富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

四月廿八日(木)曇。晩の工作任務の前に尖沙咀で晩飯済まそうとするが「一人飯」不毛の地尖沙咀で路頭に迷ふ。吉野家の牛丼も飽きて久々にミラマホテル地下二階の美食大都会にカツカレー食す。けして美味といふわけでないが尖沙咀のこの地で四星ホテル地下に廉価な食堂あることの不思議。午後十時に工作任務済ませ怠惰にタクシーで銅鑼湾。バーSに飲む。若者T君おり歓談。華南投資コンサルティングで著名のM氏おられ何度かバーSで尊顔拝したが初めてお話する。華南投資だの中国での会社設立や税制に全く無縁の余は日系企業の華南事情に精通するM氏になら、と尋ねたき事は「なぜ香港ベースの日系企業の日本人が広東省仕事に参る際に中国を「チャイナ」「チャイナ」と呼ぶのか?」といふこと。用例としては「道楽茶屋ですか……明日はチャイナなんですよね、まぁ八時だったら行けますよ」など。M氏との推測では「地場的には」大陸、内地、本土だろうがこれらの語がどこか偏見めいた響きあり「中国」というほど大それた話でもなく香港とて厳密には中国で、広東省が最も正確なのだが日本語でも「秋田に出張」とは言うが「秋田県に出張」とは余り言わない気もするし、それじゃ広東かというと広東だと広州の別称でもあり、具体的に広州、深セン、東莞と言えばいいが(M氏自身はこれを用いるそうな)香港から広東省への出張ベースだと深センか東莞かは千葉か幕張かくらいの違いで感覚的に厳密にわける程でもなく……で結局「チャイナ」といふ今ひとつ不明朗な、だが「香港ベースの華南ビジネスする人たちには符丁となる」この呼び方が普及しているのでは?と思える。ハイボールとロックで一杯ずつ飲んで三更になる前に帰宅のつもりがM氏との談話で十二時近くとなり自宅が同じ方向でタクシー同乗し帰宅。
JR西日本の機関士「教育」(こちら)まるで大西巨人の『神聖喜劇』。なぜ指差確認は右手じゃないといけないのか、数冊にのぼる反省ノートへの記述、組合所属者への冷遇、この再教育を苦にして自殺した運転手、「泣いてどうなるもんじゃあない。男は1人で解決せんにゃいけんのど」「もう運転士はできんかもしれん。辞めにゃあいけんかもしれん。上司に逆ろうたんじゃけぇ,戒告か減給は免れまい。下手したら懲戒で辞めるようになる」といふ台詞はそのまま大前田軍曹。結局この世の中を生きていくには『神聖喜劇』の主人公東堂太郎になるしかないかも。
読売巨人軍の低迷はまことに嬉しいが苦境に立たされるは清原選手。ナベツネが「だから言っただろうが」とご立腹も想像に易し。あるべき姿は松井でヒゲを生やしても好成績のイチローだから許される。清原君もこれで成績良ければいいのだが巨人軍最下位で昨晩は巨人軍の四番打者にあるまじき不調でチャンスに凡退に終わり六連敗。ナベツネはシーズン開幕前に紳士であるべき巨人軍が監督はヒゲを生やしたりするから選手に「金髪やモヒカンでもいいじゃないかという卑怯なスタイルが増える可能性もある」と苦言。何よりナベツネのお気に召さぬは清原君で「輝いているのは耳だけ」で「みんな(清原の)まねして耳ピアスということになりますと、最近、凶悪犯罪が増えて参りまして、中国の蛇頭というものがいて、耳ごと盗まれる心配もある。清原君は一見、強そうに見えるから、暴力団の方が逃げるだろうが。優しい顔をしている高橋(由伸)君や元木君がピアスをつけたら耳ごと盗まれちゃう。ご注意していただきたい」と言いたい放題(こちら)。だが不幸はナベツネの不安災いしての巨人軍の低迷。殊に清原の不振。これでは「だから言っただろうが」とナベツネがさらに言いたい放題になるわけで、だからこそ清原君には反ナベツネ的に頑張っていただきたいのだが清原復活すると巨人軍が最下位脱出してしまふか。
▼昨日の連戦君の「中山美陵」なる揮毫。やはり中国ではネットで物笑いのタネだとか。しかも本来なら「中山英陵」と書くべきところ「美」としたのは言訳的には孫文の夫人宋美齢の「美」の字を用いたとなる。しかもあの紙はどう見ても横に「陵英山中」と書くべきで縦に四文字綴った不幸。さらに指摘すれば連戰といふ名前で「戰」の字を簡体字で「占戈」にしたのも宜敷からず。この連戦書「中山美陵」の墨宝は中山陵紀念館に掲げられるそうな。後生まで「大陸に六十年ぶりに光臨の国民党の党首って人は字が下手だねぇ」と言われる悲しさ。ちなみに連戦君の中山陵訪問で孫文の書いた「天下為公」の四文字が掲げられる陵門がこの六十年間で初めて開かれ連戦君らそこから入場。その孫文の「天下為公」の下を通ってのあの「中山美陵」だったとは……。

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