富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

五月十五日(日)馬鞍山で開催のRRAC Summer Run 2005なる10Kレースに申し込んでおきながら予定通り不参加で朝寝貪る。それにしても昨晩の同楽軒での葡萄酒の美味かつたこと。斉藤さんの話では葡萄酒だけで5〜6万円とられてもおかしくない、と。そりゃ美味いわけで、ちなみに名前失念がルイラトゥールのシャサーニュ・モンラッシェ01で次ぎがシャンソン(CHANSON PERE & FILS)のジュヴレシャンベルタン01で三本目がピーターレーマンのメントール99年。でご一緒したIさんは入江たのし氏。さういへば昨晩「同楽軒」の黒服サイモン君の指摘はサイレントウイツトネスはこれまでほとんど鞭打たれたことないので昨日は最後の直線で鞭打たれ驚いて「いったい僕が何をしたっていうのさ?」と驚いてしまつたのでは?と。確かに最後の最後まで引っ張ってゴール手前の競り合いで渾身の鞭であれば驚いた拍子に伸びたかも。それと昨晩は月佳し。見事な三日月。といふわけで本日。朝寝貪つたが天気予報は晴時々曇で雨の予想もあり出かけずにいたが晴れ間続き勇んで裏山上りパーカー山の峠から大潭下り島南の海岸まで走る、といつても気温摂氏三十度で流石に上りは小走りもできず滝の如き汗でじつくりと上る。大潭のダムも先週の雨で水嵩まして水満々と湛ふ。午後遅くまで曇もかかるが時折きれいに晴れる。海岸で村上陽一郎『安全と安心の科学』集英社新書さらつと読む。読了。午後遅く灣仔のジム。帰宅。夕陽に遠くは雨模様か雲映える。ジヤツクダニエルをソーダで二杯。ピンクフロイド聴く。ふと思い出すは中学の国語の教科書(光村図書)に川端康成の随筆あり川端先生がハワイのホテルで朝食の際に陽光が実に見事で一期一会と感じて云々と「さすがノーベル文学賞ともなると、これしきのことで随筆になるのか」と当時呆れたが我自身老いてみれば陽の光だの風だのと、それに一喜一憂する気持ちもわからぬでもなし。枝豆で麦酒。夕餉。昨日の同楽軒にて鶏料理の鼓油のみ「持ち帰り」として給仕にもかなり驚かれたが鍋で米炊いてその汁流し込みお焦げにすればやはり美味。菊正宗。先週録画の「義経」見る。村上春樹短編集続き読む。
▼四月十九日に北京天安門にて比律賓籍の男性死亡し妻重体。この男性シェル石油のマニラ会社の情報技術系の総合職にて四月十九日に天安門広場に観光でおり反日デモとそれ警戒の警察との間で何らか巻き込まれ死亡か。翌日には胡錦涛国家主席マニラ訪問にて比律賓政府も事荒立てぬが北京の比律賓大使館は事実確認求め折衝中。本日のSCMP紙日曜版一面トツプ。
朝日新聞読書欄に高橋哲哉靖国問題ちくま新書の書評は野口武彦氏。これほどの評者となるとまとめ方秀逸なばかりか本書越える含蓄あり。本書の論旨はまず靖国神社が戦死の悲哀を幸福感に転じる装置とし首相参拝に合憲判決一つもなきこと、そして靖国信仰の「死者との共生感」に還元する点がまやかしで実は天皇のために戦死せし霊のみ祀る実際。何よりも靖国信仰が戦死者とその家族にどんな安心立命と死後の浄福約束したかは明らかで神聖な境内に戦場の死者の霊魂迎え入れられ永遠に眠る、その安息感が純真無垢な宗教感情以外の何ものでもなきこと思えば首相の靖国参拝政教分離に反すること明確……とそこまでが本書への指摘なのだが野口武彦ともなればそこに+αが殊更見事で、本書のそれだけでは割り切れぬ点を指摘。本書の論理明晰でも土俗の匂いのせぬ点。戦前の招魂社の夜店見せ物の怪しげで猥雑な活気は確かに本書では把握しきれぬもの。つまり靖国「問題」ではまだ充分でなく靖国「感情」の「ドロドロとした低層から死者と生者が同一空間で行き交う精霊信仰の水の吸い上げ」に野口氏は着目。それゆへその泉に政治が手を突つ込むことの首相参拝の不純さを指摘。なるほどと納得。