富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

六月廿二日(水)セブンイレブンで新聞を買うと華字紙は6ドルが5.40と一割引きであること初めて知る。朝二紙買うとすると1.2ドル引きで一ヶ月だとバカにならず。昼前に土砂降りの雨。母よりの電話で歌舞伎座で弁当の折箱盗まれた、と。孝夫贔屓の母に歌舞伎座の切符を手配。数日前に夜の部の盟五三大切の三五郎役の芝居楽しみに出かけたが銀座の三越で弁当の折詰め購ひ開演前に座席に置いてちょいと手荷物預けに席を離れ戻ればすでに失せる。ロビー通路の長椅子で、でなら三越の袋で間違つた人でもおろうか、と思ふが一階席の三列目の真ん中で上品な席といへば上品で周囲の客を怪しめもせず。開演前の時間で係員が昼の部の食べ残しの弁当と思つて捨てる筈もなし。歌舞伎座の一等席で弁当盗むとは世も末かと荷風散人の如く悩むべきか木挽町に住まふ歌舞伎座の怪人の犯行か。早晩に自宅近くのジムで小一時間有酸素運動。トレーニングルームのテレビモニタで晩のニュース眺めておればドナルド曽蔭権君の行政長官就任ニュースは旺角で築三十年のビルの窓ガラス外れて落下し街路でインドネシア人家政婦がそれに当たり怪我といふニュースよかずっと後のニュース開始から十五分後。帰宅して競馬中継眺めるが見事なほど擦りもせず。満月の晩も雨雲に月もなし。
▼今朝の朝日新聞「近隣外交を問う」で余と築地H君の福田首班内閣で外相に推挙の野田毅君が実に明瞭は発言。隣に公明党幹事長代理の太田昭宏君もいかにも小利口な小物に見えほど野田君の冴え。小泉三世の自らの信念貫く姿勢もプラスの評価もあろうが歴代首相は時には我慢もし自己抑制しながら国際社会でいまの日本の地位を築いたものでその蓄積を「一首相の信念とやら」で全部捨て去ってしまっていいかどうか。靖国A級戦犯祀られていれば参拝見送るべき。A九千版合祀は外国からの圧力でなく日本が戦争責任として総括すべき問題。日本が戦後、東京裁判の判決をどういう状況であれ受け入れて国際社会に復帰したのだから、それを堂々と否定できず、靖国神社A級戦犯の合祀もその経緯は東京裁判の考え方の否定であり一宗教法人が誰を祀るかの決定権が神社側にあるというのが建前だが靖国神社の生い立ちからの国家的性格があり一宗教法人に「甘んじる」のなら首相参拝もおかしな話。祀られる遺族にもA級戦犯ら軍事指導者が戦場に引っ張られた兵隊=犠牲者と合祀されることに疑問の声もあり。小泉三世は参拝も継続しつつアジア外交も実られようとするが加害者と被害者の違いがわかっておらず……と。野田君は最後に「次のリーダーは、近隣諸国の関係を粗末にしない人でなければならない。任期を得ようと独善的で偏狭なナショナリズムに乗っかっている人もいるようだが、もっと勉強してもらわないと困る」と安倍晋三へのイヤミも適度に品がよく結構。この自信は明らかに野田君の現在居る自民党内の勢力が俄然力をもちつつある証左。当然、財界の後押しもあろう。だが小泉三世をここまで放置しただけでも自民党のいい意味での保守派と財界にも大いに責任あり。何のための小泉放任であつたのか。おそらく「自民党をぶっ壊す」と小泉三世の雄叫びへの八割の支持率。あの当時これに異を唱えれば単なる旧守派で国民の敵。で支持率も下がらねば結局は靖国などでの中国の外圧に応じて、でしか追い込めず而も自民党総裁任期全うとは。
