富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

六月朔日(水)晴。程翔氏の中国での逮捕について香港政府は唐英年・行政長官代理(ドナルド曽蔭権君の行政長官「選挙立候補」で唐君が代理職)も保安局長・李少光君も、特区政府として善処はするが一国両制が原則であり香港市民も内地では内地の法を遵守すべきで内地での司法執行については一国両制で干渉できぬと宣ふ。唖然。一国両制は香港の自治を守るための制度であり香港市民が内地で検挙された場合に市民の人権擁護から善処する対応に持ち出す言訳に非ず。粗忽ぶり甚し。早晩にジムで小一時間有酸素運動。晩にZ嬢と香港文化中心にてクリストファー=エッシェンバッハ率いるフィラデルフィア交響楽団の演奏会。この楽団の首席オーボエ奏者リチャード=ウッドハムスでモーツァルトオーボエ協奏曲、そしてマーラーの1番「巨人」を聴く。すらりとした長身に痩せてはいるが音楽家でもフィットネスしておりますと言わんばかりに厚い胸板。蜷川或は辻村系の禿頭でフーコー髣髴させる日焼け。エッシェンバッハ君は若きピアニスト時代にカラヤン先生の薫陶を受け第二の師がバーンスタイン先生だ、というのだから。わかりやすい。モーツァルトオーボエ協奏曲。我はモーツァルト、殊に彼の協奏曲はとても苦手。あゝ次はこうか、そしてこうか、更にこう展開してこう終わる、といふあの世界。この楽団の演奏もそつなく肩の力抜けて練習曲、本日の肩慣らしの如し。もちろんウッドハムスのオーボエモーツァルトのこの曲を豊かに奏でてはいるが。でマーラー交響曲1番「巨人」。Z嬢が、彼女にとつてはエッシェンバッハはピアニストで昔たくさん彼のピアノ曲NHK-FMFM東京で聴いていたそうな。今日の公演にあわせ、この曲をあらためて聴こうと探したら我のコレクションにはマーラーの1番は若き小澤征爾ボストン交響楽団のLP1枚あり。小澤征爾らしい抑揚ある、そしてかなり飛ばした演奏の「巨人」を聴いて来た、とZ嬢。我にとつてはどうしてもマーラーはブルーノ=ワルターのあのマーラーはかくかくしかじかこうあるべき。それに比べると、このエッシェンバッハマーラーは余計な解釈も抑揚もなく、だがこの曲はこれほどハーモニーが流れているのかとあらためて感じ入つたのだが(悪く言えばポップス的)、その理由の一つは第二バイオリンが舞台上手、その隣りにビオラを配し、チェロとコントラバスを下手の第一バイオリン後方にしていることで、マーラーの1番で第二バイオリンとビオラがこれほどハーモニーに参画していたことを初めて知る。エッシェンバッハのもつとも彼らしい演出は勿論この曲だから出来るのだろうが、はい次はフルート、はいチェロ、オーボエと各パートの音の「出どころ」引き立てることで、もし自分がビオラ奏者であれば指揮者にあそこまでビオラに指示出されれば「それに応えよう」と演奏も奮い立つであろう。月並な言い方ではあるが楽団が指揮者の意のままに音を奏で、まるでエッシェンバッハという個体がひとつの楽器の如し。で彼の指揮であるが、師カラヤン先生から見れば「もっと格好良く指揮できるでしょう」だし指揮は大きいがバーンスタイン先生ほど踊るほど舞うほど優美な指揮姿にも非ず。指揮の姿だけでいえば尋常の指揮法から見れば、これほど逸脱した、いや逸脱どころか素人でもちょいと巧い人なら出来そうな、わかりやすい、単純な指揮。だがこの人のこの指揮で振られれば楽団の奏者であれば実に嬉しい筈。この十年、短距離の走法でも昔ならご法度のような走りが最速になるように、水泳も泳法が変わるように、指揮も奏法は変化して当然なのだろうが。それにしても第三楽章での導入での指揮は禅僧の如し。実に見応えあり。演奏が終わり万雷の拍手にエッシェンバッハは恍惚の表情。会場を出ると観衆が「聴かせていただいた」と実に満悦の笑み。帰宅してGlenfiddichを飲む。なぜGlenfiddichか、と言えばエッシェンバッハ率いるフィラデルフィア交響楽団モルトではあるが限りなく上品に仕上がったブレンドウイスキーに近い、とマーラーを聴きながら思つた故。音を言葉で表すのは難しいが、上出来のブレンド、例えばバランタインの21年とは違う。もっとクセがある。がシングルモルトの他を拒否するような個性ではない。わかる人はわかつてもらえるだろうがGlenfiddichの極めてあつさりとしているようで脹よかな旨みがあの楽団の今晩の音であつたと独りにんまり。
