富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

六月廿八日(火)快晴。晩に無味乾燥なる太古城に薮用あり美孚に勝るとも劣らぬ恐怖の食文化真空地帯ゆへ北角和富道の勝利小厨にて海南鶏飯食し太古城に向かふ。偶然とは面白いもので掲示板の書き込み読み笑つたが数日前から火曜日の早晩飯は勝利で海南鶏飯かと思つていたら畏友O君も昨日突然この店の鶏飯に食指動いた、と。太古城は折から巨大なナントカザウルスの化石の展示あり。この週末には数十万人が訪れたとか。たかだか恐竜の化石眺めるにショッピングセンターから厳暑の屋外にまで長蛇の列で数時間並んでの為業に陶傑氏なら小農社会と嗤おうが農を卑下するに能わず正確には小市民ぶりか。ナントカザウルスだが興味深きはこの巨大な恐竜の化石が中国で発見されたものであること。で今回の展示は「中国で発見された巨大恐竜の化石展」で中国は世界四大文明発祥の地の一つであるばかりか過去にはこれほど巨大な恐竜がいたといふ「教育」がこれ。これも愛国主義の一環か。
▼廿七日の蘋果日報で陶傑氏がドナルド曽蔭権の「自称政治家」揶揄し政治家についての寓話を披露。「夏日挿曲」といふ題。子どもの頃に「大人にになつたら何になりたいか?」といふ作文で理想的なのは警察官とか消防士、医者、科学者と答えるが、ある日、椿事がありました、と。七月一日の香港回帰記念日に胡錦涛主席が来港。特区政府は国家主席を天水圍の頼昌星記念小学校訪問をアレンジ。品行方正学力良好の生徒が校門に並んで国家主席を出迎え歓迎。国家主席は児童の頭を撫で、或る小学三年の子に「大きくなったら何になりたい?」と尋ねました。その子はもともと練習していた答えを言わないばかりか「僕はね、大きくなったら国家主席と中央軍事委員会主席になりたいんです。あなたの仕事ってことですね」と答えました。国家主席随行の林D8は顔面蒼白。女教師の一人もえっ!驚いて叫びました。胡主席は口の筋肉がちょっと緊張しましたがまた笑みをつくり「そう、それは志気があるなぁ。で、なんで私のような仕事、国家主席と中央軍委主席になりたいの?」と尋ねました。「それは……」と少年は「胡さん、あなたの市民を重視した政治ぶりは僕も認めますよ。でもちょっと足りない。国家は進歩が必要で、市民が普通選挙全人代の代表を選出するとか、もっと自由な社会にするとか、が必要なんです。僕は大きくなったら選挙に出て、その頃の国家主席は米国の大統領と同じで選挙で選ばれるから、僕は中国で初の民選で選ばれた国家主席になって、一人の大政治家になりたいんです」と答えました。国家主席に陪同の校長は思わず失禁、膝の震えが止まりません。国家主席のSPは主席をその場所から離そうとします。胡主席は何も口にしませんが目は笑っていました、一応。アーサー王教育統籌局長は校長を睨み、胡主席はSPに守られながら図書館の見学に向かいます。校長はアーサー王に「どうすればいいでしょうか?」と泣きつきますが局長もなす術がありません。半年の後、頼昌星中学は政府の資金援助が大幅に削減され閉校しました。この学校のスポンサー=頼昌星も政治には敏感ですからカナダからの学校への資金援助は止めてしまいました。この学校では保護者の緊急集会が開かれましたが校長は「これは私の失敗じゃない。あの日、あの小学生があんなこと口にしなければ、政治家になりたい、なんて言わなければ、こんなことにならなかったのに……」。完。見事な寓話。政治とはどれほど危険なゲームか。気軽に政治家になりたい、なんて言わないこと。一公僕が政治家など夢想することで被害被るは香港なり。
▼愚民が先の歴史の不幸も忘れ首相の靖国参拝だ、国旗国歌の国家主義平和憲法忘却の改憲に奔走するなか畏れ多くも天皇皇后両陛下はサイパン訪問し先の大戦での戦没者を慰霊。しかも事前に公表された日程にはない「おきなわの塔」と「太平洋韓国人追念平和塔」にも立ち寄られての拝礼。宮内庁は「この一帯にたくさんある様々な碑に敬意を表すべきだと考えて」「この二つの碑も慰霊できればよいと思っていたが早く公表することで状況が複雑になるのではと心配していた」と説明。前日の最終決定。ご立派なこと。まさに戦後日本の良さを体現された陛下でいらつしやる。翌日の紐育タイムス紙は“An emperor's lonely ceremony”と見出しあり。
金庸(正確には金庸武侠小説書く時の筆名で査良が本名)氏の剣橋大学での栄誉博士号授与につき徐志摩が論われている事につき畏友O氏が「台湾での恋愛ドラマ『人間四月天』で主人公の徐志摩が剣橋大学の印象強かつたからだろうか」ばかりか徐志摩と査良が浙江省海寧県出身で同郷、と指摘あり。成程。記者がどこまでわかつていたのかは不明だが記者の愚問で相手怒らせたことで02年の董建華の再任の際に江沢民に「これは欽定なのか?」と質問して江沢民を激怒させ You are so naive! と言わした記者を思い出す。
