富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

六月卅日(木)暴風雨が日に何度も襲ふ。早晩に雨風のなかタクシーかバスが来るのを待てば七歳くらいの童が家政婦に連れられてバス停に現れ「こんにちわ」と余の大きな傘の中に入る。暫くするとその童は余の名を呼び「おとうさんが四月に死んじゃったんでしょう?」と。突然のことに余はかなり驚く。父の逝去のことなどかなり親しい方しか知らぬ筈で親しき方のお子なれば面識ある筈でこの童は顔も知らずいつたい何処の誰の子かと一瞬たじろぎ「どうして知っているの?」と尋ねれば「サイトで見たよ」と言われ更に驚き余は言葉失ふ。小学二年生くらいの子がこの日剰読んでいる、か。まさか。余は「でも難しくて読めないんじゃないかな、漢字とか」と牽制すれば「おとうさんが読んで教えてくれたんだ」と。多少は安堵。だがいくら狭い香港の日本人社会とはいへこの童に余の面と名が割れているとは。「で、君の名前はなんていうのさ?」と尋ねれば、かなりの早口で「××だよ」と答えられ早口に聞き取れぬが子供は面白いもので自分が相手、つまり余のこと知つているのだから自分のことも知つているでしょう、といふ表情で、もう一度聞き返すのは失礼かも。でいつたい誰の子か、と想像続け「あ、おとうさん、×××(ある楽器の名)吹いているでしょう?」と尋ねれば、その童は「ピンポーン、ピンポピンポピンポーン!」とかなり嬉しそうに両手で大きな丸つくる。嬉しそう。お父さんのことがほんとに好きなのだな、この子は、と余も思わず気持ち和む。「さて、何曜日に吹いてるでしょう?」と今度はこの子に質問され「まぁ週末であることは間違いない」と思い「金曜日」と答えると「ブッブー、土曜日でした」。でしばらく話しておれば「ところでオフィスでは何しているの?」と尋ねられ、まさか「ちょっと暇な時はねさっと日記とか書いたりもするんだよ」とも答えられず。なかなか面白い子で次に会つたら「ジャコ=パストリアスが好きなんでしょう?」とか聞かれそうな予感。タクシー来たのでその童と別れるが最近の子どもは子どもながらに多忙で学校が終わりスポーツクラブでこれから英会話だそうな。幼き子も頑張つているのだから大人も頑張らねば、と思ふ。それにしても突然「おとうさんが四月に死んじゃったんでしょう」には驚いた。突拍子もないように思えたが、よくよく考えれば、この子はお父さんが大好き、お父さんが突然に死んでしまつたらとても悲しいことで、この子は自分のことのようにいろいろ考えたのであらう、と想像。お父さんと会話が多そう。いい父と子の関係だな、と感じましたっ、て……あ、永六輔になつてしまつた(笑)。金鐘のパシフィックプレイスのオフィス棟2でタクシー降りれば香港でも有数のおシャレなオフィスビルで気取つているの場所が最近はここがパシフィックプレイスで買い物する大陸からの田舎漢ツアーのバス乗降場所になつているようでオフィスビルのロビーをかなりの田舎漢が占領しスノッブな風景も壊滅状態。この観光客の観光でおとすカネを考えれば経済波及効果で無碍に出来ず。Z嬢にディック=ブルーナの特集している『jet』といふ月刊誌購ふ。広告が多いとはいへ二百二十余頁全頁カラーでかなりの上質コート紙使いデザイン的にも上品でHK$25。日本でちょっといい雑誌だと千円台もあるのは高すぎ。雑誌だ。せいぜい650円だろう、気軽に買える限界は、ふと「黄金率?」と思つて計算すると基準値の千円に対して618円が黄金律で消費税5%で648円、やつぱり650円がお気軽の限界。地下鉄で尖沙咀。小腹が空いて源吉兆庵のどら焼き1個購いパシフィックコーヒーのブレンドコーヒー。ふと日本語の学生の「〜くる」「〜いく」を用いての作文に「これから気持ちわるくなっていくと思います」といふ一文を目にしてしまひ想像してかなり気持ち悪くなる。二更に本日の任務工作終了し三連休の前夜で若者で賑わふ尖沙咀を独り寂しく厚福街の唯一麺家に食そうと訪れれば七月中旬まで改装工事のため閉業。行き場失い吉野家で牛丼食す。
