富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

六月廿九日(水)年度にかかわる仕事ひとつ大きなものが終わり安堵。早晩にFCCで資料整理して新聞熟読。ドライマティーニ一杯。タイ風の鶏肉の赤カレー食す。尖沙咀に渡り少し時間ありバーWに寄りジントニック一杯。尖沙咀東のリーガル九龍ホテルにて日本航空朝日新聞の主催で永六輔氏の講演会。開演十分前の筈がすでに壇上には永六輔の姿あり話始め。開演前の「前説」を自分でしているあたりがこの人らしさか。Z嬢も来る。永さんはすでに故人となつた有吉佐和子バタビア日本人学校、中村八大が青島日本人学校永六輔夫人が北京日本人学校の出身で、それが発端となり三十年前から世界各地の日本人学校まわり子どもらに話すること始め今回もシンガポールから参られ本日、香港の日本人学校で子どもら相手に説教。その巡業始めた友がみな逝去しての永さんの奮闘。で本晩は大人相手。相変わらずのスタンスでネタは「身障者」「皇室」「芸人の楽屋話」の3つ。脈絡ないようだがキーワードは<貴賤>とすれば差別のなかで貴くもなり賤しくもなり同じ範疇。朝日新聞的には永六輔は政治的には中道左派で而も日本の伝統には保守的で実に朝日新聞に合致した文化人。だが日本航空的には放送メディアでならまず放送禁止のネタ少なからずナショナルフラッグとしては保守反動右翼の諸君に「なぜあんな話を後援するのか?」と突っ込まれれば困るわけで永六輔氏自身も「これはここだけの話。他で言っちゃダメよ」と笑いをとっていたが。で話の内容はいちいち綴らぬが疑問点もいくつかあり。昼の子ども相手の話でも「いのちの話」で、それを東京都で都知事が永さんの友だちの「へんなおじさん」で都知事に頼まれて「いのちの話」をしたのだけど、だそうだが生死にかかわる重病の幼児がその幼子の生命力と最先端医療で管をいくつも身体に挿入し懸命生き延びる様に都知事が接した時「生きることとは何なのか?」といふ難問にぶつかつたなどといふ話もあるが「第三国人」への蔑視であるとか「つくる会」の歴史教科書の採択のため都立の養護学校(つまり実際に歴史教科書を用いた授業など出来ない)での選択実績づくりであるとかを考えれば、昔からの友だちはたんに政治思想の差異なら宴会の余興で議論楽しむで済むが、都知事としてのさういつた問題は永六輔にとつて許せるものなのか。「その都知事に請われ」いのちの話できることへの疑問。そして、その東京都では卒業式で君が代を歌わぬだけの理由で教員が処分されていることに触れ永六輔は立場的には歌を歌うことなど強制はいけない、の立場だが国歌普及に命燃やして死んでしまつた畏友の黛敏郎とは卒業式で「仰げば尊し」が歌われなくなつたので「仰げば尊し」を復活させようと企画したことなど触れ全体主義での強制に疑問を呈しながら何故か今晩の講演会の最後でも「それでは皆さんで「仰げば尊し」を歌いましょう。みなさんご起立ください」と永六輔。べつに坐つたままでもいいのだろうが<式>といふのはその選択の自由に欠ける空間。一応は起立したがZ嬢ともども歌えず。会場はあまり歌声高らかにならず。なんか話は散漫なまま、あー楽しかつた、がそれぢゃ何を学んだの?と言われると……。結局は右も左も一緒で権威は権威、自分の色に染めたいのよね、とZ嬢。御意。最後まで個であることが大切、と反面教師的に学べたかも。永六輔の話は楽しいがフーコーまで読まないとやはりいけない。会場に面識ある方かなり多し。香港のリベラル中道の日本人の集会か。読売新聞なら将棋の米長邦雄先生の講演会開催とか。でZ嬢がまだ食事もしていないといふので永六輔相撲甚句で講演会終わるなりどなたにも会わぬまま会場を辞せば外は雨が本降り。今日は見事な快晴だつたのに。早足で幸福中心の焼き鳥屋・五味鳥。いつも繁盛の店がうまい具合に雨であろうか席があり。