富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2005-08-12

八月十二日(金) 雨。朝早く露天風呂に一浴。旅館の本館より急な斜面に設えた屋根つきの階段をおりて露天風呂に向かふ。小雨もまた佳し。澤の音に心洗われながらの風呂。部屋に戻り湯豆腐までついた立派だが豪勢ではなくあくまで朝食の常識での朝餉。午前十時半までゆつくりとして宿を出る。土湯の温泉街を車で走る。かつて昭和三十年代から石油ショックまで福島の飯坂、土湯といへば東北の温泉地の代名詞でかなり賑わつたが今ではかなり斜陽。老朽化。風景が昨夏に訪れた台湾の廬山温泉そのもの。土湯から福島市街のほうに少しおりて宿で紹介された高橋果樹園なる店で桃を幾箱か購ふ。桃は七月上旬から暁星、八月に入ると白鳳、暁、月も末近くなれば黄金桃に川中島白桃で九月上旬に夕空で終わる。白桃が大の好物だと言つていた久ケ原のT君に桃を宅急便で贈る。母も余も好みは「あかつき」でなく「はくおう」であつた。昼前にゆず沢の茶屋。福島が実家のO君、O君は香港で100kmトレイルだの香港マラソンに一緒に参加する、自宅もきわめて近いO君だが彼の実家は福島市内でお父様は画廊主。丁度O君も帰省中でそれなら昼食でも一緒に、とO君に誘われたのが「ゆず沢の茶屋」といふ田舎料理屋(こちら)。此処が偶然にも高橋果樹園から少し入つた山あい。福島ではかなり有名な郷土料理の店で大和忠子さんなる高齢だが矍鑠とした女将が今も店を仕切る。O君家族と彼のご両親と会食。O君のお父様にいろいろ話お聞きする。土湯や飯坂の温泉街の斜陽は儲かる時はそれはそれは儲かつたが客の生活レベルが向上するのに旅館の設備投資は余り重視されず「なんかウチより旅館のほうがボロ」と思われては客足も遠のき、古くからの温泉街のほかに新しい温泉地や旅館、客を絞り恒久化した旅館などどんどん現われ客がそちらに流れた結果が昔からの温泉街の斜陽。ところで昨日、母が好物の麦煎餅の太陽堂で麦煎餅買おうと訪れたのだが確か太陽堂があるはずの場所になく場所を勘違いしたかと周囲の繁華街をぐるぐるまわつたが見つからず、誰か地元の人に尋ねればいいのだが結局見つからず駅前に車止めて母は駅ビルの太陽堂の出店に寄つたのだがO君の両親から太陽堂も国道沿いに新しい店を構えたと聞いて少なくとも記憶は確かであつたと安堵。福島は太陽堂の麦煎餅と菊屋の羊羹。ゆず沢の茶屋の女将の尊顔に拝しO君家族と別れ自動車で再び土湯の山あいのほうに向かい磐梯吾妻レイクラインに入り中津川渓谷の橋を渡る。眼下に中津川の渓流とそれに沿つた遊歩道。歩いてみたいとZ嬢と話す。このあたりはすでに秋の蜻蛉とススキである。秋元湖を眺めドライブ続け五色沼近くにある諸橋近代美術館。世界でも有数のサルバドール=ダリの作品を蒐集した美術館でダリの彫刻、絵画と版画百余点を所蔵、展示。偶然にこの美術館のダリ展が七月末にだか朝日新聞の衛星版にまで広告あり福島に行くのなら足を伸ばそう、と思ふ。1947に原爆に対して描かれた「ビキニの3つのスフィンクス」や「孔雀」のタペストリーなど圧巻。1928年にダリが制作にかかわつた「アンダルシアの犬」ルイス=プニュエル監督の短編映画も観る。美術館のある暮らし、憧れ。新潟の新津美術館では「ぞうのババールの世界」とか高速飛ばしてでも見たいのだが。猪苗代町まで下り磐越道東北道はお盆休みで下りが渋滞始まり東京に向かうのは大丈夫だろうとタカくくつておれば小雨から豪雨となり渋滞。黒磯で渋滞となり東北道下りて四号線南下し雨あがり黒羽から馬頭と古い宿場町の面影まだ残る旧街道沿いを走る。那珂川の流れ、見事な稲田。とても好きな街道筋。日暮れ。栃木に比べ平成の大合併で無思慮に「市」といふ名の巨大な田舎・茨城は旧・美和村(現・常陸大宮市)に入り村里にひそつりと佇む珈琲屋Le Temps(ル・トン)に寄り珈琲一杯。この店のご主人は余が中学から高校の頃にピンクフロイドだのボブ=マーレイのLPを買つたフジディスクといふレコード店(すでに閉業)の経営者であつた方、と母に教えられる。ちなみにプログレはフジディスクの近くに名前失念の中古レコード屋あり。狭い五坪ほどの店ながら品揃え充実しポスター特典が他の店よりよし。ピンクフロイドザ・ウォールの巨大なポスターもこの店でもらつたもの。そのご主人が趣味の極みの珈琲屋をこの山あいに周囲に何もない街道沿い、夜になれば真つ暗だが夜空に星や月は天気よければさぞや美しいであろう。店に入れば「えっ……」と驚くアンティークの蒐集。バカラのクリスタルグラス、陶器の珈琲碗、年代物の写真機に壁時計、電話、洋灯。そして何よりも秀逸なのはTannoyの大きなスピーカーから流れる柔らかな音のジャズ音楽。ご主人と昔話したいところだがレンタカーを成田で借りてから48時間(当然、実家近くに乗り捨てだが)の期限まであと1時間でまだ46km だか距離残す。営業所が午後8時に閉まるからと山あいの道で渋滞と信号ないのが幸いだがかなり飛ばして午後8時二分前にゴール。桃だの麦煎餅だの荷物多く妹にレンタカー営業所まで迎えに来てもらつてあり、その足で「千両」なる元気寿司系の高級回転寿司。香港であれば寿司屋でかなり上の部類に入つてしまふが回転寿司。「ベルトコンベアの皿又は湯飲みを取り、チェーン(ベルト)には触れないで下さい」と注意書きあり。意味不明。「皿または湯飲みを取る時に」なのだろうか。新潟のメーカーである。二日も続け自動車運転して疲れよりも慣れない神経過敏だか眠れず。
▼杉並区で「つくる会」の歴史教科書を採択。5人の教育委員が多数決で3対2で採択決めたそうで公正な作業なのだがそうだが、選考委員の選定ぢたいが偏向なのだから茶番も茶番。これまで日本政府は韓国や中国に対して「つくる会」の教科書の出版は思想出版の自由で教科書出版ぢたいが制限されないもので実際に採用を見てもごく一部の私立校や養護学校など日本全体で1%にも満たない採用率であり常識で採用されないことを言い訳としてきたのだが、都立の中高一貫校は「石原学園」であり栃木の田舎も「保守以外に思想の存在しない」田舎のことで、と「まだ」言い訳もできたであろうし中韓両国も大事にせずにきたが、今度は杉並である。杉並。東京23区。皇国館高校だとか石原学園とは違い東京都の尋常なレベルの都民たる中学生がこの教科書で学ぶ。万歳。これでもうなし崩し的に「つくる会」教科書の普及。

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