富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

六月十七日(金)小雨。昨日のドナルド曽蔭権君の行政長官選挙「自動当選」につき今朝の新聞が軒並み巻頭一面大でこれ大きく報道する中で蘋果日報周星馳が米国娯楽雑誌“People”で世界のナイスな独身ベスト50に選ばれたといふ、つまりどーでもいい記事を一面大で掲載。明らかに曽蔭権君当選が御用選挙で報道にも値せぬ出来合であるといふ皮肉と解す。或る組織に招かれ香港歴史といふことで銅鑼灣の市街の変遷などについて話す。外での打合せ終え余りの暑さと汗、頭の切り替えでジムでシャワー浴び銅鑼灣の沖縄料理Enにて昼の組織の方らと会食。F氏のお笑い系の如き「べっしゃり」にかなり笑ふ。泡盛飲みながらのあつといふ間に三時間半。これで勢ひついてバーSやバーYへの梯子がここ数ヶ月のパターンであるが敢えて地下鉄のミニバスもある時間に帰宅。ここで深酒すると週末にかなり影響は承知の通りの話。
▼信報・林行止専欄に経済誌英国エコノミストの訃報記事あり。転載。南アフリカの、手術服纏つたHamilton Nakiといふ黒人。五月二十九日逝去。享年七十八歳。十四歳で社会に出てケープタウン大学医学部の庭師となる。1954の或る日、この日がNakiにとつて人生の転機、医学部の教員が動物実験にて長首鹿の生体解剖に力ある助手必要でNakiがそれ請われ、それ以来何かにつけ解剖実験の手伝い始め見様見真似で麻酔施し解剖も実際に執刀する様になり長年の経験にて肝臓移植の専門家となる。1991年に退職するが正式な学位もなく毎月約三万円の退職年金受け取るが、これは大学の規定で無学位の教職員に対しての最大の厚遇で南アフリカ政府よりNaki氏叙勲の誉に賦かりケープタウン大学名誉博士となる。話はこれだけに終わらず1967年に遡れば一人の白人女性ケープタウン市街での交通事故で脳死となる。心臓は損傷なく心臓病患者への移植試みられ同医学部のバーナードなる医者の手術チームが執刀。手術成功しバ医師は世界で初めて心臓手術に成功した医者の栄誉。新聞に掲載されし手術成功後の写真を見ればバ医師の背後に手術服姿のNakiの姿あり。実は手術室にてこの女性から心臓摘出はNakiの神業。だが正式な医者にあらぬNakiは而も黒人にて当時の差別政策にて黒人が白人の身体や血に触れること禁忌。手術後の記者会見にてバ医師が記者に囲まれ手術成功報告する時にNakiはバスに乗り帰宅の途につく。Nakiは当時、電気や水も通らぬ小さな拙家に住み収入の殆どを郷里の家族に送る日々。バーナード医師は世界的にも著名な心臓手術の権威となるが01年の逝去の数日前に良心の呵責から世界初の心臓移植での心臓摘出がNaki氏によるものであつた事実を公開しNaki氏の功績世界に知られたり。
▼練乙錚氏の連載第五回。中央政府の香港統治での錯誤は共産党教条主義と内部矛盾引き起こしての闘争性と指摘。党の指導と統一戦線が大事だが革命成功の曉には党の独裁と統一のため党内部での敵の量産と闘争あり。香港基本法は本来、党の教条主義や党政府の一党専政の良佳など含まず敵も右派も修正主義者もおらぬ全民政府の観念である筈が一昨年末から昨年春にかけての愛国主義論争の如く「愛国」が踏み絵となり全民をこの尺度にて二分する分断。でそこで大活躍が極左人士。本来、左派も左派本流にはかなり優秀なる人材もあり民生改善や世論の政治への反映など左派ゆへの力量があるが共産党政治の常で極左の台頭(練氏は名前挙げぬが例えば長老では徐四民でありネクタイ王クロコダイル曽や行政会議のメンバーである測量士・梁振英や御用政党民建聯の曾?成であるとか)が中央政府の後押し背景に力を有し影響力増し政府や議会にて内部の敵は誰れか?の無意味なる政治運動状態となつたことの悲劇。

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