富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

六月廿日(月)蹴球はコンフェデ杯で日本が希臘に勝つ。オッズは希臘が1.9倍、日本が3.65倍で「よくて引き分けか」と思ひもしたが引き分けのオッズが3.1倍と日本の勝ちよりオッズ低く愛国心に駆られ日本に賭ける。当然、点数が入らないと勝てないわけで珍しく「先制ゴール選手」も賭けて柳沢君7.5倍、大黒君9.0倍に賭ければ大黒君でこれも的中。W杯予選の北朝鮮戦と先日のコンフェデ杯墨西哥戦での損失を一気に黒字転換。蘋果日報紙創刊十周年。十年前に黎智英氏が新聞創刊に挑む。黎氏は天安門事件に触発され『壱周刊』発刊し当時の首相・李鵬を名ざして非難し気骨ある姿勢見せ当然この蘋果日報も97年を前に香港の自由な言論の擁護する姿勢は明白であつたが十年前に創刊の時は蘋果を一個ずつ配り暫くは確か2ドルだつたかで新聞業界に殴り込みかけ鮮烈な印象。この新聞が中国政府に対して厳しいことはわかつていたが蘋果日報の存在がここまで大切になると恐らく黎氏も含め計算違いだつたのは香港政府のあまりの粗忽ぶり。これで毎日、新聞の頭巻記事のネタに事欠かず。早晩にジムで一時間の有酸素運動。帰宅。ドライマティーニ一杯。夕餉。ケーブルテレビのナショナルジェオグラフィック局で先週「ファラオの記憶」といふシリーズだつたか埃及の古代王朝の特集ありビデオに撮つたツタンカーメン王の死の真相に迫るといふ王の骸のミイラ化学分析と王の面構えの復元の番組見る。十九歳で亡くなつたといふこの若き王も死骸をば数千年後に人々に曝されさぞや恥ずかしからう。謎は謎として見事な黄金の棺に眠る謎多き若き王としておいて何故にいけぬのか。一九二〇年代に英国の「学術探検隊」によりこの王の墓が暴露された段階でもう終わつているのだが。だから今は堂々と科学分析など可、といふところか。それにしても王の御面を再現したところで若き美貌の王は後頭部がやたらと出て(それが当時の埃及の王家の遺伝によるものらしいが)アイラインとマスカラべつたり。紅顔の美輪明宏かピーターの如し。昨日香港大美術館で購入の鄭寶鴻氏編集の『香江道貌〜香港早期電車路風光』といふ歴史写真集を眺める。鄭氏の歴史写真蒐集は高添勉君も驚くほどの充実で今回の写真集はその膨大な写真から市街地走るトラムに視点あてたもの。ハッピーバレーから見下ろす銅鑼湾など興味深き写真多し。
▼香港にも何軒かある永和豆漿。余も北角のこの永和豆漿でよく豆乳購ふが永和はもともと台湾は台北郊外の地名で永和豆漿といへば「名古屋ういろう」とか「揚州炒飯」と同じ地名+普通名詞にすぎぬが台湾で1985年に林丙生なる商人この永和豆漿を登録商標とする。商売が当たり95年には中国でも永和を商標化。フランチャイズで営業拡大するが96年に上海に「永和豆漿大王」なる店が出現。この大王にしてみれば永和は地名で豆漿は普通名詞で何も問題はない、しかも永和豆漿に対して永和豆漿大王とすることで永和豆漿とは明らかに別の名、と。それに対して永和豆漿は「北京餃子」などと違い、もともと永和は豆乳が名物であつたのではなく創業者の林氏が永和豆漿といふ商品名を考えたのであり大王はそれを侵害と訴える。結果的に両者和解するが永和豆漿がフランチャイズで店を広げれば当然そのフランチャイズにあつた店が独立を狙ふわけで今度は「永和新一代」が登場。ここは商標について全面的に戦う姿勢で目下、永和豆漿が百二十軒、永和豆漿大王が八十軒で新参の新一代永和も廉価路線ですでに十数軒だとか。
▼香港鼠楽園の九月開園にあたり地下鉄などにも宣伝多し。ディズニーの戦前からの文化帝国主義に異を唱える余は当然これに全く興味もないが香港の鼠楽園の宴会部門が結婚坤披露宴のメニューにフカヒレ加えたことで自然保護団体が反発。鼠楽園にフカヒレ用いぬこと求めるが鼠楽園側は結婚披露宴のメニューにフカヒレは欠かせず、但し鮫の生態保護重視しフカヒレを選ぶ披露宴には鮫の保護訴えるパンフレットを渡す、と何とも中途半端な対応。保護団体はフカヒレが中華の伝統的メニューであるといふ鼠楽園側の説明に「それぢゃ東京の浦安デズニーランドで鯨肉バーガーを供するか?」と反発。フカヒレの問題は文明的な欧米人にすればなぜフカヒレは出汁をとるでもない無味乾燥でスープにいれずともよいぢゃないか、と思うところ。だがこの記事(紐育タイムス)にもあるようにアジアの野蛮な美食家にとつてはフカヒレの食感は何ものにも代え難し。美味なるスープにその食感添えることの何と贅沢で野蛮なことか。
▼中国で政治的に言論抑圧されていること明白な事実だが最近興味深きことは土地の強制徴収に対する住民の反発。とくに農地を工業地にするケースで農民がピケを張るなど政府の強行に断固反発する姿勢見せ殊に老年層が政府権力恐れず立ち向かう様。紐育タイムスが極東版の一面で伝えるのは、この問題の深刻さ。本来、農民や労働者ら下層階級を代表するはずの共産党が農民を敵にまわす事態。貧富の差の増大。この政治的な大きな矛盾は今後更に深刻になることは避けられず。
▼練乙錚氏の連載第七回(廿日・信報)。貧富の差と収入格差は物質的な社会問題だが、それに加え理想的な社会の建設には精神価値の重視も政府にとって大切。五年前、香港政府の中央政策組の首席顧問が鄭維健氏であった当時(現職の劉兆佳は鄭氏の後任)に香港政府は「第三部門」の設立のコンセプトを董建華に対して提言。これは政府と市場に対して市民運動など非営利の運動体であり、政府と市場(つまり財界)では満たされぬ多元社会で第三部門が補完する部分の重視。不信任が深刻になり始めた董建華はこの民生重視に関心をもつたが非営利である第三部門の活動には政府予算が使われることで政府内には財政赤字で被積極的な空気漂い01年に鄭氏が政府から離職し第三部門の構想は無に帰す。で結果的には財界とべつたりの香港政府が今日に至る。市民の信頼など遠き彼方。