▼明日の香港特別行政区成立記念日、つまり恒例の市民デモの日を前に警察が警告発す。デモにあたり参加者が「威嚇性」あつたり「特定の個人や団体組織を誹謗する」標語があつた場合、傷害行為の前触れと見做し違法といふ判断で検挙もあり、と。つまり「打倒共産党!」とか「ドナルド曽は李嘉誠の男芸者!」といつたスローガンは違法。アホである。警察官僚にロラン=バルト読めとはいわぬがデモ活動での政治的言説は言葉が踊るわけで実際に具体的に中国共産党を打倒する国家転覆に非ず。ドナルド曽も自称政治家なのであるから誹謗中傷されても致し方なし。それを何を惧れるかデモ抑圧制馭することも結果的には警察の自己防衛。何からかといへば当然、北京中央。本来、50万人参加のデモも道路を自動車全面通行止めしてデモ隊を平和裡に誘導し何ら暴力的混乱もなくデモが行われた、といふ事実を誇るべき香港警察が、まるで日本の機動隊の如くたかだか市民のデモ行進に威嚇性など刑法の拡大解釈で国家転覆企図する犯罪行為とまで解釈する神経過敏。もはや自律神経の失調。
▼練乙錚氏の連載第十六回(卅日・信報)。ちなみに第十五回は中央政策組の内部人事だので要旨転載省略。練氏の連載もあと二回となり練氏が中央政策組から更迭されるに到る経緯が明らかに。劉兆佳が首席顧問として率いるこの政策立案部署に劉の畏友である李明埜(埜は正確には「木」の代わりに「方」が二つで下に「土」)が加入。劉と李の二人は政治偏重で狭隘な政党政治感覚に陥り反対派を圧し穏定した執政連盟の組織化(つまり具体的には民建聯や自由党親中派などによる親政府政治協調であろう……富柏村註)が目標であり、基本法に謳われた全民政府による政治といふ精神からの逸脱。この「穏定した執政連盟の組織化」では当然のように基本法が蔑ろにされる。それで政府が親中派寄りの極左の政治傾向強め社会や政治での二分化が顕著となり最終的に董建華の更迭に到るのだが練氏は厳しくも上司と同僚について歯に衣きせず述べる。中央政策組は民意の把握のためアンケート調査実施し始めていたが李明埜が数多い仕事の中でこの民意調査にのめり込むのを見た練氏は、アンケート調査は研究者に強い政治主観があると調査が作為的になり政治抗争の道具と成りかねぬと危惧。〇三年の七月一日の50万人デモで劉兆佳が大幅に参加者を少なく見積もり予想狂ひ北京中央からも中央政策組の分析の信憑性疑われて以来、この香港の頭脳集団は政策立案より民意調査やデモ参加者人数の予測などに比重傾く。50万人から一年目の七月一日の前日に『明報』紙に中央政策組のアンケートが添付されたのだが、これの内容が作為的すぎないか、と練氏は李明埜氏に指摘。数日後に練氏は中央政策組で一切の職務から外される。だがここまでには経緯もあり03年の三月にすでに劉兆佳が同年九月の練氏の雇用契約更新に否定的であるという噂が同僚の口から練氏に伝わつていた。後になつて思えば練氏がこの年の民主運動に個人の立場で参加したことが政府高層には即刻更迭まではいかなかつたがかなり不快であつたこと。練氏曰く半生でデモ行進への参加は米国での学生時代に釣魚台(尖閣列島)領有運動で五星紅旗掲げ紐育で国連本部にデモ行進したのと香港に戻り当時の植民地政庁の汚職抗議のデモに参加した程度。で練氏は〇三年の七月一日の50万人デモには参加せず。何故か。「打倒董建華」のスローガンがあつたが練氏は董建華は打倒せぬ、と。香港の問題は政治体制と路線の問題で董建華個人への問題ではない、といふのが練氏の見方。で、だが七月十三日の中環での政治集会には参加。何故か。これはこの日の集会が董建華打倒ではなく民主選挙の実現要求するものであつたから。この民主選挙は香港基本法の精神に合致するものゆへの集会参加。