富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2005-08-11

八月十一日(木)朝早く真言宗豊山派神崎寺。庫裡にいらした住職にご挨拶。 新盆の供養御礼。Z嬢と掃墓。実家に戻り朝食。 白米、茄子と油揚げの味噌汁、鱈子、納豆に胡瓜と冥加の漬物。ここ数日涼しいようで扇風機もつけず夏の朝の食事の何と美味なることか。午前十時すぎに母と 三人で常磐自動車道から磐越道を抜け帰省ラッシュ始まり走行車両増量で80km制限の東北道を走り正午前には福島市街。喜多屋といふ市街の古くからの蕎麦屋で昼食。市内渡利に住まふ大伯母を 見舞ふ。我が義祖母の弟にあたるJ大叔父が昨年晩秋に亡くなりこの夏は初盆。その焼香。この家は長男のS兄が39才で早逝され早十五年。S兄は当時の福島 女子高の音楽教師で管弦楽と合唱でこの学校をいくつかの全国コンクールで最優秀賞にまで導かれた情熱的な音楽家。香港におられた福島出身の小学校の音楽の K先生もS兄と懇意であつた。S兄は弟が二人あり廿二、三年前だか仙台からこの家訪れると夏の今頃の季節か兄弟など皆集まりチェロ奏者、フルート吹きなど ばかりの音楽一家は賑やかで兄弟三人で酔つて筑波山麓合唱団♪だか男声合唱。S兄の葬儀には福女の学生らの涙ながらの合唱。先週この学校(今は男女共学と なり橘高校と云ふそうな)の定期演奏会ではS兄の弟であるY兄が指揮をされたと大伯母から聞く。仏壇にかかげられたこの演奏会の記事を読む。亡くなつて十 五年経つても慕われ弟がブラームスの二番など指揮された、と。午後遅く土湯温泉。辰巳屋山荘・里の湯(案内)に投宿。予約も難き、わずか十室の 宿で亡き父も生前に隠居の身となり母とここに宿さうと予約したら満室で断念だつたと母に聞く。十日ほど前にダメもとで電話すると今日は一室ぽつかりと空い ており、遊ぶ。土湯の温泉街の手前の渓谷に陥り鬱蒼とせし林の中にひつそりと佇む宿。昨日からとか気温も摂氏25度ほどで冷房止め窓を開けると谷川の渓流 の水音と涼風。さつそく湯につかる。総檜の風呂はいくつもあるが湯上がり場まで総檜とは恐れ入る。樹齢二千年の檜が雷だの大雨で倒れ百年から二百年寝かさ れ朽ちずに枯木となつた、まさに神の宿るが如き古檜。それを組んだ風呂に入る極楽。この宿の風呂は総檜の大浴場、渓流に近い露店と家族風呂の三つが勝手に 浴せるわけでなく部屋別にきちんと予約で時間限られ不便といへば不便。だ が夕方、その畳六畳ほどの総檜の風呂(と同じ広さの洗い場)独占する快楽。部屋の内湯も風呂桶は古檜。部屋に戻り夕方に灯も消して持参のiPodをテレビ につなぎ(高校野球中継もよからうが)音声だけでマイスキーの演奏でバッハの無伴奏チェロ組曲を聴く。渓流の音となかなかの合奏。麒麟麦酒大瓶を三人で一 杯ずつ飲み涼を癒す。福島の大伯母に「酒、好きなんだろ、持っていきな」と山形は遊佐町高橋酒造の「ちょっとおまち」と名前は名前だが米は雄町100%の 純米酒一升瓶頂戴し、それを湯飲み茶碗で一杯。美味。程好く酔い懐石の夕餉。別室に設えられ中居が丁度よい頃に次の料理運ばれる。酒は会津坂下(ばんげ) の天明
夕餉のあとブレンハイムの奏でるバッハの平均律を聴く。夏の夜の涼しさ。母の話で朝日新聞丸谷才一君の水戸管弦楽団絶賛について。それならバン コクで朝日を読みあまりの絶賛ぶりに
丸谷才一君が朝日新聞に月イチの連載の「袖のボタン」(九日)で水戸室 内管弦楽団について「東の水戸室内管弦楽団は西のこんぴら大芝居と並ぶ、わが地方 文化の大輪の花だろう。首都圏および京阪神とそれ以外の地域との格差の問題は、わたしたちの文化の久しきにわたるわたる悩みの種なのだが、水戸市琴平町 は、その難題に対してじつに懸命に、そして持続的に努力し、文明全体に貢献している。東西の二つの都市に敬意を表したい」と絶賛。
