富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

七月十日(日)朝の驟雨ののち雲多くも流れ早く強い陽射しながら某事あり朝から建物に籠る。いろいろ読みたい新聞記事や資料多く持参したが全く読む時間もなし。午後三時に終わる。それにしても陽射しが十年前もこんな強かつただろうか。傘がなければ直射日光の下は歩く気にならず。帰宅。陽が西に傾けど強烈な陽光のなか裏山にのぼり一時間走る。この暑さでかなり体力消耗するが久々に心拍時計してみれば山の上りも走りも心拍数が140から上がらず真夏の走りもまだ保つか。体調2mほどの蛇に出交す。先々週からの驟雨続きに山はあちこちに渓流の流れあり。水音もあちこちに響き渓流の涼水を灼えた身体にじゃぶじゃぶとかけて火照り癒す。マウントパーカーロード下るが暑さに朦朧としてつい太古坊まで行つてしまひイーストエンドにエール2パイント。ジョギングした恰好でパブになだれ込む。最初の1パイントは殆ど一気飲みでバーテンダーに呆れられる。パブのカウンターで香港に数ヶ月滞在といふドイツ人が隣席の若者に話しかけ香港生まれの印度人のその青年とバーテンダーの比律賓人が三人で談議。みんな英語がかなりクセがあるし奇妙な言い回しもないではないがきちんと意思通じるわけで英語覇権も気になるが多少の誤謬など無視してかうして通じる英語は本当に世界語化している。飲み終わり早々に店を出ようとすればバーテンダーに「ジョギングの続き?」と笑われる。それなら持参の水筒に麦酒入れてくれ。太古坊に曲がる角に近い英皇道の聖羅蘭(サンローラン)なる店で肉饅購ふ。4個でHK$10と廉価ながら例えば神楽坂の五十番に近い美味い肉饅。店番する明るいオバチャンに「ねぇ、そのMannnings、クーポン券貰った?、要らないなら頂戴よ」と言われる。Manningsは家庭雑貨品のチェーン店でオバチャンは目敏く余が先ほどそのManninngで歯磨き粉など購ひ袋もつていたのを見つけ「クーポン券貰った?」に行き着いた次第。常連の客でもない我に実に図々しいがその図々しさもまた愛嬌で「あぁ、いいよ」とクーポン券渡すと「ありがとうね」とHK$20渡したのにHK$5のおつり。HK$10のはずなのに。ちょっと、クーポン券あげた上にHK$5も高いよ。あら、やだ、ごめんなさい、とオバチャン。まつたく冗談じゃないよ、と笑うばかり。店を出ると何処かで見た顔と思えば一度きりだがQEIIカップの晩に競馬関係の入江たのしさんや齋藤さんと食した太古坊の同楽軒の競馬好きの黒服君とばつたり。「[足包]歩(パオポ)=ジョギングか?」と言われ「そう、この季節[足包]馬(パオマ)=競馬がないから[足包]歩してる」と笑ふ。太古城に参り「殺気だった日曜夕方の」ジャスコで刺身盛り合わせ購ふ。刺身寿司の売り場はさながらサーモン屋。鮭のあの紅色が脳裏に焼き付くほどサーモンがずらりと並ぶ。刺身も半分はサーモン。盛り合わせもサーモン抜き、はない。お好みで盛り合わせお作りします、と看板があるのでサーモン抜きで盛り合わせを注文したが「もうすべて店頭に出してしまつた」そうな。でサーモンを避けるためお好みで赤身、はまち、粒貝など単品買い。帰宅して雑事済ませドライマティーニ飲む。大相撲、朝青龍強いのは確か。今回も場所前はモンゴルに帰省で稽古不足でもあれだけ強ければ誰も文句も言えず。だが北の湖ですらあの強さに「横綱は強いだけじゃいけない」と協会理事や高橋義孝先生より厳しい指摘受けていた時代に比べ(アイスクリーム舐めていただけで怒られた横綱は誰だつたか)キョービは何如ともし難し。確かに強いがプロレスぢゃないのだから勝つたあとのあの「どーだ、まいったか」の態度。町の悪ガキの大将ぢゃないのだから。横綱は強くて当たり前。その上で大鵬北の富士のように美しくなければならぬ。NHKのドラマ「義経」見る。この物語の山場、一ノ谷合戦の巻。鵯越の奇襲。確か正月の初回はこの一ノ谷の崖を下るシーンが冒頭に流れ、そこから過去に飛んだ記憶。この一ノ谷合戦での義経の勝利が義経にとつて人生の最高の時であり、このあとは法王に上手く弄ばれ頼朝の逆鱗に遭ひ悲劇の英雄となるわけで、ドラマはここから悲劇と化してゆくのだが表情の出る演技では拙かつた義経役の滝沢君が合戦の場面での鎧甲冑での立ち回りは見事。