集会の会場で端のほうに黙つて坐つていたが目聡くも明報の一人の若い記者が練氏の姿を見つけ練氏は若い記者を失望させてはいけぬと写真撮影に応じる。これが翌日の明報に掲載された有名な写真(この練氏の悲哀浮かべた表情は実に印象的であつた……富柏村)。で翌日の新聞で劉兆佳がこれを見て練氏のところに「何か手伝う仕事はないか?」と接つてきたが練氏は固辞。中央政策組で練氏は確実に孤立無援となる。練氏は〇四年の七月一日はデモに参加。何故か。このデモのテーマが普通選挙実施の民主であつたから。その日、大埔は大尾督でのヨットの航海練習に朝から参加した練氏は練習終わつてから銅鑼灣に参り最後一時間のデモに参加。じつに充実した日々であつたと練氏回顧。だがこれが最後の審判に到る。
▼築地のH君より。週刊新潮に「8月15日『小泉退陣!』仰天情報」という記事あり余とH君の予想裏付ける情報満載、と。記事の骨子は「小泉は8月15日に靖国に参拝し即日退陣」というもので後継はもちろん福田康夫。「親中派で日中平和友好条約を結んだ福田赳夫の息子で国の受けもよい。王毅駐日大使とも太いパイプがあり官房長官辞任後も中国
側の意向を官邸につたえる役割を忠実に果たしてきた」と紹介。福田自身も「小泉後継を意識し郵政民営化反対の姿勢から推進側にまわった」そうで、これは余とH君の組閣案では「郵政民営化凍結」「対中改善」が2大スローガンでちょっと外れるが、ここはまぁ小泉三世からの禅譲を狙う戦略と理解。而も我々の組閣案をより現実的にするのは福田二世が「今年4月に衛藤元防衛長官と対談集を出版し存在感のアピールにつとめてる」のだそうで、これはもう衛藤官房長官というのはほぼ的中。で、さらに森喜朗「さん」。森さんの真意は「任期満了まで小泉にやらせたくない。来年まで小泉がやると、その後は解散総選挙安倍晋三後継のメが強くなり、そうなると世代交代で自分の出番がなくなるから。小泉には早めに退陣してもらい親中首相待望論を醸成して強硬派の安倍を下がらせる。安倍は福田のあとでもいい。そうなれば、森、小泉、福田、安倍と森派政権で四代十年つづき、鮫元老として野望を果たせる、といふ野望とか。注目は森さんの「マスコミや世論は安倍幹事長代理がいいというが首相になった瞬間に立ち往生する可能性はある。ライトばかりに球を打つのはいいが、レフトやセンターにも打てないと。政権を安定させると考えると福田康夫官房長官かいいという考えがかなりある」といふ発言。これは我々の組閣予想での観測通り。福田政権誕生は間違いない。ただ唯一の問題は元老森君の権力強くなりすぎると古賀チャンや加藤紘一君の出番なし。で、やはり森君には首相経験者では例外的に衆議院議長で「あがり」としたいところ。前回から更新はないが月末であるしあらためて富柏村と築地H君のポスト小泉での組閣案を提示しておこう。
内閣総理大臣 - 福田康夫 H
無任所大臣(副総理) - 小沢一郎(無所属) FH
首相特命補佐官(中国担当) - 加藤紘一 FH
総務大臣 - 魚住裕一郎(公明党)F
法務大臣 - 武見敬三 F (評価↑)
外務大臣 - 野田毅 FH (新規抜擢)
財務大臣 - 亀井静香 FH
文部科学大臣 - 久間章生 H
厚生労働大臣 - 河野太郎 F
農林水産大臣 - 園田博之 F
経済産業大臣 - 額賀福志郎 H
国土交通大臣 - 平沼赳夫(古賀君絡み) H
環境大臣 - 浜四津敏子公明党) F
内閣官房長官 - 衛藤晟一 H (町村君落選)
国家公安委員会委員長 - 中曽根弘文 F
防衛庁長官 - 高村正彦 H
内閣府特命担当大臣
 沖縄及び北方対策担当 - 麻生太郎(古賀君絡み) F
 金融担当 - 塩崎恭久 H
自民党三役
総務会長 - 谷垣禎一
政調会長 - 笹川堯 
幹事長 - 古賀誠 (党内右派牽制)
衆議院議長 - 森喜朗

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