富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2005-09-18

農暦八月十五日。中秋。日刊ベリタ澳門での北朝鮮の money Laundering「洗黒銭」作業で米国政府に名指しされた銀行での預金引き出し殺到を記事送稿(こちら)。 昼前に裏山を一時間余、走る。先週は理想的な走りであつたが今週は全滅。また気合いを入れるが身体がかなり重い。Z嬢からBraemar Hillの裏山の探索任務を受けSir Cesil's Rideを走る。この山道、六、七年前に初めて走つた時は草茫々で而も道に陥没などあつたが今ではすつかり整備され散歩人も少なからず。岩を登るのに膝を 擦りむく。絶好の場所見つける。まさか絶景に遭遇できるとは思わずデジカメも持参せず後悔。自宅近所のジムに寄り一浴し帰宅。午後、北角からフェリーで Hung Homに渡りジム。北角からHung Homに渡るフェリーは今では30分に1本。数ヶ月前まで20分に1本。フェリーに間に合わねばとタクシーに乗れば、自宅の近くをいつも流す好々爺の運転 手氏。雑談で中秋でも仕事ですか?と尋ねれば「身寄りもないし中秋も一人だからね」と言われてしまい言葉もなし。毎年、独りタクシーの運転席から中秋の月 を眺めているのだろうか。ぎりぎりフェリーに間に合いそうで運転手に礼を言うと「このフェリーも昔は15分に1本で便利だったが」と懐かしむ運転手。当 時はそれに自動車の搬送もあり。ジムで有酸素運動一時間半。夕方フェリーで北角に戻り帰宅。慌てて荷物の準備して早晩にShau Kei WanのMTR站に集合。Shau Kei Wanで集合前にZ嬢がどうしても行くべき場所が、といふので何かと思えば街士の果物屋のオジサンが飼つている子豚。トントンといふのだそうな(豚 豚?)。可愛い。が先日まで二匹いたそうでZ嬢がオジサンに「もう一匹は?」と尋ねるとオジサンは「えへへへ……」と笑つて答えず。それ以上恐くて聞け ず。Z嬢主宰の毎年恒例の中秋のお月見ハイク。だが今日は昨日は海南島のほうに流れた台風の影響で警報1が発令され今日も何度か驟雨あり。しかも強風。気 象台も今晩のお月見は無理、と予報流すが毎年恒例のお月見で「せっかくだからやるだけやろう」と集合。11名。バスで石澳道の大潭峡懲教所。香港トレイル 10段逆行し龍脊に上がると深い曇天のなかから朧に月が。嘘でも中秋の月ではないか、と感動一入。だがすぐにまた黒い雲のなかに消えたかと思えば大雨。ま さに大雨。遠くでは雷鳴もあり。このまま龍脊の稜線を歩いては危険、と引き返し香港トレイルの抜け道になる中腹の道を足はびちゃびちゃ泥だらけで歩き土地 湾のバス停からバスでShau Kei Wanに戻る。毎年恒例でShau Kei Wanでは此処しか食さぬ越華會で午後九時から中秋の宴。多少塩辛いのが難だが何を食べても美味 いが最も美味いのは確か楊貴鶏だったか(名前失念)の葱生姜のタレのかかつた鶏料理。見た目エグイが実に美味い。葱のタレが当然残るのでこれを持ち帰り炒 飯にするとこれがまた美味なのである。帰宅してメールを眺めれば久が原のT君より 三五夜中新月色 二千里外故人心 と題したメール届く。白楽天
銀臺金闕夕沈沈  銀台金闕、夕沈沈
獨宿相思在翰林  独り宿し相思いて翰林に在り
三五夜中新月色  三五夜中、新月の色
二千里外故人心  二千里外、故人の心
渚宮東面煙波冷  渚宮東面、煙波冷たく
浴殿西頭鍾漏深  浴殿西頭、鍾漏深し
猶恐清光不同見  猶ほ清光同じく見ざるを恐れ
江陵卑濕足秋陰  江陵卑湿、秋陰足る