▼で、今回のこのエッシェンバッハ率いるフィラデルフィア交響楽団のアジア巡業。凄まじき日程。五月十九日東京サントリーホールでの馬友友のチェロでのドヴォルザークのチェロ協奏曲とマーラーの1番皮切りに翌廿日が横浜港未来で郎郎のピアノでチャイコフスキーのピアノ協奏曲1番と交響曲5番、廿一日が京都にて前日と同じ演目、廿二日サントリーホールに戻り郎郎とベートーヴェンのピアノ協奏曲4番とマーラーの5番、翌日同所でマーラーの9番、中二日空いて廿六日にクアラルンプールでドヴォルザークの謝肉祭序曲、郎郎のピアノでチャイコフスキーのピアノ協奏曲1番とバルトークのオーケストラのための協奏曲、翌日同所でリチャード=ウッドハムスのオーボエモーツァルトオーボエ協奏曲とマーラーの5番。翌廿八日は当日のシンガポール移動で晩に郎郎のピアノで廿六日のクアラルンプールと同演目、 廿九日同所で廿七日とオーボエで同演目、中一日空いて五月末日に香港文化中心で郎郎のピアノでドヴォルザークチャイコフスキーバルトーク、翌六月一日つまり今日がリチャード=ウッドハムスのオーボエモーツァルトオーボエ協奏曲ととマーラーの1番(今晩はマーラーは5番から1番となる)。で中一日で台北に参りオーボエは同じだがマーラーは1番。翌日同所で郎郎で横浜と同じチャイコフスキー2曲。中一日空いて六日にソウルで郎郎のピアノでドヴォルザークチャイコフスキーバルトーク、七日同所でヴァイオリンにデイビッド=キムでチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲とマーラーの1番でこのアジア興業終わる。五月十九日から六月七日まで二十日間で途中四日のみ演奏なしの十都市十六回公演。芸人の旅興業の凄さ。エッシェンバッハ、数年先まで予定びっしりで世界中飛び回るがマイレージも当然かなりたまるのであろうが使ふ暇もあるまひ。
▼二子山親方(元大関貴乃花)の逝去で過去の取り組みの名場面といふのがテレビニュースに流れ見て驚いたことは大鵬から北の富士北の湖高見山といった力士相手の大関貴乃花の取り込み、優勝の瞬間その全てを見ており、見た記憶があり、さらにその当時、誰と一緒に何処で、あーあれはとなりの八百屋「かまや」の茶の間でまだかまやのお祖母さんが元気なころで夏の暑い時期に……とか、北の富士の庇手があれは庇手ぢゃなく負けだよ、と我が祖母が憤慨していただの、さまざまな記憶まで蘇る。貴乃花、長嶋、王、江夏にボクシングの輪島功一くらいまではそういう記憶がガルシア=マルケス的にあり。それじゃ息子の貴乃花の連勝が、イチローが何安打打った時には?といわれると皆目見当もつかず。で今回の親方逝去での若乃花貴乃花兄弟のいざこざ、香港にいて二人の言動もわからずにいたが築地のH君より話を聞き、兄弟でどっちが喪主をするかでもめたことについて勝谷誠彦氏など「一般世間の常識で長男がやるのが当たり前。貴乃花の態度は非常識」だそうだが相撲界は「一般世間」に非ず而もわが国古来の常識では喪主は家長で家長が亡くなれば家長を継ぐものが喪主。部屋を継承せし貴乃花は「家督」を相続したのなら次男だろうと三男だろうと家長は貴乃花親方で長男の花田勝君は嗣子とはいえ廃嫡されたとすれば今さら喪主になり難し。貴乃花の言い分では先代は勝君(若乃花)に部屋を継がすつもりであったのに勝は勝手に協会を退職して商売を始めた人間であればオヤジが死にそうになったら急に舞い戻って遺産相続の根回しなど始めたのは許せない、と発言とか。平成の大横綱でありながら口下手で感情表現力が乏しくヘンな連中に騙され易い貴乃花親方が父の喪が明けぬどころか逝去から数日のうちに週刊文春で恥を忍んで兄をそこまで言ったといふのもよっぽどのことか。一方の勝君は「父からお前にまかすといわれた」とまるで華国峰ばりの遺言を披露。それにしてもこの兄弟、かつての印象といへば角界に育っても銀行員になりたかったという兄と華も相撲の資質もある弟で、どう見ても地味な兄と派手な弟であったが、兄は「あの人が」といふほど銀行員とは全く違うキャラを育み、華のあるはずの弟が天性の相撲の素質や技量とは裏腹に地味で口下手で自らの表現が下手と、全く逆。こういうものか。お互いが助け合い力合わせば、が理想的だが相克も甚だしくなれば悲劇はシェイクスピア的。蜷川先生演出で敢えて明治座で芝居にでもなる話。その兄の勝君の愛嬌もあり「銀行員になりたい」というキャラがH君は今にして思えば「つくり」だったのでは?という気がしないでもなし。あの朴訥で誠実そうなキャラが弟・貴乃花の相撲は巧いが感情表現乏しいのに対して花田家としては兄があの「お兄ちゃん」キャラ演じることで末は確実に各界の大横綱となる弟に足りない部分を填めて世間の支持を得るために編み出された人間像。それしても、とH君、この一家がちょっと前までは理想の家族像でおしどり夫婦の理想の子育て。それの「化けの皮が剥がれる」過程に世間の興味が集まらぬ筈もなし。この花田家に畏れ多くも天皇家、更に左でも大江健三郎ファミリーが日本の三大聖家族だったのも回想の彼方なり。

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