富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

四月八日(金)曇。摂氏廿六度。湿度八割。昏時タクシーでFCC。Z嬢と待ち合わせ。ドライマティーニ一杯。余は今晩もパスタ。Penneをマッシュルームのクリームソース和え。白葡萄酒一杯。固定のモニタテレビばかりか日頃はサッカーの国際試合でもないかぎり降ろさぬ大型スクリーンまで使ってバチカンからのローマ法王の葬儀生中継をCNN、BCCと地元のケーブルテレビで流すがどれもローマのテレビ局の独占中継の受け入れで画面は同じ。それぢゃ金曜早晩のFCCの酒場に混雑の客たちが神妙に葬儀中継眺めているかといへば否、否。殆ど誰も眺めもせず。食傷気味か。葬儀終わり会場を離れる各国からの弔客は弔問外交とはまさにこのことかといわむばかりに米国大統領から英国首相に仏蘭西大統領、チャールズ皇太子カストロ首相で台湾亜扁……とずらりと揃って会場離れながらの談議の光景。で日本政府はこの場に遣ったのが一応元外相の川口女史。国辱もの。各国のお歴々とは格が違いすぎ。失点5。Z嬢が小泉三世袴羽織だけは似合うのだからそれでハレの場に赴くべき、と。御意。ただ各国首脳と遭遇してもあの場は通訳だのおらぬから即興で会話できるだけの語力必要だと思えば小泉、首相経験者でも森は勿論のこと橋本も失格で当然もう引退させてあげるべきだが宮沢喜一君か格でいえば中曽根大勲位となろうか。本来であれば加藤紘一君が首相で皇太子殿下の随行で行くくらいであれば理想的なのだがさうもいかず。いずれにせよあの弔問外交のハレの場に世界で米国に次ぐ経済大国でありながら日本の元首か首脳格が存在せぬともいい現実。日本は世界でその程度の存在であることを真摯に理解すべき。歴史の教科書が被害者史観だの竹島だの尖閣列島がどうしたの南京大虐殺は捏造だの周辺諸国相手に精神論で国威発揚などしてる暇があるのなら「世界でいかに相手にされてないか」を見据えるべき。台湾が亜扁総統の弔問にあたり総統専用機に中華民国の誇る空軍の護衛機まで率えてのローマ入り。イタリアが元首訪問状もった亜扁総統の訪伊に国交がなくとも当然の外交儀礼で応え元首待遇。中国の非難にイタリア政府は亜扁総統はあくまでバチカン市国弔問が目的でありイタリアはバチカン弔問のためトランジットであると講釈も可。これが外交の視覚的効果。小学中学の子供相手に国旗国歌と押しつけるよか日の丸プリントの最新鋭飛行機から首相が紋付袴羽織でローマの空港に降り立ち颯爽と振る舞ってこそ国威発揚。Z嬢と地下鉄東涌線経由で葵芳。葵青劇院にて城市当代舞踏団(CCDC)の舞台観る。香港でそれなりに舞踏観てきたがCCDCの団員が踊る舞台は観ていても純粋にCCDCの舞台、この舞踏団の演出家Helen Laiの演出を観るのは初めて。葵青劇院の奥行きのある舞台空間を見事に利用して音楽も選択が秀逸(照明は今ひとつ)。衣装は畏友Silvio Chan君の常識的には体躯の線の見事さ見せる舞踏には凡そ似合わぬ弛いデザインの柔らかな生地で照明には全く映えぬ中間色で面白い。演じ手もいくつか見事な舞踏はあったし女性の踊り手の群舞など立派なものだが男の踊り手が独舞の場合誰が演じても何かにつけ「床に倒れて藻掻く」といふ体現ばかりが続いては飽きるばかり。この点だけが残念。帰宅してサントリーの角(淡麗白角ぢゃない黄色の角瓶)でハイボール。BalakirevのMazurkaなど聴いていたら芝居好きの知人よりメールあり昨日「口上で當十郎の言葉に勘三郎の義父である芝翫が涙拭っていたのが印象的」と余が述べたがありゃ神谷町は眼病を患い目の具合よろしからざるため頻りと眼を拭くが由。まぁそれも客席からは義父の感極まりと映れば役者か。ところでそう言われてふと思い出すは先代の勘三郎逝去の晩のNHKの「中村勘三郎さんを偲んで」の追悼番組。司会は当然の山川静夫でゲストが神谷町。その時の神谷町の余りに感情も表さぬ冷静な話しぶりに驚いたこと思い出す。昨日死刑判決確定のオウム元幹部岡崎一明の手記(前日の朝日に掲載あり)読む。禅寺の住職との交流で仏の御心に触れ被害者の冥福や人の恩など語る文章が、そのあまりの帰依ぶりに「これだから宗教罹った人は」と揶揄すればそれまでだが極めて純粋な人なのだろう。短い文章だがその文章展開は作文教室のお手本の様(だから荒削りでも人に感銘与えるといふ表現ではない)。岡崎君が描いたという墨絵も、これが強烈な色彩であれば一瞬、横尾忠則的な妙だがボタンの花と祈る僧侶のシルエットがあまりに素直すぎて見る立場の者の方が照れる。

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