▼練乙錚氏の連載題十二回の切り抜き見あたらず。で第十三回(廿七日・信報)。香港政府の頭脳集団たる中央政策組の内部事情について。練氏の上司である首席顧問は鄭維健から劉兆佳に変わるのだが鄭氏についてはその学究肌に対して董建華は鄭氏の意見聞くも余り愉快に思わず。鄭の退任後は董建華も民意を気にして政治評論コメンテーターとして著名であつた中文大学の劉兆佳の採用となつたわけだが劉は当初こそ積極的に働こうという姿勢も見せたが二年前の七月一日の市民デモで大幅に参加者数を読み間違え北京中央も劉兆佳への評価下げ劉は昼食でのアポ以外はすつかり自室にこもり読書の日々だとか。当時の政府の大きな錯誤はサイバーポート事件。政府は当時のハイテクバブルに応じてハイテク産業興隆をとサイバーポート建設を計画したのだが公共投資にもかかわらず市民や業界の意見も取り入れず一部の財閥(李嘉誠の長江実業だが)と組んでハイテク都市建設を急ぎ完全な失敗。出来上つてみればハイテクバブルなどすつかり終わりハイテクなるもの企業が一カ所の産業団地に集結する必要もなくサイバーポートのホテルや住宅棟も閑古鳥。練乙錚氏の連載第十四回(廿八日・信報)。董建華は就任時に掲げた八萬五政策の放棄を決定。これは毎年八万五千戸の公団住宅建設し市民に供給するといふ薔薇色の未来であつたがバブル崩壊から数年を経て住宅融資で負債かかえる市民激増し民間(財閥系)デベロッパーの住宅供給過剰となり公団住宅の提供は不動産価格下落促すマイナス要因増ゆへの決定。これについて重要な公共政策については各方面の意見を参考にして市民に納得のゆく説明が必要と指摘したが精神衰弱気味であつた董建華氏は当時、林D8の意見に耳傾け八萬五政策は住宅提供の停止を決定と公開せぬまま提供中止といふ事実を先にして問題が指摘されたところで「八萬五政策はすでに99年の時点で取り消されていた」と釈明で済ます「大事化小、小事化無」で事実矮小化で乗り切ろうとした錯誤。香港政府はすでに市民の信望もなく盲従飛行続け北京中央の意を汲んだつもりで土共の極左に近づき董建華孤高の人となる。で二年前の七月一日の五十万人デモ以降は一人二人と董建華の周囲から人も去るばかり。
▼信報は廿七日の林行止専欄が自称政治家ドナルド曽の行政長官就任取上げる。北京での長官就任宣誓のあと首相温家寶君を前に「国家の私への信任にとても感謝、感謝でございます」と述べたことに英国領香港の植民地に生まれカソリックの学校に学び番書(笑……英文)教育を受け植民地政府の政務官(上級公務員試験合格)で英国政府から爵位授かつた人物であるから中国政府からの信任はさぞや感謝であろう、と。御意。この植民地人が行政長官に就任したことは一国両制が機能していることの証左かも知れぬがドナルド曽の北京中央への追随ぶり。今回の就任宣誓を見ても香港からの臨席は曽夫人の他は政制事務局長の林D8と法務官でありながら法治知らぬ梁愛詩女史んじょみで三権分立と司法独立を象徴する首席大法官(最高裁判長)李國能の不在はドナルド曽が司法独立も忘れているかと不安。結局、行政長官の任命は中央が地方官任命するといふ中国の古来からの勅撰の如し。ドナルド曽の動きですでに気になることはまず政務官に香港政庁の頃に曽の同僚で一旦政府から退職し財閥系大企業の顧問となつていた許仕仁の起用。みずからの選択で早期退職で政府から天下りの人士を再び政府最高職に招くことで政府内の現職の公務員の志気も下がり当然のことだが財界に有利に動く可能性。また米国政府真似て各部局に副部長を据えることで政務官レベルの上級職での政府内の活性化を図るようだが党派に属さず公平な利益に徹すべきこの者たちが、財界に緩いドナルド曽の行政組織において大企業などにどこまで距離を置けるかの不安。かつての英国当地での植民地根性が今では北京中央と香港財界に遜つた奴隷根性かも。
中国海洋石油(CNOOC)による米国石油会社ユノカル買収など中国資本の米国上陸につき(日経)紐育タイムス紙でPaul KrugmanとNicholas D. Kristofが両者ともこれを取り上げる。八十年代末の日本のバブル経済での米国への資本流入三菱地所によるロックフェラーセンター買い上げや映画会社買収など記憶に新しいがKrugman氏が指摘するのは当時の日本の円マネーが米国を席捲するようでいて実は日本円が米国に落とされ結果的に日本の投資家に利益は還元されず米国にキャッシュが潤つたのに対して今回の中国元は米国で「浪費」されることなく確実にその利益が中国に反映されるであろうこと。真の意味で中国資本が米国にとつて脅威となること。Kristof氏も米国にとつての脅威はアルカイダでもイラク戦争でもなく米国ブッシュ政権の財政上の向こう見ず、であり中国経済が優位になることへの不安を説く。

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