松山の畏友S君が「滝沢秀明一世一代の名演」と指摘はご尤も。S君が指摘しているが合戦の直前に従一位内大臣平宗盛陰陽道等を根拠に四日は××で戦は行わず五日は東北に××の星あり……と源氏方の戦さの動き予測していたが「東国の武者連中には無縁の話」だ、確かに(笑)。それにしても従三位右近衛権中将平資盛義経の策にまんまと瞞されての屋島への逃亡は演じるのが内閣総理大臣閣下のご子息。天下分け目の一ノ谷の勝利は源氏方にとつて大きなものだが安徳帝とともに三種の神器を海に逃したことで梶原平三景時が「奪い損ねましたな」と冷徹な一言。本来であれば義経がもつと賞賛されるべき場が凍る。景時を冷酷無情と見ることも出来るが景時であれば義経の未来に一抹の不安感じているとまで察するも可。歴史に「もし」はいけないがもし一ノ谷の奇襲が更に功を奏し平家一門を逃さず安徳帝三種の神器をば得ていたら義経の評価と今後の影響力は更に強まつたはずで景時の「奪い損ねましたな」の一言は義経が損ねたもの=運であるとか将来、とまでつい憶測してしまひもする。ところで三草山に潜む小泉平家の軍を偵察の南原&うじきの二人が山で迷い土地の猟師兄妹の案内で義経の陣に戻るのだが、この猟師・鷲尾三郎(のちの鷲尾経春)が地図を見て「ここが三草山、ここが一ノ谷」と地図と文字を読むのも不思議。山中の猟師が、である。もちろん鷲尾といふ苗字あり後に義経の家臣となるほどの人材であるから文字と地図くらい読めて不思議でもないが。義経のあとに「とっさのひとこと」といふ短編の英会話番組あり。今日の一言は“That's so sweet of you”で、この言葉を「咄嗟の一言」で覚える必要などない、と余は断定したいが、シチュエーションは日本人青年がサンフランシスコで懇意となつた女性に桑港の市街の夜景一望する丘の上に案内され、別れも近いがお互い好意を口にできぬもどかしさのなか「今度、日本に来たら僕が案内するよ」と伝え、それに対して桑娘が“That's so sweet of you”と言ふのである。これはとても「それっぽい」で何も問題ないのだが、問題はそのスキャットのあとの解説。“That's so sweet of you”は「相手の親切にお礼の言葉」なのだそうだ。「ご親切、どうもありがとう」である。このスキャットでは確かにさう言えなくもないが、下手にこのまま「ご親切、どうもありがとう」と覚えてしまふと、オジサンが、慣れない英語での商談で、トッサに相手の好意に“That's so sweet of you”と言ったら大変なことである、而も相手がやはり男であつたりするとサンフランシスコだ(笑)、親切では済まされない展開か。
▼香港政府工商及科技局局長の曽俊華君が公共放送・香港電台での来季からの競馬中継中止につき二ヶ月前にはすでに政府内でこの決定あり香港電台局長と協議あつたこと暴露。自称政治家の行政長官曽蔭権君が生真面目で競馬など博奕事に否定的。行政長官杯や重賞レースで政府高官が祝賀の台に上がること珍しくないが行政長官杯は董建華君が現れれば競馬場の観衆に罵声浴びて野次られること必至でもう何年も前から次席の高官が代行してきたが財務官の唐英年らに比べ自称政治家の競馬嫌いは明らか。で香港電台が公共放送でありながら「博奕」の中継することに否定的。だがBBCやNHKと同じ公共放送で放送番組の内容決定は本来(といつても理想論で、だが)局内に決定権あり政府がそれに干渉はできぬこと。実際にそれがあつたにしてもこの競馬中継の存続の可否が現在、検討されているわけで、その二ヶ月以前にすでに政府内で決定されていたとは。そして何より不思議なのはなぜ自称政治家の子飼いである曽俊華君がこれを暴露したのか。政府は北京中央の意向もあり「政府批難を辞さぬ公共放送」(これは一党独裁では理解できぬ組織であろう)の存在は董建華君の頃から忌ま忌ましく、どうにか方向転換を願うのか。自称政治家本人は香港電台が今のまま独立した公共放送であることは重要とは述べているものの。

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