富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2005-08-16

八月十六日(火)晴。午前、母の用事を車で送つた足で段ボール十箱ほどの書籍をネットサイト「日本の古本屋」で捜した近隣の古書商に売却のため持ち込む。昼前に母と会津だかから一躍関東でチェーン展開の幸楽苑だかいふラーメン屋。正午前にはもう満席で待ち客多し。車に戻りラジオで宮城沖震源地とする地震あり仙台で震度5強と速報。自動車運転しており震度3ほどの揺れに気づかず。帰省の帰宅ラッシュの日に東北新幹線など不通とは。地震の大慌ての中で小泉三世の靖国参拝が突然挙行されるのではないか?と一瞬思ふ。昨晩三時間ほどしか寝ておらず昼寝心地よし。風通しよくヒンヤリとした畳の肌触り。午後、郵便局で古本屋の支払いいくつか済ませみずほ銀行。機械で定期預金まで出来るのはカウンターの理不尽なまどろっこしさなく便利。二軒ほど古いカメラ並べる店を覗き地元で唯一残る百貨店で甚平一着購い今日が最終日の空襲の記録展。ボランティアらしい初老の男性が写真説明してくれる。我が「若い」と思われ説明してくれるのだが終戦直前の八月四日の空襲後の写真で「これは駅前でね」と説明に内心「そう、この建物は旅館からホテル建築になつた太平館の玄関」と思い出す。芸者衆の防火訓練のバケツリレーも昭和14年花柳界の三業組合による大陸慰問団も写真を眺めながら防火訓練も慰問団も仕切つているのが実は我が祖父。戦争の記憶を戦争を知らない世代に伝える、というのは大切。だがなぜ空襲をうけ命さながら逃げまどふほどまで追い込まれたのか、の原因が軍部に暴政ゆるした政治と朝鮮、中国への侵略行為に端を発しているから。加害者ゆへに最後に被害者になつたこと。どうも今年の終戦六十周年のマスコミの特集にも加害者がバツで被害者になつた事実を述べず感傷的に「死んでいつた者」への哀悼が強調されているやうに思えてならず。戦争を知らぬ世代が増えるに従い、この事実から乖離した「戦争の記憶」が構築され歴史が作られてゆくことの恐さ。同じフロアで沖縄の物産展が今日まで。甕から瓶詰めする泡盛の芳香。自動車運転さえなければ……。水戸芸術館の中を通り抜けると中央の石と水のモニュメントで水遊びする家族の姿。芸術作品であるとか危険さだの管理責任など言わず水遊びの場とするのを許すとは行政もなかなか。空港に宅急便で荷物送る。午前中訪れた古書商で古書の代金受領。この古書商は自宅に玄関まであふれるほど書籍積む。話を聞けばいぜんは店構えていたのを畳んで自宅で商売。ネットで「日本の古本屋」などのサイトあり通販が商法。書籍をずらりと見れないのがつらいところ。ご亭主とはもう少しお話ししたいところを辞す。ジョイフル本田なる郊外のショッピングセンタに寄る。日本では当たり前の日常生活用品店も香港からの我には「魔法のお城」の如く何でも揃ふことに感動。スポーツ用品部でついついグリコばっちり買いまショウ状態。デイパック一つとつても香港より安いのなんの。このあたり道路もかなり整備され緑も多く実に快適な生活空間。臨海公園など見事。観覧車が夕陽に映える。この地は戦前は軍の射爆場。なぜこの地がここまで環境がいいのか、の答えは臨海公園の向こうにある核燃料サイクル機構の施設。その設置の見返り。高速道路から自動車専用道路が此処まで延びているのもこのあたりに原発関係施設多いからゆへ。昏時スーパー戦争に浴す。帰宅して野菜の天麩羅で父の友人が打って今朝届けていただいた蕎麦を食す。妹と車で本屋。大きな本屋が深夜12時まで営業。市の郊外にそんな店がいくも。便利なのだがみんなが自動車で移動するから店の外は真っ暗で雑踏どころか人影もなし。暗闇の中に大型店が照明浴びて点在。中に入るとそこそこ人がいて愛想のいい店員がきびきびと働く。どこにいれば人がいるのだろう。香港にいると不愉快な市街地の雑踏がどこか懐かしく思える。テレビでは為末、為末、とヘルシンキ世界陸上でハードル三位入賞の為末選手のインタビューや特集が全ての局で。為末選手は見事だが、決勝に「秘められた作戦とは?」とか「秘められた決意とは?」と振ってCM流れ……って全局で「秘められた」「秘められた」って全局がそれぢゃ全然「秘められて」ない。陳腐すぎる。過去の栄光、父の死、スランプの苦悩と精神鍛え、祈る母、天が見方するかの如き大雨で環境が悪くなつた中で相手選手が苛ついたり精神的に不安定になつてゆくなかで冷静にレース展開を読み力発揮する……藤沢周平原作で山田洋次監督の映画の如き実話。小林秀雄の『モオツアルト・無常という事』新潮文庫で読む。無常である事、は小林秀雄41歳の時の文章。

富柏村サイト http://www.fookpaktsuen.com/