▼国家を壊滅にまで引導せし首相だの軍の統帥がここまで祀られるが実際に国家は国民を守らぬ歴史的事実が沖縄にあり。紐育タイムスに沖縄で日本の敗戦直前に米軍の沖縄侵攻の最中、自殺強要され母が娘の首を絞め、それを見ながら自分も首に縄まいて死のうと追い込まれた女性らが当時の悲劇語る記事あり。日本軍から米軍が侵攻したらどれだけ恐ろしい目に遭うかと説教され男は殺され女は姦さる、と。まさに日本が中国でしたことそのものだが。そのような目に遭いたくないのなら、お国のために死んだほうがマシ、と。
▼陶傑氏が蘋果日報の随筆でディズニーランドをさんざん揶揄。見事。香港が九七年から八年でアジアの国際都市だの物流中心だのハイテク港に漢方薬ハブだのさまざまな計画夢想し何ひとつ実現できず結局この八年で香港救済できるものが米国に三顧の礼にて招聘のディズニーランドか、と。米国で五十年代に流行つたテーマパークで欧州ではディズニーランドの低俗趣味は受け入れられず今もつて赤字経営。東京にもあるが日本人は恥といふ観念があり東京にディズニーランドが出来たからといつて成田空港に巨大なポスターも貼らぬし鉄道の駅とて東京圏の巨大な鉄道網のなかの小さな駅の一つにすぎず。それに比べて香港の大騒ぎ。鉄道駅とて地下鉄路線図にミッキー鼠のロゴまで使つてのディズニーランド駅の強調。民族の尊厳とは如何に。といいつつ日本もあれだけの効率性と清潔美徳の風習ありながらディズニーランドの開園ではそのマネージメントの巧みさだの吸い殻ポイ捨てすれば三分以内に清掃される清潔ぶりなどまで賞賛。香港のディズニーランドは確かにミッキー鼠に「スタンレーの観光客相手の土産物屋で売ってるようなチャイナ服」まで着せてカンフーのマネをさせたのだから中国の経済力は大したもの(と書いて実際にはバカにしているのだが)。どうせなら香港の全市民に一日くらい正式開園前に施設開放しては如何か。どうせなら香港政府とのトップ会談で七月一日の特区成立記念日にすれば五十万人デモの日だから、と。
▼練乙錚氏の連載第八回(廿一日・信報)。多くの人が董建華の最大の政策錯誤は「八萬五」と思つているがこれは間違い。八萬五は董建華が行政長官就任で打ち出した毎年八萬五千戸の公団住宅建設目標でバブル崩壊後に民間デベロッパーの住宅供給がダブつき不動産価格の下落状況で〇一年だったかに八萬五計画は九九年にすでに解消されていたと董建華が釈明。余りのいい加減さに市民の董建華への信望著しく下落したが練氏は八萬五計画ぢたいバブル的発想で近い将来のバブル崩壊は予測の範疇にあり見事な数字掲げての将来展望など絵に描いた餅。この計画は実際には政府高官の厘瑞麟の錯誤。で実際の董建華の最大の失敗は「主要官員問責制」であると練氏は指摘。これは〇二年に董建華が行政長官に再任された際に打ち出した公務員制度改革。これまで公務員の「上がり」職であった各部局のトップを公務員制度から切り離し外部からの人材の登用など含め大臣のような職責としたもの。でなぜこの官員問責制が必要だつたかの背景はいろいろ言われるが一つは一般的に保守的な公務員と董建華の政策上の乖離がありその解消、二つ目は「短椿事件」などに見られた公務員官僚の責任感の低さの是正。短椿事件公団住宅の高層住宅がほぼ完成してから基礎工事のボーリングで杭打ちが規定の深さの半分だけしか行われずに終わつていたことが発覚。そして三つ目は陳方安生女史の公務員のトップである政務官としての役割とその管轄の広さと監督権限の大きさに対して北京政府が難色示したことによる公務員制度の見直し。