富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

四月廿七日(水)雨。香港特区行政長官董建華君更迭での後任者の任期につき全人代常委が任期は董君の残余二年と決定。五年とできぬことの政治的背景を日刊ベリタに早晩送稿(こちら)。日刊ベリタに国王独裁で政治危機にあるネパールのカトマンズから小倉清子さんという記者の貴重な報道あり(こちらとか)。新聞や通信社のフォローが難しい現地精通の地元居住記者による記事で実に読み応えあり。晩にジムで一昨日に続き拳闘系の有酸素運動一時間。雨本降り。帰宅。名も忘れた葡萄酒の残り。蕃茄のパスタ。チーズ。食後にマッカランウヰスキー飲む。三晩続けてNHKニュース10見る。宝塚線脱線事故で実父の行方わからずと三日続けて創作現場だの遺体収容所を回る息子にテレビ局の記者「お疲れじゃないですか?」と声かける。「疲れたとか言ってる場合じゃないでしょう」と息子が答えたのは当然。狂ったマスメディア。ところで事故現場で作業のクレーン車に大きく中尾組というロゴが目立つ。どこの建築会社かと思えば奈良のここなのだろうか。台湾の国民党党首連戦氏の大陸訪問。本日南京の中山陵訪問。来賓として揮毫するが毛筆で「中山美陵」と書いた書の余りの拙さ。中共毛沢東、登β小平、江沢民と実に個性的な見事な書家続き。字は下手は下手なりに国民党は孫文もかなり下手だが太字で孫文なりの個性的な書。小泉三世の「郵政民営化ナントカ推進本部」の看板も下手だったが小泉君らしい髪型に似た癖字であれはあれでよし。連戦氏の下手さは中国で物笑いの種であろうし台湾にとっても国辱的。さういふ人を大陸に遣ってはいけないし連戦君に揮毫させたのは中共の策略か。あの字をみたら「共産党の領袖でよかった」と共産党の評価高まるかも。香港行政長官任期につき2年と決定の全人代常委の草案起草担当者がテレビのインタビューに答え「全会一致の賛成は香港のことを全人代常委が重視する証拠」と宣われ思わず眩暈。全会一致は中国が一党独裁ゆへ。半世紀以上法治もないと反対意見の存在の重要性も理解できず。登β小平の「求是」の言葉の意味も理解出来ておるまひ。日本の戦後教育は散々な非難受けるが少なくとも小学校の学級会で多数決で最後は決めても少数意見の尊重と反対意見に耳傾け善処することの大切さを教師から教えられ、学級会で全会一致などどんな議案でも一度もなかったのが事実。
▼廿四日逝去の中国の社会人類学者・費孝通教授について(信報訃報などより纏める)。1910年江蘇省呉江の教育熱心な家庭に生まれる。四歳で母親創設の蒙養院に教育受け28年に東呉大学進学し二年の医学修読の後に社会学に転じ北平(のちの北京)燕京大学社会学部に編入し33年卒業し清華大学大学院を終えた35年国費海外留学の資格得るが留学前に結婚し妻の王同恵連れ廣西省大瑤山でフィールドワークの際に道に迷った妻が虎捕獲のための穴に落ちて貯水にて溺死。費氏は帰郷し傷心癒し呉江県廟港にて一ヶ月のフィールドワーク終えて渡英。倫敦大学で人類学者マリノフスキーに師事。38年に呉江での調査に基づいた論文『江村経済』にて倫敦大学より博士号受ける。同年帰国。抗日戦争時には雲南大学、西南連合大学で教鞭をとる。43年に米国政府招聘巨樹として渡米。翌年帰国し清華大学教授。45年に中国民主同盟(民盟)に加わり49年の中華人民共和国建国で第1回政治協商会議に出席。56年に雲南省少数民族地区の調査。57年に反右派闘争で批判され研究活動から遠ざかる。78年に社会科学院に復帰。民族研究所を経て中国社会学研究所所長。80年に国際応用人類学会よりマリノウスキー名誉賞受け82年には倫敦大学清二経済学院より栄誉博士号受ける。87年に民盟の主席に就任。88年から98年まで全人代常務副委員長。96年から民盟の名誉主席。著作は『生育制度』『郷土中国』『郷土重建』『紳権と皇権』、訳書に『文化論』『工業文明の社会問題』など。代表的著作『小城鎮 大問題』で故郷江蘇省呉江に於ける郷鎮企業中心とした農村工業化のモデル「蘇南モデル」を提示。『中国農村の細密画?ある村の記録1935-1982』では「特定の伝統と環境のなかで成功した方法は、それと異なった伝統をもつ社会には移植できない」として中国には西欧的農業近代化モデルは適用できないと述べた(富柏村註:これが登β小平路線での「中国の特色有る社会主義」や中国独自の経済発展モデルと強く結びつく)。費氏の「小城鎮理論」は「離農不離郷」(離農しても離村せず)で農村の居住構造の変化は伴わずに小規模都市を形成することで大都市への人口集中を抑制しながら労働力を非農業部門に転移させようというもので、この政策が産業と就業の構造転換による農村問題(過剰労働力、貧困など)の解決を可能にする、とした。92年に発表の『行行重行行?郷鎮発展論述』は八十年代以降の沿岸郷鎮企業に関する優れた研究報告。邦訳が『江南農村の工業化?“小城鎮”建設の記録1983〜84』『生育制度?中国の家族と社会』など。02年香港バプティスト大学で「文化自覚と社会発展」と題した廿一世紀の中華文化世界のシンポジウムがあり費氏はその主賓に招かれたが老齢で来港出来ずリポートを提出。そこで「経済変化だけでなく社会の文化的変化は人類共通の問題であり生活に於いて文化の中にある人類にとって「文化を自覚すること」の意義(富柏村註:道徳であるとか公正、政治的思考など人には様々な価値基準があるが社会での<文化>の正しい自覚的理解の重要性について)を説く。香港の「一国両制」についてはその政治的意義ばかりでなく「異なる事象が一つの場所で相容れぬかどうか、(相容れぬ場合でも一つの場に異なる事象が存在することに)その文化的意義がある」と述べた。

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