の一節。芭蕉を介して京の江戸初期の俳人・貞室(安原正章)といふ人の 松かげや月は三五夜中納言 を知る。貞室が懐かしむ故人は中納 言=在原行平。でT君がこの「二千里外故人心」で誰を、何を想つたか、はメールを読み合点。T君の見た今月の歌舞伎は余の予想通り(哀しいかな)弥次喜多愛知万博見物の愚劇の「膝栗毛」。細木数子の扮装で歌江の口寄せ巫女など登場。歌江が大松嶋や大成駒をやつても観客は「?」だとか。だが今月の歌舞伎座 で群鶏の一鶴は京屋の「豊後道成寺」。ジャッキー(雀右衛 門)の静かに競り上がった姿の美しさ。古蒔絵の硯箱の如く、所々に残った螺鈿の輝きは今時の細工ではなく、それはもう豪奢、とT君。十数年前より形の美し さは強く輝かしく。この京屋の進化が、次第に植物化し形而上化(実際こう評するしかございますまい)した故人・大成駒の晩年とは、そこが相違は「やはり ね、藝はね、心でございますよ。」と語るのが大成駒なら、ジャッキーは南洋戦場の地獄を見た男である。舞台で披瀝するのは、徹頭徹尾、現世の美=肉体の 「形」の美。そこに、終生越えられない歌右衛門生前には思いもかけなかった、雀右衛門ならではの「心」が静かに燃え盛っている壮観。僅々20分が、まさに 黄金の時。とT君絶賛の、藝を紡ぎ尽くす京屋の練れた境涯。小生にT君が一言「お見せしたい」と。ジャッキーは90年だつたかの歌舞伎座での「雀右衛門の 会」が確か余が実際に見た最後の舞台。あれから15年である。当時はまだ、この境地に至前の「筋力があり余つて持て余していた」ジャッキーがついにこの境 地まで辿り着いているとは……。で記憶は大成駒といふ故人から80年代末のあの時代へと向かふ。昨日綴った「敗北を抱きしめて」も1989年が鍵。唐突だ が
あかげらの叩く音するあさまだき音たえてさびしうつりしならむ
昭和63年9月、御年88歳。先帝陛下の現在発表されている中では最後の御製。T君より教えられる。この陛下の絶唱の中の寂しさ。皆が死にゆき残されたも のの孤独。だがその那須御用邸での叫びも巷では余は知らず。医師N兄の紹介でT君と出会つた月。新宿の飲み屋。みんな(といつても我々だけ)一世一代絶 世の大成駒の八ツ橋に夢中。あの時の籠釣瓶は佐野次郎左衛門が高麗屋だつたかしら。あの人の芸風が苦手であるからこそ記憶にあり。昭和の先帝と大成駒とい ふ故人、まさに 三五夜中新月色 二千里外故人心 といふ詩文が心に染み入る中秋の晩。……とここで中秋の日が終われば心も静まるが、テレビつければ中央 電視台第4台の「抗日・反ファシズム戦争勝利60周年記念」の人民大会堂でのショーパフォーマンス。確か9月4日の抗日戦争勝利記念日に行われたもので党 のお歴々、抗日戦争で活躍の老兵らを前に抗日戦争をモチーフにした歌や部隊が続く。今日は中秋であると同時に918で柳条湖事件満州事変)記念日。当然 それを意識しての再放送であらう。日本の中国侵略、中国人の多くの犠牲、抗日戦争の勝利……その全て事実であるし日本の謝罪は続く。がその事実と日本の罪 は別として抗日が愛国主義発揚に用いられる意図がどうしても納得できず。抗日を用いて現政権の正統性が証明され、それへの忠誠と愛国心。嗚呼。この共産党 政府の絶唱、上述の白楽天の末裔とはとても思えぬ大騒ぎなり。
自民党の河野三世(太郎君)の「ごまめの歯ぎしり」なるメールマガジン不定期に届くが今日のメールは冒頭から「前畑がんばれ!じゃなかった、前原がん ばれ!」である。やはり前原君は自民党に移るべき。河野家は二世は民主党が似合うが三世は、三世となるとどこの政治家(政治「家」といふのもこうして見る と面白い言葉。政治を家業とする家を「政治家」と呼んでいいかも)も何を考えているのかよくわからず。法律で、いやどうせ改憲するなら憲法で国会議員の世 襲は「せめて」二代まで、とするくらいしたほうがいい。でこの「ごまめの歯ぎしり」だが、例えば本日の
