演奏跳ねて市大会堂から中環 の波止場に出れば空には十六夜の月。見事。ただただ月を愛でる。せつかくだからとバスで帰宅。車窓からずつと月を愛でる。マンションの外で月を一枚だけデ ジカメに撮る。帰宅してワイルドターキーをがぶりと飲む。至福。
▼今日のIHT紙に民主党で前原君新代表に選ばれし報道あり。記事の最初 が改憲自衛隊の海外派兵の積極について。やはり自民党民主党ガラガラポンで議員入れ替えるべき。前原君は改憲をば党是とする自民党に移り自民党の穏 健派が民主党に移る必要あり。前原君が海外でかう紹介されれれば中国も韓国も「嗚呼、また」と溜息。かりに前原民主党が政権獲得に近づけば、それはそれで 対韓、対中外交で余波あり。
▼すつかり報道も地味な香港鼠楽園について。開園から最初の繁盛期と期待 されし中秋の三連休。鼠楽園側は依然として入場者数公表せぬがSCMP紙の報道では土曜日の午後1時に同園のセキュリティ関係者の話として当日の入場者数 は11,000人。香港鼠楽園のキャパは3万人。つまり三分の一。さもありなむ、と心情的には喝采であるが香港の血税が注がれし鼠楽園の不人気がいかに 「ドブにカネを捨てた」ことかと思ふとまことに許しがたき話なり。

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