富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

四月廿三日(土)晴。Z嬢の提案で香港大学裏の学長住宅まで十三番のバスで上がり引水路に沿って散歩コースで薄扶林に出てシャレでサイバーポートを馬鹿にして帰る企画あり。中環に朝十時、A嬢、M嬢にN氏と五人で集まり予定通り学長住宅裏から歩き始め「これ以上容易なお散歩コースはない」とタカを括って歩きだせば西高山の方に上る山道が地図には破線であるが実際には見つからず、どうも斜面土砂崩れ防止で混凝土で「整備」した際に上り口が塞がれたようで仕方なく少し後戻りして澤登り始めると雨降らずで水は殆どないが澤の高低差もけっこうあり道迷ってから西高山の山道に出るまで小一時間要す。香港トレイルのコースに出て昼すぎ薄扶林の村。今ではすっかり少なくなった密集型の集落。周囲の団地に囲まれ「開発」待つ運命だが、この村は罹災民村にあらず百数十年前に乳製品のデイリーファーム社が(このへんに牧場でもあったのか)職員住宅で開発した由緒ある村で、こういった集落にありがちな不審火で延焼しての「開発」は免れるのかどうか。村のなかを歩いてまわり(汚いが美味そうな食堂は満員)サイバーポートに向かう一行と別れ我一人バスで中環。サイバーポートはZ嬢の話では「かなり寂れている」とのこと。所詮無理な開発で独占開発権得た李嘉誠財閥は「ざまあみろ」である。中環で陳成記に食そうかと思ったが手前の京味居が土曜の昼で閑散としており京味居で川鹵麺(四川風鹵麺)食す。美味。着替えなど朝置いていった中環のジムでシャワー浴びて着がえ午後FCC。三、四日分たまった新聞読もうと持参したが読み出したもののドライマティーニ一杯でかなり睡魔に冒され「こりゃダメだ」とジンジャエール飲みながら結局三時間新聞読み。FCCを出て中環を歩いていて気になるのがもう半年以上あるだろうか「木村早苗」ブランドの女性用財布(偽物)を売る屋台。香港にありがちなコピー商品なのだが、そのオリジナルである高級ブランド・木村早苗ぢたい存在しない(だろう)。それでもコピーが商品価値をもつ、まさにマスクス的には物象化。でこれに誰か注目しているのか、と思ったら稚内の一戸先生……やっぱり。HMWでVCD五枚購入して尖沙咀ハイアットリージェンシーホテルのChin Chin Barで日本から来港の月刊『ハロン』の元編集長S氏といなご社長と再会。旧交を温めドライマティーニ。お二人に聞いて驚いたが成田空港の第一ターミナル、現在は南ウイング工事中だが、それが終わって、いつもキャセイで利用している北ウイングの改修工事始まるのだとてっきり思っていたが北ウイングは工事が終わった結果が「あれ」だと聞いてかなり驚く。あれでもきれいになった、と云う。三人で金鐘に戻りタクシーでハッピーバレーの益新飯店。かなりの繁盛。どうみても豪州人以外の何ものでもない男らとそれの見事に中国人の彼女らという連中が十二人卓で大騒ぎ。豪州人らしく葡萄酒がCloudy Bayなのは「なるほど」だったがすぐに二、三本飲み終わると近所の店から安酒持ち込み。さすが豪州人。タクシーでFCCに戻り葡萄酒Robert Mondabiの01年一本飲み散会。地下鉄で戻るがふと銅鑼灣で途中下車してしまひバーS。Auchentochanを味見してすぐ帰るつもりが畏友B君現れついつい痛飲。遅くに同席の御仁のClynelichの14年を味見させていただいたが美味かった。深更に到る。
