富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2005-08-04

八月四日(金)晴。東都より二十年来の畏友・久ケ原のT君といふべきか古典劇評論されるM君が来港。空港に迎える。飛行機は成田出発定刻でも台風の影響か四十分も早く到着。M君には後輩のK君が同行。M君は夏らしい着物姿に銀座トラヤ帽子店のパナマ帽といふ出立ちに小型マシンガン携えた空港警備隊もアルカイダ関係者に遭遇以上の驚き隠せず。香港鼠楽園開園控え既に開通の鼠楽園線の乗り換え駅は「せめて鉄道だけでも先に」といふ鼠ファンでかなりの人出あるを眺め成田エクスプレスで九龍駅。タクシーで尖沙咀のペニンスラホテル。部屋の手配と暫く待たされ「タワーの何某デラックスにアップグレードいたしました」と若い職員が案内しようとするので「ちょっと待った、旧館で予約の筈」と申せば職員君は「新館高層にアップグレードしてるのに拒否?」と驚き隠せず。ホテルは奈良ホテルでも箱根富士屋でも日光金谷ホテルでも旧館でせふ。「しばしお待ちを」と旧館の部屋手配。部屋に通されると車寄せ見下ろし左手には中環を眺め普通のホテルなら「ハーバービュー」と宣い料金上げるだろうがペニンスラではあくまでコートヤードと謙遜。次の間あり洗面所浴室も外に面して日光も明るく立派なお部屋。さすがペニンスラ。お土産に、といただいたDVD−R は、亡き大成駒の古い順から昭和31年7月の歌舞伎座東海道四谷怪談伊右衛門が八代目幸四郎(白鴎)で按摩卓悦が中車、二代目猿之助(当代の父)が直助権兵衛、それに続く8月の明治座での「瀧の白糸」に昭和46年11月歌舞伎座の十三代目・仁左衛門との忍夜恋曲者。これに十三代目の昭和55年3月国立小劇場での「桜鍔恨鮫蛸」は何と読むの?だが「裙重浪花八文字(つまがさねなにわのはちもんじ)」の「鰻谷」の場だそうで貴重な映像。M君が余も旧知のK君(本日同行のK君とは別)にお願いしK君が用意してくださつた、と。K君は二十年前くらいに余が東都にて歌舞伎座に通つていた頃にM君に紹介される。あの当時、我は恵比寿から自転車で出かけ都内のプールで泳ぎ夕方から歌舞伎座まで芝居見物などしていたもの。いぜんも日剰に思い出話で綴つたが先帝ご体調悪しく昭和も終わりかといふ頃に歌舞伎座では大成駒の有終の美。道成寺などに東西の三階席に陣取つた若いM君とK君が舞台の大成駒に「一目千両」「一目萬両」と掛け声掛け合つたのも懐かしい話。アルバムをめくれば89年暮に京都で全面改修工事前の最後の古い南座での顔見世の桟敷席にM君、K君とZ嬢の笑顔の写真あり。もう17年も昔のこととは。で、さっそくスターフェリーで中環。ぶらりぶらりと歩き中環からハリウッドロードの骨董品屋などひやかす。すでに先週末で閉業が民園麺家であるが隣家の玉葉甘味はいまだ健在。でお汁粉でもと寄れば三人で紅豆沙と緑豆沙を各一注文せば「三人で二つ?」と訝しげ。昔はこんなこと言わない女将であつた記憶。中区警察署跡など眺めFCCでギネスビール飲み涼をとる。ラウンジに「あのお婆さんは今日はいないの?」とM君。あれ、今日はまだいらつしやつてない、と言つていたら数分後にM君が「ほら、いらっしゃった」と。満を持したかのやうにCH女史いらつしやる。「さすが」と大成駒の薫陶受けたM君ですら拝むように眺めるCH女史の格、雰囲気、所作のすべて。CH女史についてM君ご存知なのは余の日剰でのCH女史に関する記述を読まれたからだが、実は翌日談にもなるが、M君にCH女史の話され、ふと「日剰に記載あつたか……」と気になり頭から離れず。といふのは日剰の記載は幾度となく余みずから見直すわけで綴つた記憶あるが読み直した記憶なし。記載ありしことはM君読んだのだから確かで、もしや誤つて消したか、などと気になり仕方なし。老いて浅い記憶辿れば、CH女史について一度は綴つた、が翌日だかにFCCといふ倶楽部に個人の資格にて遊ぶCH女史ゆへ倶楽部メンバーのことを余が日剰に勝手に綴るは失礼にあたると判断して記載を削除。だがその短い間のうちにM君の目に留まつた、か。だが 20世紀の歴史にジャーナリストとして貴重な報道をしたCH女史ゆへ、その点についてのみは我々の記憶に残しておくべき。とくに日本での紹介が皆無ゆへ。 CH女史のお名前はClare Hollingworthとおつしやり女史の歴史への功績はこちら。話はFCCでのハッピーアワーに戻る。昏時、FCCを出て歩いて山頂纜車=ピークトラム站。乗客の長い列に纜車を断念しタクシーで一気に山頂。突然の霧に視界開けず。おまけに展望台など「また」改修工事中。観光用展望台であるだけでよき建物を商業施設化する無策。Tussaud夫人の蝋人形館など愚の骨頂。ミニバスで中環まで下り「史上最悪に無愛想」な壮年運転手のタクシーでハッピーバレー。あまりの客あしらいの横柄さとふざけた態度を叱る。益新美食館にて晩餐。秀逸。トラムで金鐘。地下鉄で尖沙咀。ホテルのM君の部屋でZ嬢ともどもビールご馳走になり歓談暫し。帰宅。
▼本日より香港で第一回香港 日本映画祭の開催。山田洋次特集は無難だが今日の朝日衛星版の全面広告に宣伝文は「私、生まれも育ちも葛飾柴又です。帝釈天で産湯をつかい、姓は 車、名は寅太郎、人呼んでフーテンの寅と発します」と。おい、そこの若者、ちょっとこっちに来い。えっ、なにかいオマエは、オレを怒らせたいのかい、人を だな、わざわざ香港だか敦煌だかリオデナントカだか知らねーが、言葉もわからないところにまでオレを呼んでだよ、呼ばれたから、こうしてこっちだって礼に は礼を、で来てやったんじゃないか。それをだよ、ハナの紹介で人の名前を間違えるんじゃないよ、えっ、誰だ寅太郎ってのは。金つばの徳太郎なじゃないんだ よ、キャバレー王は福富太郎だ、だけどどこに寅太郎がいる?、えっ!……とまだ魅力的であつた前期の寅さんなら怒るだろうか。
▼蘇州のI君からNHKBSニュースについて。担当のアナウンサーの黒板を爪で「きぃ〜っ」とやつた感じ、イントネーションは安定せず声はかすれるは音 程が外れるわ、と。御意。新卒でNHKの宇都宮放送局配属となり晴れて「女子アナ」となつたが「毎年恒例、宇都宮のギョウザ祭りですが」とか「今年のコン ニャクの出荷量は昨年を大幅に……」の栃木県内ニュースに愛想尽かしたのかNHK退職し事務所入り。これが奏して古巣のNHKで「渋谷で」BSニュースの キャスター。名誉回復。だが確かに聞くに堪えないのである。中村麦香といふ人。

富柏村サイト http://www.fookpaktsuen.com/