富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

五月廿四日(火)昨朝の雷鳴に続き今朝は未明から大雨に目が覚め眠れず。昼に金鐘の旧東京銀行の入つた極東金融中心(通称金色ビル)にある日本料理・四季に食す。金鐘の日本企業の「社員食堂」として一世を風靡。今でもこのビルに三井物産などあり日本人も少なくないが当時に比べ地場の者圧倒的に多し。夜もかつては残業に励む駐在員に賑わつたもの。早晩にジムで小一時間拳闘系有酸素運動に励む。帰宅。飲まずに帰宅したところで冷凍庫からウォッカ取り出しショットで一杯。夕餉。サントリー山崎のロック並々一杯。大河ドラマ義経』の録画二回分見るが出演者の戦に挑む際のあまりに鷹揚な演技に飽きて途中から転寝。演出上は中井貴一のあのキャラでの頼朝との対比なのかも知れぬが。日記記述中に二度もノートブック突然のクラッシュあり。前も数ヶ月に一度あったがやはりマッキントッシュのパワーブックとの併用=浮気で「電化製品によくありがちな」併用の旧機におきる不調だろうか。
▼中国の呉儀副首相の小泉会見取消ての急遽帰国。朝日は社説でも触れず(右派からはこれが「北京寄りの築地」の正体であろうし)産経が実に正論として吠えている(こちら)のは当然だが(右派的には主張は実に筋の通ったもの……実際の日本の姿勢と行動は別にして)興味深いのは読売が社説で吠えもせず、で何処に着目したかといへば呉儀女史帰国の理由とされた緊急の公務に関連させ香港電で23日の香港サウスチャイナ紙の記事から「北京郊外で家畜伝染病の口蹄疫が発生し数千頭の牛を処分」と報じ「中国政府は北京郊外での口蹄疫の発生を否定し」「中国メディアの記者は発生状況を報道しないように警告を受け」た可能性があり「牛肉や豚肉などの輸出に影響が出ることを恐れ中国当局が情報を隠している疑い」と。(こちら)これが呉儀副首相の急遽帰国の公務理由でなかろうかといふ扱い。偉大なる事実究明か限りない憶測か。だがこの分析での報道はヘラルドトリビューン紙も同じ。勝谷誠彦先生になると「SARSかあるいは私たちの想像を絶した病気があの汚穢国家では発生しても不思議ではない」とまで言いたい放題の断言。呉儀が大連に戻つたのは日本では通信傍受され疫禍について国家機密が日本にバレるため外遊続けるには北京に戻れず通信保全のため大連に寄り情報入手し事態検討と今後策協議の上、翌日から蒙古への外遊続けた、となる。だが気になるのはもし本当に口蹄疫の対策であるとしたら呉儀が緊急帰国することは国家機密扱いが寧ろバレること。だからそのまま信用もできず。ひとまず下記の記事を日刊ベリタに送稿。だが送稿後に中国外交部報道官が記者会見し呉儀副首相の帰国は「日本の指導者の最近の言論によって会談に必要な雰囲気がなくなったためだ」と説明し小泉三世との会談中止の理由が靖国神社参拝を含む歴史問題であることに言及。「緊急の公務」が帰国の理由と説明していた点も事実上撤回。これでこの記事の掲載見送り。気になるのは今回のやり方が大方の見方が小泉靖国参拝への反発であるとわかっているのに敢えて記者会見までして政府見解としたこと。明らかに対日関係悪化。寧ろそれを敢えてしたことに「実は帰国の理由は他に何かあったのでは?」と疑いたくなるほど。遅晩のRTHKのラジオニュースでは北京郊外での口蹄疫発生がその発生の事実を十日前に確認していた現場が組織的問題で上部への報告遅れた点にSARSでの教訓活かされておらぬ問題あり、と報道。
▼ヰリアム登β達智君がCCDCの舞踏≪鏡・花・圓≫につき厳しくも的確な劇評を書いている(本日の信報連載)。まずはシルヴィオ陳仲輝君による衣装について。同じファッションデザイナーがかたや舞台衣装の制作者とかたや劇評家の立場。第一部は日本の折り紙で始まり舞台には畳、舞者は柔道着モチーフにした衣装。この衣装が常識からすれば舞踏の衣装が「軽、薄、通」であることに反した厚い木綿生地であること。発想は自由であるが常識と奇抜さの難しい点を達智君は「蜜柑をいくつか買って来い、と言われて渡されたカネでマンゴー1個買ってくるようなもの」とたとえる。見事。で第二部のSMっぽい衣装につき達智君はフランシス=ベーコン髣髴と好意的なのだが余は寧ろ第一部の無印良品の如き衣装に比べこのSM衣装こそ陳腐と思えたもの。
▼余が好んだパシフィックコーヒーカムパニー、香港で三十九店舗の珈琲店あり、が香港の地場財閥・其士国際集団(Chevalier International Holdings Ltd)(こちら)傘下の其士科技により二億ドルだかで完全買収される。其士は日立だか東芝のエレベーター販売管理などで始まり創業主の周亦卿君は香港日本協会だかの会長。パシフィックコーヒーといへば香港では宿敵・星巴珈琲に対抗する地場企業。奇しくも星巴と同じ米国シアトル出身の青年が十数年前に香港でハイテク事業の傍らにサイドビジネスで始めた珈琲店。第一号店は確か美国銀行中心にあり。五年ほど前に星巴珈琲がマキシムチェーンの営業で香港開業。一気に市場独占かと思いきやパシフィック珈琲も健闘。記憶に残ることは七、八年前であろうか、中環ハリウッドロードに当時余のかなり好んだ独逸麦酒供すパブあり毎週土曜日ここに憩つたが突然の閉業(独逸人個人投資家の経営でバブル崩壊が原因)でそこに初めての大型店構えたのがこのパシフィック珈琲。中環の警察署向かいに今もあり。店内に重厚なソファ多く無料上網の電脳配置し寛ぎやすさは星巴以上。それが個人資本であったところが評価されたが財閥傘下の一企業となることは惜しいかぎり。

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