富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

七月九日(土)幾度となく驟雨あり。本日は昨年Trailwalkerの100kmトレイルに一緒に参加の隊長I君とO君の三人で今年はこのTWの抽選には漏れたのだがせめて練習だけはしやうといふ話になり西貢に行き北譚涌より西湾の方へ廿数キロをトレイルの予定であつたが内輪の事情で参加せず。週末でありながら珍しく在宅。キーシンの演奏するショパンのプレリュードなど聴きながら家事したり近所のスーパーで食材の買い物ついでに葡萄酒を少し奮発したり。倫敦の爆発テロには英国首相ブレア君が「罪のない市民を冷血に殺した人たちだけの責任だ」と自己非難かと思えばテロ組織を非難。羅馬だの紐育で“We are also Londoner”と犠牲者追悼。911惨禍の際に世界中が「我々もアメリカ人」と悲しみ共感し結果「憎しみ」まで共感しお門違いでイラク征伐せし事。イラクだのアフガニスタンで数百人規模での犠牲者が出た度々にかうして世界中で犠牲者追悼があつたかしら。世界は不公平。知人が養和病院へ行くのに歩くのに難儀し救急車呼ぶ程でもないといふので養和病院に余が電話し通院のため車椅子借用できぬかと問い合わせればご親切にも車椅子の賃貸料が日に150ドルでデポジットが4000ドルと職員宣ふ。外部での使用でなくお宅の病院に通院だけが目的で一時間の借用でこの対応。「ご親切に」と電話切る。午後にようやく雨もあがりジムに一時間の有酸素運動。北角で食材など購ひ帰宅。珍しく名前失念の(笑)カクテル一杯。珍しく自宅で料理。たまにしかせぬが肉野菜炒め一つでも一応はまず大蒜を炒め葱を炒め葱取り出して葱の味の出た油で下味つけた肉だけさつと炒め取り出し野菜をじつくりと炒めたところに葱と肉を雑ぜ胡麻油で仕上げるくらいの芸当はあり。ぐちゃぐちゃと炒めてしまふのに比べ肉は硬くならず野菜には火が通り肉は下味が効き野菜は甘みあり。ニッカの角をロックで一杯。雑誌『世界』の八月号届き信州長野の知事田中康夫君の地域再生についての談話と加藤周一後藤田正晴憲法めぐる対談のみ抜き読み。田中知事の主張は正論。だが車座集会などで会うだけならいいが直接の周囲の者は反発するか脅えるか。ある面では東京都知事と似ているところ。作家だし。加藤周一と対談する剃刀後藤田先生が凄い。中国との戦争を日本の侵略だと断定して「一国の総理が今になって、国会の答弁の中で孔子様の言葉だと言って、「『罪を憎んで人を憎まず』ということを言っているじゃないですか」なんて言うようではどうしようもないね。それは、被害者の立場の人が言うことなんです。加害者が言う言葉ではない。過去の歴史というものに正対することすらしない。そういう意見が国会の場で横行するようになっては、日本という国の道義性、倫理性、品格というか、それすら私は疑いますよ。なんでああいう言葉が出るのか。こんなこと言うと、「ああ、また年寄りが自虐のたわごと言ってるわ」ぐらいに思うかもしらんが、しかし、そうじゃありませんよ。本当に国の将来、未来を切り開こうと考えるのなら、歴史に正対をしていくぐらいの覚悟がなくてどうなりまか。(加藤周一の「その通りだ」の声を受け)加害者意識を(小泉首相らは、当然「安倍晋太郎君の息子」も指していようが……富柏村註)もっておらんのじゃないの? これまた言い過ぎかもしらんけど、そんあこと(言い過ぎじゃ)ありませんよ。十五年戦争を考えたらわかるじゃないですか。私らは現実に、いくさに行っているんだから」と後藤田先生、これが本当の保守派、続けて「やはり日本はアジアの中で生きていかなければならないでしょう。そのため、歴史をどのように理解し、反省すべきところは反省するし、伸ばすところは伸ばしていくというのは、結局これは教育だ、と思うのです。時間がかかるけれども、案外近道は教育ではないだろうか。殊にいまの若い国会議員の意見なんか聞いていると、ぼくは間近におるわけですから、これはもう、とてもじゃないが、問題にならんですよ(笑)。」と後藤田先生はもはや小泉、安倍、麻生、中川ら、それに続く若い世代の自民党議員を見捨てている。もうダメだ、と。最後に後藤田先生曰く「繰り返しになるけれど、私は、歴史に正対せよ、それだけの国として、また国民としての勇気を持て、道義性を持て、これがいちばん大事だよ、ということを言いたいです。歴史から逃れたらあかんということです」と。御意。
▼今晩は香港交響楽団の夏期休業前の今季最終公演あり。昨年の夏に三顧の礼尽くし招聘のEdo de Waartで、この音楽監督の下、一年が過ぎ今日はマーラーの五番とモーツァルトフィガロの結婚。Waart氏の契約は二年だがWaartと団員、とくにコンサートマスターとの確執が昨年のうちから噂となりWaart氏はこの夏での去就も真しやかに語られる。香港の環境、政府の文化事業への肝煎り、楽団側にも一流になれぬ問題はあろうし、Waartのクセの強さも合わぬであろう。様々な問題鬱積して結果的に香港フィルはブレイクせず。このままでは「宿敵」の上海フィルに明らかに負ける。予算でとても無理な話だが本当に実力をつけるのならデュトワ音楽監督に。すぐに話題性で、ならクセが強くてもエッシェンバッハとか(とても来る筈ないが)なら楽団はがらりと変わる。が何よりも中国国内の優秀な演奏家をどれだけ招聘できるか、がこの楽団の鍵。そしてメインホールが香港カルチャーセンターのコンサートホールである悲劇。此処は併設の「劇場」の音響より音響は悪いんじゃないのか?、と時々思わされるほど音響が悪い。
