富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

農暦六月初二。小暑。早晩に灣仔を散策。交加街の灣仔街市が此処も再開発でビル建設で古い建物が何棟も壊されすでにビル出来上る寸前。灣仔馬頭餃子の作りたての餃子売る本店も確かこのビルになつたあたりの筈。まえから気になつていた花園街の滷八鵝店にて滷鵝片飯をテイクアウトして自宅で食す。あっさりとなかなか美味。灣仔の街市の果物屋でバナナ買ひ今年は豊作なのだそうな茘枝を見ていたら「もうこれが今日の最後だから安くするから持って行ってよ」と請われ、つい「あぁいいよ」と答えたら三磅もあり。三磅つまり1.5kgでHK$20。大学生の時だか西武百貨店の系列ビルにあつたおしゃれな中華料理屋で食後に注文したのが茘枝の初体験だと記憶するが確か小さな5粒の茘枝が七百円であつた。1粒百四十円、つまりHK$10か。今晩は三磅のうち半分を頬張つたが何十粒あつたのだろうか。
▼G8サミット。アフリカの救済が主題のはずが、とんだ「テロに団結して立ち向かう決意」で閉幕。一般市民の尊い命が犠牲となる暴力的で野蛮なテロリズムに我々は断乎として立ち向かう、ってイラクで何千人、何万人がそのテロリスト国家の攻撃で犠牲になつたかを思えば紐育の911や今回の倫敦の交通機関爆破テロで犠牲となつた市民は気の毒だが数の上では復讐としてはまだまだ終わらない。倫敦で亡くなつた五十名の市民への哀悼の念でイラクアフガニスタンで戦争に巻き込まれ亡くなった市民を見ているかどうか。国家は国家の威信に賭けてテロリズムと戦つているのではない。国家は国家の威信にかけてテロリズムと戦う国家の威信を捏造している。それにしても911が大統領就任から支持率じり貧であつたブッシュ二世を再生させ今回の倫敦での爆破テロもサミットに鳩つた先進国に対テロ団結の強要。あまりのタイミングのいいテロの「効用」である。
自民党改憲案。起草委の桝添某が「単なる理念遊びでなく改憲実現のため妥協」といふが保守色薄め現実路線(朝日の見出し)といふが何が保守色薄め現実路線かといへば国防軍の規定と天皇元首化の見送りで正確には極右色薄め保守路線。五十年も自主憲法制定を党是に掲げた成果がこの程度かといふ憲法理念。やはり改憲せずに来てよかつたと思わされるが小泉三世が靖国参拝の念願果たせれば首相の座を退くように自民党ももしかすると憲法改正すれば終焉迎えるのだろうか。だが小泉靖国参拝は後任の首相と政府でどうか外交関係是正できても改憲だけはさうはいかず。それにしても具体的にその自民党改憲案を一読すれば知力の低さに唖然とするばかり。憲法前文は自民党の主義主張を堂々と述べながら広く国民の共感を得る内容とする、といふ前文作成の指針の最初からいけない。憲法は普遍法であり理想型はいずれに政党もその最高法規に従えるだけの普遍性が必要で一党の主義主張の場にあらぬ筈。中国や北朝鮮を自由なき一党独裁国家と揶揄しながらこの様。で現行憲法の基本理念は継承としていたのが国民主権基本的人権、平和主義を「より簡潔に記述し直す」とともに「現代及び将来における日本の国家目標を高く掲げる」とする。基本的人権が守られた国民主権の国家で将来に渡り平和主義を高く掲げる以外に何があろうか。で「現行憲法に欠けている日本の国土、自然、歴史、文化など、国の生成発展についての記述を加える」とは。国土など誇るのはやはり憲法の理想型が普遍法であることが理解できておらず。「アジアの東の美しい島々からなるわが国は豊かな自然に恵まれ、国民は自然と共に生きる心を抱いてきた」と自然や風土を憲法で語るのも論外。アジアの東の美しい島々におりながら朝鮮から大陸に侵略しわが国に併合しようとしたではないか。またこの島に暮らした人々は国民といふ近代国家の狭い範疇で束ねられる人にあらず。歴史や文化は国家といふ狭い事象に禁められぬことが理解できておらず。而も保守反動右翼でありながら「日本史上初めて国民自ら主体的に憲法を定めることを宣言する」って大日本帝国憲法を蔑ろにするこの発想。帝国憲法当時はまだ国民主体ではない、とでも仰るのかも知れぬが今の改憲とて国民が主体的ではない。たんに一党独裁政権が党是実現のため踊るだけのこと。そしてこの改憲案の白眉は「日本国民が多様な文化を受容して高い独自の文化を形成し」「多元的な価値を認め、和の精神をもって国の繁栄をはかり、国民統合の象徴たる天皇と共に歴史を刻んできたこと」といふ一悪文であろう。小学生でもこの文章に述べられたことの矛盾はわかる。何度でも言うが文化を形成したのは「国民」でなくたんに人であり多元的な価値観を認めるなら一政党の憲法理念を無理強いせぬ筈であり何より大きな誤解は天皇が「国民」統合の象徴になつたのは明治から僅か百数十年の話で天皇と共に歴史を刻んできたとは間違いで天皇が歴史動かす時代が何度か単発的にあつたが明治になる迄、天皇はこの島に暮らす人々にとつて殆ど忘れられた存在であつたこと。保守反動右翼の諸君が恥ずかしいことに明治廿年以降の百年余の間に作られた近代の「でっちあげ」の伝統や文化、歴史に洗脳されている。本来の保守反動右翼であればこの捏造された国家主義以前に「まほろば」の豊葦原瑞穂国からの風土、郷土、文化になぜ回帰できぬのだろうか。さういふ過去の伝統に囚われぬ実は革新の人たちが保守だの反動と呼ばれ自らが日本の美しい伝統なり徳を育んでいると誤解しているから怖い。憲法は国民の人権や自由、平等が実現維持できるよう国家の権力を制限するための普遍法であること……その基本が理解できておらず、怖いことにその逆で、国家が国民の義務だの国を愛せだのと強制する政治の道具としているのだから。それにしてもわずか百数十年の近代国家になつて創建された国家観、歴史観がまるで豊葦原瑞穂国以来のわが国の、と思えてしまふといふのだから、何と瞞されやすいというか何も考えてないというか、ただただ呆れるばかり。で自民党は是非とも、この改憲案を今上天皇陛下に上奏すべき。で陛下が何と仰るか。このような浅薄な内容の改憲案には陛下であれば反対されるであろう。まず間違いない。
▼日本の政治というのは歴史的に見れば、例えば今回の改憲を例にすれば、天皇陛下が反対されたらどうしたか。困ったことに皇太子殿下も父帝と同じく改憲に反対。で「それでは致し方ない」と皇太子殿下の弟君を天皇に立て……とその天皇の政治利用が日本では何度もあり。天皇を中心に、ではなく如何に天皇を利用してきたか。何が天皇を中心に、であろうか。

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