このうち一つ目と二つ目は実際に官員問責制にしたから解消するかといえば実際にはそうならず(実際に問責制で任命された官僚のうち財務官の梁錦松、ゲシュタボ保安局長の葉劉淑儀、SARS疫禍での責任とり衛生局長らが引責辞任)結局は三つ目の陳方安生女史からの政務官としての権力剥奪であり陳女史辞任だけでなく官員問責制の導入の際にそれまで政務官らに帰属の権力を行政長官に集中したこと。これで行政長官に秀逸なる行政手腕とリーダー性でもあれば結果オーライであつたのだろうが実際には董建華にそれだけの指導力もなし。董建華なる人はだが逆に私利私欲も権力欲もなく、この官員問責制も董建華本人の主意に非ず。政府行政会議長老格の鐘士元がこの制度導入を何度提言しても董建華はそれに同意せず、当時この制度改革の責任者であつた孫明揚もこの制度実施が政府内での孫のライバルともいえる曽蔭権に有利になることで孫は制度導入に積極的になれず。曽蔭権自身もそれまでの責任委譲された高級公務員制度からの改革には自ら手足を縛るようなものでけして積極的になれず。でなぜその制度が実施となつたかといへば中央政府による主導であつたから。では中央政府がなぜそこまでして陳方安生の更迭と政務官からの権力剥奪が必要であつたのか……は明日のお楽しみと練氏。で練乙錚氏の連載第九回(廿二日・信報)。九十七年の香港返還でのスムーズな移行の一つが公務員が何の変わりもなく留任すること。五十年不変の一つの象徴。で欧米マスコミが「香港の良心」などと賞める陳方安生女史も政務官として留任。だが中国政府はどうしても英国植民地政府から移行した高官への警戒心は解消できず。陳政務官中央政府にとつて最も大きな楔となつたのが九九年の法輪功事件であると練氏は指摘。マカオの中国回帰のこの日に江沢民マカオ法輪功のデモに遭遇。江沢民は「特区政府は国家安全を擁護する責任がある」と発言。だが陳政務官はマスコミのインタビューに対して香港では法輪功は合法的な組織であり香港の法律に抵触しなければ問題がない、と発言。これが死罪に値す。この世で中国共産党を公開の場で糾弾できるのは李登輝法輪功だけ(笑)。ブッシュですらテロと北朝鮮の脅威は指摘できても中国政府には敬意表す。自由や民主主義の標榜に比べ東洋型の宗教であり民衆の内心に汲み入る点で法輪功は中国政府にとつてやつかいな存在であり政府要人が住まふ中南海を信者で囲む暴挙など許せる筈もなし。それほど危険な団体を香港政府は放置し、その政府の責任的地位にある政務官中央政府を国家として重視せぬ状況。(結果的に陳女史更迭後の董建華の行政長官二期目で基本法廿三条での国家保安条例の立法化を董建華に急がせたのはこの法輪功対策の延長線上にあり実際にはその立法化失敗で董建華は大きな痛手被るのだがそれは置いてといて)。北京中央にしてみればこの公務員のトップである政務官への権力集中は放置できず。この政務官は英国統治時代は布政司。この「公務員の首長」の制度は中国でいえば歴史的な「宰相」に当たるもの。カナダでいえば連邦首相内閣秘書(内閣官房長官のようなものか、日本では議員がこれに任命されるが)がこれに該当し、英国では内政については財政部常任秘書。中国では宰相。中国では君主(王室)権と宰相(政府)権が画分されており皇帝が行政権を宰相に委譲することで宰相は行政実務に絶大な権力を用いてこれに当たる。中国でいえば党主席と国務院のような関係。有能な高級官僚のうち最も秀でた者を宰相に据えることで国家の安泰と繁栄あることは中国の歴史見れば明らか。で香港特区政府の問題はこの宰相にあたる政務官から有能な人材を駆逐し更に政務官の権限を制限し行政長官に任せたこと。