串田孫一氏逝去。享年八十九歳。幼き頃に母の書棚に雑誌『アルプ』あり串田孫一といふ人の文章をいくつも読む。『アルプ』の同人である尾崎喜八の詩集もあり一読し喜八の優しい紳士然とした風貌に「もう時代も違う。いい時代に生きた人だ」と子供ながらに思つたもの。「いい時代に生きた人だ」と過去形であるのは当然、幼い子供は古い本で見た老人はすでに他界していると信じるもの。で何年もたち中学校の時だつたか(高校ではないと思ふ。光村の教科書なら久が原のT君なら記憶確かだろうが)国語の教科書に串田孫一の随筆があり著者の紹介でまだ存命なのであつた。授業中に「えっ!」と声出しそうになる。井伏鱒二以来の驚き。串田孫一に何年も失礼なことをしたような気分。実は尾崎喜八も余が古い『アルプ』で読んだ頃はまだ存命であつたと後で知る。堀田善衛のケースは余は大学生の頃に存命と知つていたが(なにぜ当時、平和運動などかなり積極的に活動されていた)この人の『上海にて』といふ古い小説を読みお手紙を差し上げたら丁寧に返事をいただき、それを当時の文学上の友人に見せたら「えっ!」と驚かれ彼は堀田善衛はてつきり亡くなっていると信じていたので、かなり驚いたことを思い出す。夏の暑い日に余のアパートの一室で友との語らい。
郵政民営化。やはり朝日新聞が変。参院での採決につき記事のリードで「自民党から18人が反対に回れば、郵政民営化法案が否決されるという衆院以上に厳しい状況だが、一方で各派閥のコントロールがききにくい参院の特殊性もある」といふ文章は迷文。これが「参院では自民党から18人が反対に回れば郵政民営化法案が否決されるという、衆院以上に厳しい状況で、その上、各派閥のコントロールがききにくい参院の特殊性もある」ならわかりやすい。単に書き手の文章力が乏しいのか、読み方によつては郵政民営化支持の立場での記事。いずれにせよ「一方で」を接続詞的に用いるならばAという動き、状況に「対して」「異なる」Bがあるはずで、この文章では厳しい状況にある(A)上に派閥でまとまらない事情(B)が加わるのだから「一方で」は不自然。中学生の頃とか国語の教師に「新聞記者の文章を見習え」と言われたが……遠い昔の話か。大学の頃に新聞記事の文章を見習うという話を今は朝日の北京特派員で実質的な北朝鮮特派員的であるU氏としたところU氏に「新聞記者の文章より夕刊の「ひととき」とか読者投稿で文章上手のおばあちゃんや中年の女性が書いて投稿しているだろ、あれを読んでごらん、短い簡潔な文章で長い人生の様々なことを語り切るんだから、あの要約された文章こそ見習うにも見習えないけど、あれが短い文章のお手本だ」と言われたこと思い出す。ところでこの記事の隣にあつたのだが笑えたのが最近俄然評価上がる、余と築地のH君の間では衆議院議長に抜擢予定の元首相森喜朗君が「小泉さんに一番足りないのは、私のような優しさだ。みなさんに『小泉さんを心から応援しなければいけない』という気持ちにさせることが大事」と実に掉舌。実にいい味を出している。首相在任中にこれくらいのコメントできていれば。
▼九龍東の観塘に鳴り物入りで開業の大型商業施設APM(財閥「新鴻基」資本)で万引きかなりの多発とか。信報の随筆で黄珍尼女史が書いているのは、旧態依然とした環境悪しき工業地帯でAPMの周囲もとてもAPMの中で昼食などとても食せぬ労苦大衆多く廃品集めの老婆だの指の爪は真っ黒の工具箱携えたオッチャンだの、そこに突然のAPMの開業。ここのCitysuperでの昼のテイクアウトがHK$50はこの周囲の労働者の半日分の収入。万引きするのはお巫山戯の若者でなければ結局は政府から援助金月額二千八百ドルが唯一の収入、旦那は飲んだくれて仕事もせぬ、大陸の農村から嫁いできた嫁が二人の子供を育て、酷暑にせめて冷房に当たりたいと入ってきたのがAPMで、きらびやかに商品が並び、つい一つを手にして子供の背負ったカバンに放り込み店を出ようとしたら警報が鳴り……と黄女史の想像はあまりに「観塘に住んでもいないくせに勝手に作るな、話を」である。この「開発」を余はけして評価もせぬがマーケティングから言えばこの一帯は勿論、観塘工業中心に象徴される旧態依然とした香港の発展支えた軽工業地帯だが実際にはオフィス街化しておりAMPの狙いはスタンダードチャータード銀行のオフィスタワーだのこのへんで働くホワイトカラー層であり、そして何より黄女史にはこの観塘には高台の月華街の九龍東では格別の古い高級マンション街がありAPMから歩いて五分で高所得層もかなり住んでいることなど御存知ないのだろうか。

富柏村サイト http://www.fookpaktsuen.com/