ホリエモンと静香ちゃんが熱戦をくりひろげていた広島某区の民主党 前職に熱い視線を注いでいた男が我が家にいる。ペシ坊である。高輪宿舎の同じフロアのご近所に、ペシ坊と歳があまり変わらない赤ちゃんがいた。ペシ坊は、 その子のことをベベちゃんとよび、密かに仲間意識を持っていたのだ。ある日、我が家のテレビにホリエモンと静香ちゃんに次いでベベちゃんのパパが映った。 それ以来、ベベパパは、我が家で熱烈な支持者を獲得したのだった。
……といふ日記を読んで、何が何だかわからぬのが尋常。ベシ坊といふのは河野三世の息子、つまり将来的には河野四世。それは余もこのメールマガジン読んで いるからわかるのだが広島の亀井先生の民主党前職が誰なのか、でこの話は何が主題なのか、余には皆目見当もつかず。個人のメールマガジンとはいへ総選挙後 の初めてのメールでこのお気楽さ。自民党の議員がどれだけ今太閤か、よくわかる。これに続けて河野三世が書いている話はもつと自民党のキョービの現状をよ く表している。
特別国会を控えて、党の会議で議運の理事から日程説明。「初日は議 長選挙と副議長選挙、その他があります」その他って、首班指名じゃないのって、突っ込まれていた。みんな、今度は、副議長選挙に河野太郎って書かないよう に!(河野太郎に1票入れたのが、石井一代議士だったという噂が本当なら、河野太郎は無いはずだが。)どうせ入れるなら首班指名で入れとくれ。
自民党もあれだけ議席を得てしまふと国会も首班指名など小泉続投が当然であるから議案の説明すら「その他」で済ませてしまふ。ノーテンキ。このような恥ず かしいが事実なのも恐いが河野三世が面白可笑しく公開できてしまふくらい自民党は末世的ノーテン キ。このくらい今の自民党は箍が外れているのである。それに誰も苦言もできず。本来であれば中曽根大勲位が一言、喝を入れるべきだが、もはや小僧ばかりの 自民党大勲位とて誰も恐いなどと思つておらず。本来であれば1989年で終わつているはずの党。だが今回の選挙で国民の親任を得たと思ふと全て終わつて しまつている。南無阿弥。
▼陶傑といふ人の思考回路は極論だが、かなりおもしろい。今日の蘋果日報の陶傑氏が日曜日に担当する「星期天休息」といふ論評は(これはかなり面白いが) 今日は「今年は第二次世界大戦勝利六十周年」だが、それと同時に日露戦争での日本勝利百周年でもある、として(この事実、私は知らなかった)、ロシアに東 洋の小国・日本が勝利したことはアジア・アフリカ諸国に対して衝撃的は励ましとなり日本が西洋列強に対してアジア解放の先頭に立つ勢力となることも期待さ れたが現実はそう易からず。結果、日本がロシアに勝利したことでロシアでは十月革命おきて共産主義政権が誕生し日本は三十年後に対中侵略戦争おこし国民党 軍が軍力を減らす中、それに乗じて共産軍が勢力伸ばし結果的に共産党が国民党から「暴力奪権」したことで中国人の運命は「毛沢東的魔手」の中に落ちる。ロ シアと中国の百年の苦難は日本の責任。日本がキョービ、世界で強国としてあるのはロシアと中国の人々の犠牲の上にある、と。勿論、ではロシアで帝政が続い たら、中国で軍閥が群雄割拠していたら、といふ歴史のifもできるが。陶傑氏の論評はいろいろ続くのだが、最後に、世の中は争いこと消えることもなく、や はり香港人の「自求多福」に一理あり、と。自求多福……自分勝手であるが乱世、これしかないのかも。

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