富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

四月十二日(火)曇。北京で外壁の看板を黒幕で覆った東京三菱銀行北京支店の写真あり。ビル管理会社からの要請でさうしたそうな。悪いことをしているわけでもないのに銀行名の看板を黒幕で覆うことが寧ろ後ろめたさの如く映る。下午下雨。任務に忙殺されているとメール届き誰かと思えば埼玉在住の齢九旬の大叔父より。大正四年だったかの生まれで間違いなく九十余歳。先日わが父の葬儀にお見えいただくがデジカメ持参でデジカメは手が震えても写真がブレぬから便利(笑)とおっしゃっていたがアドレス教えてといわれ最近はネットにハマっているそうな。敬服。早晩にFCCに向かい香港政府本部前歩いておれば「CS」ナンバーの高級車走り出て行政長官代理曽蔭権君の姿あり(翌日の新聞で演芸学院での観劇に向かふところと知る)。行政長官「代理」ゆへに行政長官専用車(自動車ナンバーなし)は使わず「CS」車で警察バイクの先導は一台のみ。曽君といへば7月の行政長官選挙での当選待たずに禮賓府(旧総督府)を行政長官官邸とするべく改修工事着工の予定とか。曽代理の「私人化」の動きに民主派など反発。旧総督府は97年の香港中国回帰の際に行政長官府とする案もあったが董建華君は総督府の植民地的色彩を嫌い執務は政府本部にで行い董君は自家所有の嘉慧園より通う謙虚さ見せる(当時これはかなり董建華への信頼と映る)。総督府は禮賓府となり迎賓館的に用いられる。曽蔭権君は当時、財政長官で山頂の財政長官官邸に住まい政務長官に抜擢されてからは更に山頂の政務長官豪邸に引っ越し。現在も此処にお住まい。で行政長官に当選の暁には禮賓府をば行政長官官邸にと所望。この計画だの董建華辞任をば伝えられた日の政府本部に入る時の口笛の軽率な所作といい(これは而も中国(仮の)国歌「義勇軍行進曲」を奏でていた、とそれも旧知の民主派議員に「暴露」して更に顰蹙かふ)世論は董建華君への不満とはまた違ふ意味で曽蔭権君への懐疑あり。FCCでドライマティーニ二杯。バーのモニタでテレビニュース見ておれば香港での反日の動き。抗議活動で常連の団体を除いて目立つのは「教育」の動き。教職員団体が学校で中学生らに歴史改竄反対などの署名活動行い、学生も日本総領事館に示威活動。市井の関心の(といふと誤解があるが具体的示威)低さに比べ愛国となると学校がその主体的な「教育」の場になるといふ事実。公教育が国家とどのような関係にあるのかが明らか。バンコクよりY氏来港。T氏夫妻、O君にZ嬢で中環の蓮香楼に食す。覇王鴨を堪能。歓談款語。FCCに飲む。三更に帰宅。
▼信報に鄭永年といふ人の「中国必須正視日本問題」といふ卓見あり。中日関係の摩擦ながら両国とも相手を制圧する如き野心はなく中日関係で何が問題であるかといへば最も重要な因素は米国の存在。米国は日本を利用して中国の覇権抑制をし、日本は米国を利用して所謂「中国脅威」を防ごうとする。米国は中国が潜在的敵国であり日本の歴史問題など重要でない。日本にすればその米国が支持することを背景に歴史認識などで強硬論、と。つまり歴史認識問題の解決は中日関係の正常化にはけして有効でなく、中国にとって最大の脅威は中日関係での歴史認識でなく、中国に対抗した米日連盟の動きだ、と鄭氏。かうして視ると、中国が日本の真の意味での外交政策上の独立を求めることが的確。御意。結局、日本の対中政策の強行な動きは日本が「普通の国」としての正常な独立性にあらず米国の先兵としての所作。それを行う政府与党の輩はまるで日本が自主的であるかのように詭弁極まる。
深セン市の許宗衡・常務副市長が深センでの反日デモについて中国人には「デモ活動の自由」があると公言。笑止千万……だが確かにデモするのは自由、で結果は不自由か。
▼小泉三世といふ人まことに奇妙。このところの中国での反日感情高揚の一つの大きな原因に小泉三世の靖国参拝があるのだが例えば今日のSCMP紙でも一面トップ記事の大見出しは“Stop the violence, Koizumi tells China”と、これの印象だけでは感情的な暴力風潮の中国に対して小泉三世は冷静沈着呼びかける良識派と映る。欧米人にはウケがいいのもこの人も特徴。欧米人でもかなりリベラルな人が小泉評価するを何度か見受ける。具体的に何が支持できるのかと尋ねると今ひとつ明確な答えなし。結局は山田洋次の侍映画の主人公の雰囲気投影だろうか。
▼ここ数日「歯に衣着せぬ」陶傑氏の蘋果日報随筆が勢いづく。この人の面白さは徹底した個人主義と教養。烏合の衆的なるものへの徹底した罵詈。昨日は民建連の土共分子・蔡素玉女史に対して蔡素玉本人を罵倒するだけならまだしも蔡オバサンが北角の福建人票を地盤とすることで陶傑氏の非難の矛先は福建人どころか北角。北角がかつては戦後の混乱期に上海から移民多くリトル上海の如く賑わったが(張愛玲の世界)六十年代の反英暴動では北角の中国国貨デパートと隣接の僑冠大廈が香港版紅衛兵の牙城となり軍警が鎮圧、今では土共議員選出の票田と化したことで北角を「小延安」とコキ落とす。銅鑼湾から太古城、西河湾まであれだけ都市発展する中でなぜ北角だけが取り残されたのか。陶傑はそれが北角に対する英国植民地政府の反英暴動での仕返し、で今もって北角はスターバクス珈琲もなければ有名な映画館皇都戯院が閉鎖されても新興のUA映画館が進出せぬように周辺からかなり差の目立つ経済不振、と。愛国、愛国と騒ぐばかりだから不毛、と陶傑氏「そこまで言うか」といふ程の筆致(といふのだろうか、これも)。今日の随筆も勢いあり。「寃枉南京」といふ題で、日本軍の南京大虐殺は日本の保守右翼が「南京は日本軍の侵攻に対して国民党軍が謂わば無戦開城したもので……」と述べること取り上げ(富柏村註:「だから大虐殺もなかった」と、この無戦開城=大虐殺はなかった、は無理もあるが)陶傑氏は李宗仁の回顧録引用しながら、そもそも問題は国民党が戦わずして南京を捨てたことに原因がある、として、結果的に日本の侵略にけして勝てぬまま所謂「戦勝国」となっただけであり、その国に対して日本が心から服するかどうか、と述べる。けして日本を正当化はせぬが中国の大国意識に対するこの苦言。
▼香港の無煙化目指す禁煙条例が立法会に提案されるまでわずかあと一ヶ月という時期に法案作成の政府福利衛生局の担当政務主任二名がいずれも休暇謹慎中。政務官といへば採用試験は数百倍の倍率の香港政府のエリート幹部で四十代前半で給与月額十二万香港ドル。一人は携帯のデジカメで女性のスカートの中を盗撮容疑で逮捕され、もう一人も会議中に政策上の口論となり部下の女性の腕を掴み殴打で調査始まり自宅謹慎。情けない限り。政府幹部で圧力の多い仕事ゆへ情緒不安定となり「魔がさす」といふ専門家の指摘もあるが理由にもなるまひ。禁煙条例など作るよか煙草でも一服して気をおちつければいいものを(嗤)。

富柏村サイト http://www.fookpaktsuen.com/