講演会帰りの客が来るだろうからと急いだが案の定、何度かハイキングでお会いしたことあるN氏夫妻も講演帰りで来る。二更のうちに大雨のなかタクシーで帰宅。競馬は12日の沙田での開催が今季閉幕のところ15日のハッピーバレー開催が大雨で順延となり、それが本晩開催。3Tで第4レースのQ(買っていれば208ドル)、第5レースのQP(同94ドル)、第6レースのQP(同313.5ドル)で9頭中6頭的中しているが当然1ドルにもならず。あと3頭当たっていれば三千三百万ドルで四億六千万円が手中に。翌日の新聞によれば投注額で昨年比3.6%減で最も賑わった96-97年度の入場者数326万人、年間投注額923.5億ドルに対して入場者4割減の193万人で投注額も3割減の626.6億ドル。政府の競馬興業での税収も昨年比4億ドル減。
▼許仕仁がドナルド曽「政権」の宰相?である政務官に就任(正式には明日)。1948年に香港に生まれ皇仁書院から香港大学卒後に香港政庁に入り教育主任アシスタントになり翌年に政務官(上級公務員)となり86年に副経済司、副工務司(90年)、新空港工程統籌署長(91年)から運輸署長(92年)と土建分野で着実に出世し95年に華人初の財経事務司となり97年返還で財経事務局局長。2000年には政府の強制積立金(MPF)の開始で政府から形式的に離れMPF管理局行政総裁(年俸500万ドル)。その後は香港政府の高層人事の動揺のたびに、まずはアンソン陳方安生の辞職で財務官ドナルド曽蔭権が政務官となつた際の財務官後任にと董建華に請われ02年の董建華再選での問責制導入の際も人選に上がるがMPF管理局行政総裁に駐まる。その間、02年には香港ジョッキークラブの理事にも就任。03年にはMPF管理局行政総裁の職を辞しコンサルタント会社設立し財閥・新鴻基地産に庇護われる。03年には財務官・梁錦松の更迭で再び財務官就任請われるが固辞し04年には九龍バスの取締役となり今年五月にドナルド曽蔭権の行政長官選挙立候補で許は九龍バス取締役など受給職位すべて辞し選挙対策に携わりドナルド曽の「当選」で今回の政務官への就任。「橋王」と揶揄されるだけさすがの世渡り上手。公務員の頃に財閥系デベロッパーに取り入り董建華から距離を置いて董の招聘に応じず年俸500万ドルの政府外郭団体の職に遊び董建華更迭で畏友ドナルド曽の抜擢に乗じてのこの出世。唖然とするほどの見事さ。
澳門のカジノ王・スタンレー=ホー君(83歳)がマカオでカジノ観光など独占してきた会社STDM(Sociedade de Turismo e Diversoes de Macau)の株主総会でホー君と確執続いた82歳の妹Winnie嬢の株式所有権剥奪の決議。この5年の配当1億1千万パタカ精算し「出ていけ」で金輪際、妹とは思わぬと公言。妹は兄の独裁ぶり非難、60億パタカ投資してのチャリティ基金創設構想あり。八十路の兄妹のこの確執驚くばかり。
バチカンとの関係回復に至るのかどうかの中国のカソリック教会。上海カソリック教会で89歳の司教・金魯賢が引退し42歳のXing文之(Xingの字は扁が「刑」で旁が「おおざと」)が上海教区司教に就任。山東省出身で昨年まで米国に一年留学のXingの司教就任はすでに中国政府の承認あり。これを北京と友好関係未回復のバチカンが暗に承認するかどうか。金魯賢は中国カソリックの重鎮で1955年から27年間も投獄され不屈の信者だが今では政治協商会議のメンバーで中国政府御用団体である中国愛国天主教団の名誉総裁。紐育タイムスの言葉借りればCounterfeit Bishop(贋せ司教)といふ指摘もあり。金司教の寵愛受けた子飼いのXingが法王も交替のバチカンと何処までどう対応するか。

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