富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

六月廿六日(日)昨日午前中の大雨が午後快晴となつたのに続き不安定な天気。来港中のY君とランタオ島に遊ぶ。朝十時半に中環から地下鉄で東涌。驟雨。東涌峠は視界廿米程の濃霧。長沙の海岸にバスが下るといくらか晴れ暫くすると一ヶ月ぶりかの快晴の空に驚嘆。何度か通り雨あり午後曇る。東涌に戻りY君は市街に戻りZ嬢の主宰での夕方の東涌から大澳までのトレイルにT夫妻にI君と集合。東涌駅前のマンション通り抜け東涌の旧村に入る頃に大雨。びしょ濡れ。それから徐々に天気回復。大嶼山の山には真っ黒な雨雲かかるが空港のほうは見事な快晴。東涌から空港眺めつつ沙螺湾、深石村を抜け大澳まで三時間余。10kmほど。村の集落の家々の庭やかつて果樹園であつた土地が放置された樹木生い茂る林などにマンゴスチン、茘枝や龍眼などかなり繁る。この細道が果実街道と云われるのも納得。大澳に日暮れ前に到着。旧市街の香蓮酒家は満席で運河の向こう岸に同じ経営の出店あるからそちらへと勧められる。バスで来た0氏合流。墨魚餅、ローストチキン、酢豚、四川蝦仁など肴に麦酒ぐいぐいと飲み喉潤し揚州炒飯と羅漢炒麺。晩八時五十分のバスで東涌に九時半に戻り地下鉄で中環に戻る。
▼二十世紀はじめの中国の詩人・徐志摩が突然「香港の一部で」話題となつている。事の起こりは武侠小説の大家・金庸氏へのケンブリッジ大学での栄誉博士号の授与であり事が大きくなつたのは陶傑氏の蘋果日報での文章。剣橋大学に向かう金庸氏に新聞記者が「徐志摩について研究するのですか?」と問いかけ金庸先生憮然と「徐志摩はただ剣橋に傍聴に行つだ只で軽薄。私は学問をしに行くのだから徐志摩から学ぶものなどない」と述べる。徐志摩は欧米で学び唯美派と見られる現代中国の詩人で1923年に胡適らに呼び掛け新月社を主宰(徐志摩の胡適に関する随筆こちら植田均訳)。ゴダールらと1925年には訪ソするが十月革命評価せず無産階級革命運動や革命文学を批判し魯迅ら左翼文学者との論争が有名だが今さら何故に徐志摩が俎上にのるかといへば恐らく金庸にこれを尋ねた記者は台湾での恋愛ドラマ「人間四月天」で主人公の徐志摩が剣橋大学の印象強かつたからだろうか。これに陶傑氏が噛みつき徐志摩など剣橋大学と結びつける必要もなしと指摘。翌日(廿五日)の連載では続けて徐志摩が留学当時の剣橋大学の話となり(このへんが陶傑の真骨頂だが……笑)「共産主義と同性愛の巣窟」と。ラッセルらの名を挙げ学内で隠密裏にではなく公然と同志倶楽部組織され英国情報部の高官となつたソ連のスパイKim Philbyらの話。貴族の出自でKing's Collegeから剣橋大学に進んだPhilbyは大学でその同性愛活動展開し四人の同志らと地下読書会を組織しマルクスレーニン主義に親しみPhilbyは英国情報部M6のナンバー2にまで昇格し読書会の四名の同志のうち三名も英国情報部で出世。同性愛者を共産主義用語の借用で同志と呼ぶのは九十年代に香港で始まつたがこの逸話を知れば実は共産主義の同志と同性愛の同志が剣橋で1910年代に同じ磁場にあつたことが興味深い。陶傑氏は剣橋はオックスフォード大学とよく双璧とされるが牛津大学に比べ剣橋は正統の牛津への反叛で共産主義や同性愛など興るも必然か、と。話は徐志摩からかなり離れたようだが陶傑氏は徐志摩に話を戻し当時の剣橋にあつても徐志摩は中国に残した恋人の女性・林薇音に一途で、銀行家のブルジョワ家庭出身で共産主義にも染まらず徐志摩はとても当時の共産主義と同性愛の剣橋の校風には馴染めず。徐志摩をとても剣橋大学の東洋の文化買辧とは言えず(買辧については数日前の日剰参照のこと)剣橋と聞いて徐志摩を挙げるような者は何もわかつていない、と陶傑氏。だがこちらとか読むと徐志摩の剣橋での日々をそう易々と否定的に言つていいものかとも悩むが。余がふと気になつたのは徐志摩が金庸氏に「軽薄」と一瞥で済まされ陶傑氏がそこまで徐志摩を罵倒すること。確かにブルジョワ出身の唯美主義で「中国で留学経験のある太宰治が詩人をしているようなもの」かも知れない。が太宰がたんなるブルジョワ出自の唯美主義でないように徐志摩が共産主義革命に乗り切れなかつたことで時代に何も投げかけなかつたのか?、殊に十月革命後のソ連を訪れ何を見て何を感じて共産主義革命の未来に疑問を感じたのか?、たんに銀行家出身のブルジョワの保守とは思えず……と思つたのだが昨日(廿五日)の信報文化欄に蒋芸なる人が金庸氏と陶傑氏の徐志摩の扱いについて疑問を提示。今の時代に白文(文語体に対する口語文)で文章を書く者が(白文運動を主導した)胡適に感謝しなければならぬように白文で詩を書くものは五四運動の頃の詩人に感謝すべきで当然、徐志摩もそれの一員で彼らの勇敢な文芸活動なければ今日の詩がこれほどまでに意象豊富にはならなかつた、と。

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