富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

四月廿二日(金)快晴。今日こそ早晩にジムに寄り鍛錬のつもりが意気地なく一遊し帰宅。鮭の炊込ご飯。日本橋の「みかわ」で貰ってきた天かすで茄子の味噌汁。疲れひどくテレビでニュース見て転寝。久が原のT君にメールしていて父の疾病から葬儀、四十九日迄のこと思い返し我など父に添ふた母や妹と違い何もしておらぬ身ながら思い返せばこの間のこと小津的な風景に思えてならず。ただそれを『お葬式』に仕上げてしまった伊丹十三の凄さ。火葬が終わったあとの母の悲しそうな、だが喪主となり葬儀為切る母の美しい表情の写真をあらためて見る。T君が勘三郎の襲名披露二ヶ月観て最上の出来は今月の道成寺、と。あの若さでクドキが佳。團十郎の押戻が立派。母も賞めていたのは『毛抜』でT君はセリフの明晰は美事秀逸が奇蹟と賞められる。海老蔵義太夫物は何に難ありかこの目で見てみたいもの。玉三郎の八ツ橋がもはや大成駒などこの世に存在しなかったかの如く大和屋を楽しむ観衆か。大成駒ですら先代逝去から襲名まで十一年、その後も先代との葛藤の中で正面から自分を押し出して襲名した修行を思えば容易な襲名やこれまでの役者の存在をあっさりと否定どころか無視して個性創ることの容易さ。このT君の指摘は歌舞伎に限ったことに非ず。政治も同様。自民党とて三角大福までの役者揃いが先代の幸四郎勘三郎松緑までの時代で脇を固める役者も妙。(細川、村山は強いて言えば突然の東宝歌舞伎前進座の脚光か)当然のように当世の小泉三世や安倍二世の所作が前述の安易な先達否定どころか無視しての個性的振る舞い。小泉三世といへばジャカルタでの「村山談話での」戦争謝罪発言で明日にでも胡錦涛君と会談でひとまづ手打ちだろうか。客から木戸銭もとれぬつまらぬ大根役者の三流芝居でも中曽根大勲位宮沢喜一君ですら苦言できぬのが今日の政治的状況なり。

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