富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

七月朔日(土)曇。香港特区成立記念日。早朝に灣仔會議展覧中心での記念式典の中継テレビで眺める。立法会議員「長毛」梁國雄君例年の如く五四運動の仲間と会場外で抗議運動。例年と唯一異なることは昨年までなら其処で排除される筈が今年は立法会議員として記念式典に参加。自称政治家ドナルド曽の祝辞終わるとシュプレヒコール挙げ会場から摘まみ出される。昨日発表された七月朔日を記念しての受勲者に香港特区で最高位の勲章である金紫荊章に前任衛生福利及食物局局長の楊永強君の名があり。一昨年のSARSの疫禍にて対応遅れ感染の被害拡大の最高責任者であり事実上局長職より更迭され当局の「業務上過失致死」の元凶とされる人でこの人が最高位で受勲とは。受勲といへば特赦もありか、内地ではこの日に合わせ香港の居住権取得求める者らの間に七月一日なら居住権与えられるといふ噂広まり昨日は深センに香港入境の者多く集まり混乱もあり。約百名が入境拒否される(通常の日の十倍)。本日午後は「民間人権陣線」が毎年恒例の71大遊行が実施されるが、これに抗する形で親中派の工聯會などが午前十時からこの日を祝賀する慶回帰大巡遊を企画。香港スタジアムから出発するこの回帰巡遊に参加すればスタジアムでの式典に望む自称政治家ドナルド曽の口から特赦が発表される……って教主光臨の奇跡か(笑)。まぁ実際にこの親中派集会はカルトだが。でそれとまた逆に政府の香港居住権の扱いに対し不満抱く者も多いわけで民陣側は香港居住権要求する者のデモ参加を請う。結局この特赦はデマのようだが元はといへば中聯辧(中央人民政府駐香港特別行政区聯絡辧公室)が六月に香港居住権求める内地の人民に出した手紙が元凶で中聯辧が香港居住権の扱いの緩和を手紙で紹介。すでに二十名に居住権与え今後それを希望する者は七月十日までに申請せよ、とこれが偶然にも七月一日といふ敏感な日の前後のことでこの日に合わせた期待高まる。呆れたのはその中聯辧の手紙で(蘋果日報に手紙の写しあり)この居住権の扱い緩和を紹介する文面で御用政党・民建聯がこの問題について善処を中聯辧に求め中辧聯もそれに応じて今回の……と政府が一政党の要請で善処した、と結局は民建聯の成果讃える内容。呆れてものもいえず。一党独裁の内地であれば政府がいかに共産党絶讃しようと当然だが香港で親中派の御用政党とはいへ事もあろうに政府機関が地方の一政党のうんぬんを公文書で賞めるとは前代未聞。立派。その慶回帰大巡遊を見に行こうか、とも思つたが親中派の参加者で数えられるのも癪なので見合わせる。昼前に自宅を出て灣仔を通ればGloucester Roadに観光バスかなり駐車中。大陸からの田舎漢の団体旅行かと思えばさに非ず。親中派の御用団体が慶回帰大巡遊に動員した九龍・新界の社工団体や老人会の参加者を市中パレードの終点が灣仔の修頓サッカー場にお迎えのバス。昼から尖沙咀のジムで筋力運動と有酸素運動をそれぞれ一時間。地下鉄で灣仔。修頓サッカー場はすでに親中派御用団体の催事終わったようで片付け中。ヘネシーロードは中環に向かう東行き片道三車線が自動車全面通行止めとなるが銅鑼灣のビクトリア公園を午後三時に出発する民主派デモはまだ灣仔に来る気配もなく遅い昼飯で永華麺家にて雲呑麺食す。それと蓮子紅豆沙。これも美味。蓮子(蓮の実)が上質の上に沢山入っており幸せな気分。驟雨あり。デモがまだ来ぬので銅鑼灣に向かい自動車通行止めのヘネシーロードを歩く。民主派のさまざまな団体、グローバリズム反対やゲイ解放、人権運動などがそれぞれの情宣活動やデモ参加者のサポートのため街頭に宣伝材やテーブルなど拵えており警察が個々は無許可のため対応しているのだが、けして取締りに非ずデモ隊が来るとテーブル一つでも危ないから歩道に上がれとか態度も慇懃で警察もこうして現場にいる末端の警官は立派なものとつくづく感心。初老の土共の男が「こんな反政府活動になぜ道路通行止めにしてまで協力するんだ!」と警官に文句つければ警官が「デモ活動が認められていてデモが批准されたら安全に実施させるのが警察の任務だ」と言い返していたのが印象的。どこかの国の警察とは大違い。