富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

六月廿三日(木)昨晩の競馬惨澹たる結果に終わったが蹴球のコンフェデ杯は日本の対ブラジル戦を「引き分け」に賭け競馬の負債どうにか回収。ブラジルの勝ちと引き分けが3.5倍だかでほぼ同率。で愛郷心愛国心に非ず)で日本にせめて引き分けを、と思ったら現実に。連日の大雨。朝に乗り合わせのバスが大坑道にて渋滞に遭い何かと思えば樹木倒れ道を塞ぐ。樹木除去に最大三時間要すと警官がバス司機に伝えバス降りて歩こうとするが道路に隙間もなく樹木の枝葉の間を潜り抜けずぶ濡れ。この季節雨は珍しくないが今月は降雨なき日はわずか一日。廣東、廣西は百年ぶりの洪水被害。北京は摂氏三十九度の真夏日続き異常気象はもはや神の怒りの如し。晩に九龍にて工作任務あり早晩に先週に続き尖沙咀の札幌ラーメン店さんぱちに食す。先週の味噌ラーメンかなり塩辛き印象あり黄色い麺むしろ醤油ラーメンに合ふのではないか?と醤油ラーメン注文。店の案内をふと眺めると「当店は北海道より味つけをあつさり気味にしております。もし北海道のオリジナルの味つけ希望される方はその旨おつしやつてください」と。あれであつさりとは北海道それほど味が濃いか。醤油ラーメンは今度は甘み強し。そのうへ玉葱煮込んであり甘み増す。好みであらうが余は苦手。晩十時すぎにバーS。Z嬢と待ち合わせ。白角ソーダで続いてジャックダニエルをロックで二杯と少し。先日天后の利休で数年ぶりにお会いしてこのバーにお連れしたU氏が資生堂パーラーのチーズケーキこのバーに届けておいてくださり受領。ありがたいかぎり。Z嬢と語れば小泉三世の話題となりZ嬢曰く「靖国神社に袴羽織で参拝するのなら韓国訪問も例を正して袴羽織で訪れるべきでは?」と。御意。小一時間で帰宅。
▼先日逝去したフォーク歌手高田渡に「ブラザー軒」といふ歌あり。ブラザー軒は仙台東一番丁(レコード店サンリツの裏)にある創業明治三十五年だかの老舗の料理屋。築地のH君が見つけたのは安藤文隆といふ人のサイト(こちら)から「ブラザー軒」の原詩の作者・菅原克己という革命詩人は父が大正期に宮城県立角田高等女学校校長で克己十二歳の時に校長在職中に逝去。その父の思い出を「ブラザー軒」といふ詩にしたこと。その渡辺氏の経営する東京は大井のLa Cantinettaといふ店で廿六日に高田渡追悼の「高田渡が愛した詩人たち」といふイベントあり。当然、菅原克己もここで取り上げられるのだらう。
東一番丁、ブラザー軒 硝子簾がキラキラ波うち、あたりいちめん氷を噛む音。
死んだおやじが入って来る。死んだ妹をつれて氷水喰べに、ぼくのわきへ。
色あせたメリンスの着物。おできいっぱいつけた妹。ミルクセーキの音に、びっくりしながら。
細い脛だして 細い脛だして 椅子にずり上がる 椅子にずり上がる
外は濃藍色のたなばたの夜。肥ったおやじは小さい妹をながめ、満足気に氷を噛み、ひげを拭く。
妹は匙ですくう 白い氷のかけら。ぼくも噛む 白い氷のかけら。
ふたりには声がない。ふたりにはぼくが見えない。おやじはひげを拭く。妹は氷をこぼす。
簾はキラキラ、風鈴の音、あたりいちめん氷を噛む音。
死者ふたり、つれだって帰る、ぼくの前を。小さい妹がさきに立ち、おやじはゆったりと。
ふたりには声がない。ふたりには声がない。ふたりにはぼくが見えない。ふたりにはぼくが見えない。
東一番丁、ブラザー軒。たなばたの夜。キラキラ波うつ硝子簾の、向うの闇に。
このブラザー軒、仙台に六年ほど暮らした余も一度も食しておらぬばかりか仙台生まれのH君も訪れた記憶なし、と。ブラザー軒の近くにはラインゴールドといふ洋食屋あり焼き肉の白頭山など懐かしい場所。ブラザー軒は西洋料理屋だがラーメンなども供し東京でいへば日本橋のたいめい軒か。

富柏村サイト http://www.fookpaktsuen.com/