富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

九月十日(土)晴。豪州在住の作家森巣博氏が朝日新聞に書いている。国の借金が780兆円で地方の長期債務が200兆円。特殊法人の隠れ債務加えれば軽く 1000兆円。自衛隊イラク派遣も明らかな参戦(日本ではそう思われていないが海外では常識的にそう認識されてている)。借金をどう返済するか、戦争に 参加していいのか、素朴な疑問を発しようとせず、自分自身の問題として考えぬ思考の停止。無知な多重債務者の奈落への行進。「無知とは、知識がないことで はない。誰だってほとんどの局面では無知である。そうではなく無知とは、問いを発することができない状態を指す」といふ森巣氏の金言。無知なくせに変に 悟ったふりをしてニヒリズムに逃避する連中が一番タチが悪い、と。……と森巣氏が論じても「海外で好きに暮らしていたら言いたいこと言うのも楽だよな」と 一笑に付されて終わり鴨。週末ずつと天気芳しからず。天気予報は今日も曇り一時雨のはずがそれなりに晴れてかな久々に山に入り大潭をMt.Parker Rdの上り30分、大潭の下り一時間走る。月〜木はジムのトレッドミルであつたが今日で今週は50km走つたことになるはず。中秋までもうあと七、八日と なり日差しもきつからず風も心地よく今年は夏の雨に木立の緑の繁りも勢いよく日陰も多し。島南の海岸に至り司馬遼太郎の『街道をゆく』の丹後日田街道、西 吉野街道と種子島みちを読む。結局この本は熊野古座街道からずつと若衆宿に司馬先生は関心抱くのだが辿り着けぬのか敢えて書かぬのか、『街道をゆく』の評 価されるところは、といふか司馬遼太郎の人気の秘密はこの、敢えて書かぬ部分あるゆへ自民党から共産党まで、老若男女に好まれる所以かも。計算高いのか、 或る面では狡い。
炎天下というにはいささか弱い陽光の下『街道をゆく』を続けて読む。浜 辺は立っているとわからないが寝そべってみると、砂浜から数センチの高さを無数の浜蝿が飛んでいる。本当は何という名前の昆虫なのか、その分野には詳しく ないので知らない。だが私は浜蝿と呼ぶことにしよう。浜蝿はひっきりなしに飛んでいるかと思うと砂の上に降りて無数の穴の中に姿を隠す。巣だろうか。一匹 の浜蝿が隠れた穴にもう一匹の、少し身体の大きなのが飛び降りた。雌だろうか。穴に向かって尻を向ける。そうか、交尾か、と思ったのだが、少し身体の大き な浜蝿はその穴を、後ろ足で砂をかけて埋没させてしまう。これじゃ先に穴に隠れた浜蝿が窒息死してしまう。いったい何の意味があるのだろうか。昆虫の知識 がないから私にはわからない。
……とか司馬先生なら描写するのだろうか。読了。続けて明日の衆院選挙控え開票結果に動ぜぬやう鴨長明方丈記』読む。有名な方丈記の冒頭の文句も今日な ら
小泉の公約は絶えずして、しかももとの言にあらず。よどみにうかぶ軽口 はかつきえかつむすびて久しくとどまる事なし。
だろうか。方丈記読み進めば
いきほひある物は貪慾ふかく、獨身なる物は人にかろめらる。財あれば、 おそれおほく、貧ければ、うらみ切なり。人をたのめば、身他の有なり。人をはぐゝめば、心恩愛につかはる。世にしたがへば、身くるし。したがはねば、狂せ るにゝたり。いづれの所をしめて、いかなるわざをしてか、しばしも此の身をやどし、たまゆらも、こゝろをやすむべき。
など長明の一言一言がただただ心に沁みる。が、昭和3年初版のこの岩波文庫山田孝雄が綴る解題に一読の価値あり。
按ずるに作者の時代は天災地變ついで至りし時なるのみならず、歴史上の 大轉換囘期にあたりたれば、社會上に種々の缺陷を生じ、人事の轉變また甚しきものありしなり。されば世の無常を觀じ厭世主義に傾く者の生じ易きはいふを待 たず。而して作者はその社會に於いて輕き意味にての敗者としての境遇に立てりしものと認めらる。かくの如き内外の種々の事情は作者をして世を遁るゝに至ら しめしならむ。
と語られる解題読むに「まことに今の世も同じならむ」と感じ入るが、大切なことは山田孝雄がそれに続けて綴る一文で
作者は佛教の思想に基づきて、無常を觀じ、世を遁れたるものなれど、天 を怨むるにもあらず、世を詛ふにもあらず、淡泊に世を離れて閑居し、消極的ながら自己の境地に一種の安慰を見出せり。そればその無常觀も厭世主義も共に徹 底せざる觀あり。これ或は日本人が根柢に於いて樂天的なるのいたす處か。要するに本書によりて日本人の性格の消極的方面は或はあらはれたりとすとも積極的 方面は恐らくは認め難き所ならむ。
これを読み前述の森巣氏の言わむとするところと誠に同じ。帰途のミニバスのなか方丈記読了。高校の古典の授業などで格闘し全く解せずの古文も今では些か小 さき字は朧なるも文意とくに気にもせず読めるも齢ゆへか。哀しいやら嬉しいやら。ジムに一浴し帰宅。昏時尖沙咀。ゆつくりとした土曜の晩に気分は独り「尖 沙咀の」Jimmy's Kitchenにでも参り荷風散人か池波先生の気分で洋食とでもしたきところ、酒場めぐりの算段あり、ふらりと元八らーめん。店員の真摯な態度にいつも敬服するばかり。昨日あまりの 賑やかに入らず仕舞ひのバーIに寄る。開店間際でご亭主おら ず。地場のスタッフも突然ふらりと現れドライマティーニ一杯飲み店を辞す客は扱いづらからう。銅鑼湾。バーY。この店も開店間際だがすでに粋な女性客一人あり。その女性と若 きバーテンダーT君と鼎談笑話。濃いめのハイボール二杯。未だ八時すぎでバー Sのそろそろ開店でふらりと寄る。こちらも当然この時間では口開け。Ardbegの17年を二杯いただく。Ardbergといへば Islay島のもっともIslayらしいピートの強さが個性。かういふ言い方はとても下品だが「歯医者臭い」と十数年前にマンダリンオリエンタルホテルの 酒場で最初に飲んで感じたのはそれだつたが17年物は実に上品。逆にいふとIslay臭さもないのだが。深酒はせぬ信条。午後十時に帰宅。
▼香港鼠楽園にて園内の飲食施設での食中毒の訴え受けた食品衛生署の監察官八月三十日に鼠楽園内での現場検査に訪れたところ外国籍(って米国に決つている が)職員から園内では遊客を不安に陥れぬため監察官の制服のうち帽子を脱ぎシャツの肩章も外すよう言われ監察官に命令する職員も職員だが、それに従つた衛 生署職員の植民地根性も凄まじきものあり。香港政府側はこれに遺憾を表明し鼠楽園側も誤解があつたと陳謝、だが香港鼠楽園が治外法権である事実。ところで 香港鼠楽園は当初この開園に含まれていた第一期工区の全ての完成は08年までかかるそうで第二区は2020年が完成目標。で実は上海鼠楽園も鼠本部と中国 側との折衝続き早ければ2010年には上海に鼠楽園完成。

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