で炎天下を傘さして歩けば結局、銅鑼灣まで来てしまい、この七一デモではもはや恒例となつた阿牛氏の大がかりな人形仕立て、一昨年は董建華と葉劉淑儀保安局長の風船人形で確か去年は董建華であつたが今年は当然、行政長官に就任したばかりの自称政治家ドナルド曽。北京中央の操り人形といふ仕掛け。今年の七一デモ、特徴は〇七年の行政長官選挙と〇八年の立法会選挙での全面普通選挙実施や「官商勾結(官界と財界の癒着)反対」といつた民主化要求ばかりでなく東南アジア各地からの出稼ぎ家政婦らが最低賃金引き上げ、ネパール出身者の政治亡命認定、ゲイ解放団体の蔑視撤廃、香港大学医学院の「李嘉誠医学院」命名反対、法輪功など異なる背景の人々が政府に物言う機会となり民族衣装や踊りなど派手やか。無一文から立身で億万長者となり、かつて香港の人々の英雄であつた李嘉誠が今では香港の実際の最高権力者として非難されているのも印象的。デモの行列には加わらず地下鉄で中環。日暮れまで中環で遊ぶ。FCCに参ればFCCの前を香港政府総部が終点でデモ終えた人々が帰途につく。ステラアルトワを1パイント。テレビのニュースでは午前の慶回帰大巡遊が参加者は主催者側発表が3万人で警察発表が2万人。午後の民主派デモは主催者側発表が4.5万人で警察発表が1.1万人。銅鑼灣で見た感じでも1万人といふのは少なすぎの気がするが。ドライマティーニを1杯飲んで帰宅。自宅で晩飯は先月22日以来。Caves Sao Joaoといふ葡萄牙産の赤葡萄酒。晩のニュースでは民主派デモは主催者側発表が2.1万人で警察発表は1.7万人に修正あり。午前の親中派御用団体のパレードをテレビで見るがドラゴンダンスから長州島の子供の仮装行列、京劇粤劇に四川の変面に吹奏楽団やカンフーまで出し物多くあれでパレード参加者が三万人?といふ感じ。見物人も合算したのだろうか。NHKのニュース10で香港「返還」8周年の報道あり。この八年の政治的環境の変化をうまく纏めてはいるが折角今日の式典やデモの映像使つても、これが今日の式典です、一昨年の五十万人デモが恒例になり今年も市民デモがありこれは今日のデモの映像です、何万人が参加しています、と紹介せねば八年の過去の映像編集に映つてしまい勿体無い。ところで昨年のこのデモまでは「董建華下台」がスローガンであつたがその董建華といへばこの祝賀と屈辱の日をいかに過ごしたかといへば来週から北京で開催される政治協商会議常委会議に向け本日はすでに身は北京にあり会議準備。もうお役目終わり「居ると面倒」か。
▼練乙錚氏の連載第最終回(朔日・信報)。練氏の中央政策組での仕事の大部分が董建華君の演説の原稿書き。演説の原稿を書くのが嫌いなわけじゃないが董君のを書くのは楽しくない。なぜなら練氏にとつて董君の演説内容と練氏の中央政策組での顧問としての仕事が衝突するため。米国の政治は徹底的な党派政治で大統領の発表原稿の書き手と政府顧問は政治的観点や政策は自ずと一致するため政策上の衝突はない。しかし香港の中央政策組の本来の仕事は行政長官が委託した政府の各部局から上がってくる政策立案について客観的に専門的立場から内容を吟味し意見する独立組織であるはず。だが董建華君自身もそれを理解しておらず練氏が政策上コメントすると明白地に不快な態度見せたこともあり。学問的、専門的な立場からの批評が個人攻撃とでも理解される。英国統治時代は各部局の政策立案は全て行政会議に諮られる。当時の行政会議は布政司、律政司と財政司の三役を除けば全てが社会的に信望ある良識的な人士が選ばれ行政会議のメンバーは総督にも物言う独立の立場にあり。それが董建華の問責制では全ての部局の局長が行政会議に加わり外部からの招聘に対して多数派となり活発な討論どころか局長らはお互い触れられなくないところには触れぬ「今日の借りは明日返すから」の相互互助?組織となつてしまい機能せず。中央政策組は97年からの当初は董君が香港政府の英国統治時代からの保守的な空気に満足せず中央政策組が積極的に政策立案し部局を刺激することを望んだが董君が02年に再選され問責制で子飼いを各局長に任命してからは中央政策組を重用せず。……と十七回かなり細かく要旨を綴つてきたが最終回はちょっと期待外れ。これで終わり?という感じ。

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