富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

六月廿五日(土)。昨日の大雨は午前十時から昼までの雨量が200mmに達し上環の「海味街」と呼ばれる海産物問屋並ぶ永楽街、文咸東街のあたりは四十年ぶりの水害で突然の鉄砲水に海産物問屋の店先に並んだ乾燥鮑や干し貝など高級食材が雨水に泳ぐ様は「泳げ鯛焼き君」の如く文字通りの「回海」と。本日は朝八時にアイランドシャングリラホテルで昨日来港のY君と再会。Y君は某銀行で1996年迄だつたか香港駐在。現在は丸の内の銀行本店勤務。この時期の夏休みは銀行が秋に併合あり(と書けばどの銀行か明白か)で七月以降休暇とれず。トラムで上環。羅富記で朝粥。Y君と一旦別れ中環の街市通り抜けFCC。昼まで新聞読み資料整理など。昼にY君と尖沙咀で再会しハイアットリージェンシーホテルの中華で昼食。点心と炒麺。午後はジム。指圧と足按摩。早晩に三度びY君と銅鑼灣に待ち合わせY君の中国茶や乾果物の買い物に付き合いバーYで麦酒飲み暫し憩ふ。歩いて灣仔。ジョンストンロードの杭州酒家にて晩餐。評判の醤鴨(醤油につけた鴨の薫製)、井蝦仁に東坡肉と鶏毛菜と呼ぶ青菜。麦酒飲まずに龍井茶。デザートかわりに灣仔に知らぬ間に支店ありの恭和堂にて亀玲膏食す。思えばいわゆる亀ゼリーを砂糖も甘露もかけず余もそのまま食すのはY君からの伝授。トラムで金鐘。Y君がホテルに一旦荷物置いてトラムで中環。バーRに憩ふ。Y君と別れタクシーで二更のうちに帰宅。
▼昨日M教授と某氏五十歳、奥様のおめでたに努力の意味で「やればできる、ってことですねぇ」と余が述べたのが別の意味での「やればできる」でけつこうウケていたことが今日になり判明。M教授は「うつかり者の子だくさん」といふ言葉もあつた、と。
▼昨日ドナルド曽蔭権君が北京にて正式に行政長官として任命受ける。温家寶首相の主宰でわずか三分の宣誓式。97年と02年の董建華君の就任宣誓式は香港灣仔の會議展覧中心で盛大に行われ97年は首相李鵬、02年は江沢民の強力な支持で江沢民国家主席自らが臨席。今回は北京で明らかに香港特区がその自治性より中央に帰属の一地方自治体であることが明らか。
▼香港鼠楽園がディズニーランド附属のホテルでの宴会料理にフカヒレ提供につき動物保護団体などからの批判強くフカヒレ提供を断念。
▼練乙錚氏の連載第十回(廿三日・信報)。宰相について。宰相とは公務員官吏の長にて議会制での首相に非ず。米国で言えば宰相は国務長官。特区政府で政務官はこの宰相に当たるが問責制にて政務官の宰相的立場を解消、がどう作用したか。問責制導入にて全ての司長・局長級の幹部が行政長官の任命でその責務が独立し相対的に宰相的全権有した布政司的政務官の権力と組織矮小化。英国統治期は政策決定の全てが布政司を通してから総督と行政院に上奏されていたものが董建華行政長官になつてからは全て直接行政長官に直接上げられる体制となり政務官も他の局長級と同格となる。これにより政務官を長とする公務員が政策主導権失う。官吏とは「官」の決定を「吏」が遂行する強力な行政体制であつたが植民地時代のその組織が問責制となつてから体制の打破で精神力失せ新しい問責制での精神力も建立できず。この形骸化は北京中央も予測もできず。練乙錚氏の連載第十一回(廿四日・信報)では97年からの董建華行政長官の評価について。将来、董建華について歴史的評価がされた場合、董建華氏の個人評価はけして悪くなかろうが政責については97年以降マイナス要因が多すぎて政策として対応は困難。その施政での問題はまず董氏が知識重視したものの知識をどう正確に理解できていたかどうか。董氏に助言する者多く、けして董氏が盲動とまでは言わぬが知識を得て正確な判断できず。董建華の読書はブッシュのレベル以下と練氏は指摘。もう一つの問題は董建華の愛国が盲目であつたこと。愛国という観念はかなり複雑は筈だが董建華にとつての愛国は「見てごらんなさい。中国があれだけ発展を続け特に上海は……」が口癖で、その思考に疑問視といふものがない。知識不足とこの盲目的な愛国の情が董建華の短所。

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