▼中国政府は反日運動抑えにかかり広東九一八など反日網上論壇が接続不可と信報伝える。だが反日先鋒閲覧可なだけで十分といふ気もするが(笑)。それにしても昨日のInt'l Herald Tribune紙によれば上海では日本総領事館に向かった反日デモ隊が警察のパトカーに先導されていたと伝えていたが何らかの形で「盛り上げられた」デモに参加した若者らにしてみれば「ある程度の働き」終われば今度はデモ取締りされるわけで、この若者らの鬱憤が鬱積することの怖さ。この“In China anti-Japanese protests echo past”と云う記事(Howard W.French記者)は秀逸。今回の反日運動が国家的政治運動の文革髣髴させる点を指摘し「日本が戦争責任に対して謝罪せぬ」「日本の歴史教科書の改竄」が中国で非難されるが、この記事では、実際には日本の教科書での中国侵略について日本で加害者である点は明記されており、それに立脚した教科書が日本全国で多く採用され1%に満たぬ採用の扶桑社教科書のみ取り上げることの事実無視、日本政府の何度にも及ぶ謝罪の実績と日中国交正常化後の三百億ドルもの対中援助の実績を挙げ、そういった事実を無視して日本をいいように利用する中国側の問題を指摘。日本軍による侵略と中国市民の虐殺の事実は事実として中共による建国後の毛沢東時代の数千万人に及ぶ政治的死者の数のほうが被害甚大であること。こういった数々の矛盾が存在しながら反日デモが起きればそれを報道せずデモ収束図る時だけ公安が批准せぬデモ活動は取締りと報道するような姿勢。大きな矛盾が抑え込まれるばかり。本当に怖い。
▼昨日「謝罪」発言の小泉三世発言後に記者の質問避けられたが小泉三世が何か口にした映像テレビに流れ何を口にしたのかと思えば今日のSCMP紙によれば記者が「胡錦涛主席の会談で何を語るのか?」といふ質問に英語で「フレンドシップ、フレンドシップ」と答えたそうな。尤も最も大切な言葉のようでいて逆にとれば他に具体的に何を語るか日中両国の領袖とも他に具体的に語れる言葉がないのが事実。SCMP紙の政治漫画では小泉三世が「本当に申し訳ない」と謝罪の言葉、次のコマで「謝罪する」と頭下げるが最後のコマで「今回は参拝できず申し訳ない」と靖国神社に謝罪。事実、小泉三世ジャカルタで戦争責任と謝罪の言葉述べる当日に自民党中心に超党派「みんなで参拝する会」の代議士ら計八十八名靖国参拝。中国には理解できぬこの靖国参拝もわかり易く云えば公明党の母体が創価学会であるように自民党といふ巨大カルト宗教の宗教施設だと思えば理解に易いかも。この週末の中国での反日デモ再開を某日経新聞の社会部記者懸念していたがデモ開催は東京の反中国デモで二千人参加。台湾人の「台湾は日本を支持します」のプラカードの支持者も少なからず。だが当日台北では日本の歴史改竄反対の抗議デモもあり。世の中錯綜。
▼それにしても凄いのは小泉三世が戦争責任とお詫びをしたのがアジアアフリカ会議(バンドン会議)であること。この会議、世界史の教科書で周恩来が有名な、あの会議。ヘラルドトリビューン紙にも、アジア・アフリカの各国首脳が鳩る、こういった場で戦争責任に言及し謝罪することは極めて異例と書かれていたが、まさに。通常は相手国との首脳会談で言及されるべき内容。それを何故敢えて国際会議の主要国首脳のスピーチで。いくつも理由はあるが、何といっても国連常任理事国となるための各国の日本への支持を得ること。そして「中国にのみ」媚ぬ姿勢。普通に考えれば、あの場での戦争責任や謝罪発言は国辱的に恥ずかしいし避けたいところだが、それを敢えてやってみせた小泉三世といふ人は確かに凄い。常任理事国になるためにはメンツも捨ててあらゆる手段をとる日本政府の外交。小泉三世は首相在任の年数では吉田、佐藤、中曽根に続く戦後の四大首相の一人に間違いなくなるわけで常任理事国になれば外交的には「これ」といったものなき中曽根大勲位を抜き佐藤栄作君の沖縄の日本復帰すら陵駕するかしないかの成果。吉田茂による国際社会復帰の日本が戦後六十年で晴れて国連常任理事国となれば小泉三世はそれを完成させた大首相。小泉三世といふ人はまさに今それを狙える立場にあり。そのためならAA会議での戦争責任発言と謝罪など恥ずかしさやメンツどころでない。それにしても小泉三世がまだ厚相の頃に一人ふらりと歌舞伎座で芝居観劇。すぐ近くの席に我もあり、まさかこの人が首相になるどころか吉田茂に続く大首相になるとは思いもせず。

富柏村サイト http://www.fookpaktsuen.com/