……とバンコクから香港に戻る機中、書き残しておいたが「なぜあそこまで誉めるかね」といふ余の疑問に水戸室内管弦楽団の熱心な聴者である母曰く水戸室内 管弦楽団は結成15周年だそうで常任指揮者小澤征爾君が演奏後に感極まり館長であり当日も来臨の吉田秀和氏に壇上から謝辞を述べた、と。吉田秀和氏に誘わ れこの室内楽団に参りの感慨無量。あの場におれば誰でも感動する、と母。当日の様子はNHKの衛星放送だかで後から見てみれば小澤君の頬に一筋の涙あり、 と。客席のいつも決まつた席にあつた吉田先生が立ち上がりそれに応える。母の話では吉田秀和夫人も生前は夫妻でよくこの演奏会に訪れ、夫人の拍手する鷹揚 な様が実に印象的であつた、と。吉田秀和氏といへば昨年、朝日新聞の連載「音楽展望」中断したままだが母の話や、鎌倉のあたりの話に久ケ原のT君も吉田秀 和氏が幸いに元気であることを知らされる。酔いざましに内湯につかり日剰綴つて晩遅く外湯に三度浸かる。家族風呂といふが更衣室から立派だが内湯も大きな ガラス張りで外が一望なら内湯のむこうに露天風呂もあり。極 楽。報道ステーションを観る。公明党のいわゆる公明党顔した冬柴幹事長。「政治は数ですから」と断言。与党が過半数確保することでの政治の安定。宗教も信 者数か。で何が驚いたかといへばこの番組の司会者・古館某。冬柴幹事長の発言に対して「そうですか」ぢゃなく「そうですよね」と返答(笑)。而も「公明党 は福祉と平和を重要視しているわけですが」と古館。何者だろうか。古館は朝日新聞から出向のコメンテーターにようやく質問の機会与え、その人が「公明党小泉首相靖国参拝に反対しているわけですが八月十五日に参拝があるかどうかはどう思いますか?」と質し冬柴君も「それについては「ない」と確信しており ます」と答えている途中なのに古館は「それで、それで」と口を挟み無理やり財政問題に話を変える不思議な態度。で冬柴君の独壇場となると今度は「公明党民主党とかなり同意する部分があるわけで今後は民主党と」と勝手に民公路線に言及し冬柴君慌てて「いや、自民党とも多いに同意する部分があるわけですか ら」と打ち消す始末。古館といふ人いつたい何者なのだろうか。番組の後半には広島の尾道より戦艦大和復元の記念館だかから長淵剛。古館は「いつまでも若い ですね」云々と長淵に若さの秘訣など質問し続け「あたまに剃りいれて」などとの指摘に長淵のほうがいい加減呆れ「今日はですね」と話題を戦艦大和にする始 末。戦艦大和の沈没で命落とした十七、 八歳の若者たちに、自分たちが死んでも親や兄弟に幸せになつてほしいと願つた「自己犠牲による人間愛」を感じたと長淵。究極の愛、優しさ。……で最後には アメリカとの戦いで「日本は犠牲者だった」と。見事なる歴史の見直し。戦艦大和に乗り込んだ水軍兵は家族の幸せのためより「日本が戦争に勝つため」であつ たのは明白。人間愛でなぜ戦争ができるのか。究極の愛と優しさは戦いか。当時の戦争で犠牲になつた兵隊を非難しているのではない。それを今の時代に勝手に 賛美することの恐さ。南洋の島で「死にっぱぐれた」当時の戦史をまとめることライフワークにする大叔父にこのような「賛美」をどう思うか聞いてみたい と思ふ。喜ぶはずもなし。これを番組にするテレ朝もテレ朝。この長淵中継の間、朝日新聞から出向のコメンテーター氏は一切姿も見せず。山田吉彦の『モロッ コ』を少し読む。昭和26年発 刊の岩波新書青版で今ではかなり入手困難。福岡の古書店にあるを知り注文し実家に郵送されたもの。山田吉彦については我が実際に読みたかつたのは『道徳を 歪む者』より寧ろこの『モロッコ』であつたと信じる。

富柏村サイト http://www.fookpaktsuen.com/