富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

二月廿四日(木)本降りの朝。集合住宅の玄関に出ずれば床は盥の水を撒いた如き湿気。階段降りるのに「地滑小心」気を遣ふ春の到来。昏時にタクシーに乗れば偶然にも三度目か乗車の運転手。先方は余を「フィリピン人かと思った日本人」と覚えており余は民主党員として香港の政治を憂ひ陽気で話好きはいいがいつも話題は「なぜ人は自殺するのか?」をば語る運転手ゆへ忘れもせず。これだけタクシー多き香港で三度目の偶然も珍しいが運転手には運転手の漁場のポイントと時間あり余も同じ頃に同じ場所から搭ること多ければ遭遇は必然的か。携帯電話の会話とウォークマンのシャカシャカといふ音にうんざりとするほど混雑で不快な地下鉄で余の目の前の女性が手持ちの紙袋破けて細々とした中身が地下鉄の床に散乱。香港とは面白いもの。地下鉄のなかの無神経そうな乗客が一転して、その女性が惘然とするなか目の前に坐った女性と隣の男性がさっさと荷物拾い始めその隣の客が荷物のなかから余った袋出して一瞬のうちにそれを収拾するうち地下鉄は尖沙咀につき多くの乗降客あれば扉近くの男が屈んだ男女のところに乗客来ぬようにして数十秒にて何事もなかったかのようにまた携帯電話とシャカシャカのうるさい車内に戻る。晩遅くAustin Aveの北京水餃店にて搾菜肉絲水餃麺と葱餅食す。汚い店だが味よし。店員の北京語の喧噪に麺啜れば北京の何処にでもある小店にいる如き気分。
▼信報で恩師?謝剣教授の随筆読む。珍しく可笑しい内容。正月に埃及から中近東旅行の謝剣先生夫婦。泰国の曼谷(バンコク)より開羅(カイロ)まで登場の埃及航空波音777機は中国の西北各省からメッカ巡礼に向かふイスラム教徒にて爆満。機内に華語解す服務員搭乗しておらず謝先生夫妻英語への通訳せざるを得ず。でこのイスラム教徒ら機内でも祈祷するのはいいが祈祷の前に身を清める必要あり問題は洗面所の狭いシンクで少量の水ではとても浄身できず。多くの乗客が祈祷の時間までにお浄めは済ませばならぬわ、洗面所は混雑するわ、そのうえ紙コップだの生理用品でトイレは詰るわ、お浄めの身体拭った紙ナプキンはなくなるわ、で最後にはエコノミークラスの5つの洗面所全て使用不可となりビジネスクラスの洗面所を一つエコノミー用に開放する応急措置。謝先生曰く問題はお浄めと祈祷の時間。飛行機で西に飛ぶ間もずっと北京時間で祈祷の時間に沿っていたのも興味深し、と。で埃及にてはナイル川の川下り。遊覧船でのbuffetにて中国の党政府の公用か中級幹部の男女の姿ありスープやサラダから食すが普通だが行列見た二人はいきなり肉のメインディッシュに飛びつきプラスチックの袋使って鶏や鴨の肉料理を確保し、それを卓上に置いてから改めて列に並びまた料理を皿に盛る。で彼らの去った卓上には多くの料理が雑多に残される。謝先生曰くこれだけ官も民も海外に出る時代となれば旅行でのマナーも常識もないのだから「旅行ハンドブック」でも作って旅券発給時に配るべきでは?と。そういへば昔々はジャルパックなど「海外マナー集」の如き小冊子あり。
朝日新聞天声人語といへばかつては短い文章で要領よく文章纏めるお手本で余も中学の頃に恩師K先生は学生に毎日「天声人語」だの「編集手帳」だの切り取り大学ノートに貼って要旨まとめ知らぬ漢字や語句まで調べる宿題を出す。毎日なんと面倒な、と思ったが今ではその三年間の作業はどれだけ意味があったか、先生が指定の角川書店『新字源』にどれだけ手慣れ今でも字引の扱いが易いことか。でその天声人語が今はとにかく内容も文章もかなり拙い事実。数年前に和歌山カレー殺人事件の被告の名前「真須美」を「真実は須らく美しい」と読み下し「須」は「すべからく〜べし」で抽象名詞の主語もヘンだが形容詞の述語には用いぬ常識すらなきこの書き手に呆れたもの。22日の内容(こちら)もチョコ「キットカット」が受験生に人気、と数日前の社会面掲載の記事の焼き直し。で受験生のお守りでは「米国ではうさぎの足、インドでは象の顔をした神、トルコでは青い目玉の魔よけが有名」とちょっと知識見せて「どれも土俗的な信仰や伝承を感じさせる」が「これらに比べると、日本で流行している受験のお守りは世俗的で」「キットカットのほかに、カールを食べて試験に受かーる。キシリトールガムできっちり通る。伊予柑食べればいい予感。本番前の食べすぎにはくれぐれもご用心を。」で終わる。何なのだろう。これで天声人語。「きっと過度」なノーテンキ、なんてね。
▼昔から朝日新聞の夕刊で(香港では衛星版だが)水曜日に加藤周一の「夕陽妄語」読めば翌日の吉田秀和氏の「音楽展望」が楽しみで、これが二日続いて読めることが朝日の朝日らしいところだったのだが吉田秀和氏が愛妻の死から今も筆をとれぬ日々続くのが寂しいところ。氏はお元気な頃に余の実家で営んでいた店に何度か訪れられ氏の熱心な読者である我が母はかなり喜んでもの。廿三日の加藤周一の「報道三題」も報道の自由に関して実に真っ当なこと述べているのだが果してどれだけの人がこの老知識人の言葉を真剣に読んでいるのかどうか。このままでは「いつか来た道」で不幸な未来、それを避けるためにも、と力説するが若い人は誰もそれを惧れておらず。で翌日(つまり今日)の紙面には吉田秀和にかわりピアニストで文筆家の青柳いずみこ女史の文章あり。ボレンボイムの弾くバッハの平均律、という文章はそりゃとても見事で、吉田氏ならバッハの思想とバレンボイムの思考で書くはずであろうところピアニストである女史は吉田先生意識してのことだろうが敢えて実に具体的にどの曲がだう、この曲がかう、と理路明確に綴る。立派。だがやはり吉田秀和「音楽展望」が読めぬ寂しさ拭えず。ずっとグールドの平均律ばかり聴いていた、と思ふ。バレンボイムのバッハ平均律を聞くべき。
▼広州の最も古い西洋料理屋「太平館」廃業。1885年開業。周恩来祝言披露宴も此処。格式ある料理屋だったが最近は二年前に開業の「東江」(音訳)といふ店が人気で太平館は下火。太平館を「居抜き」で開業の新しい店は歴史感じさせる木壁とアールデコの照明を下品な壁紙と鉄パイプ椅子に変えたとか。太平館は香港でも四店舗ある馴染みの老舗。その広州の本家本元の閉業残念なかぎり。
▼今週初めに香港政府政務司司長・曽蔭権君がラジオ番組で香港の出生率低下と人口老化の問題に対して多産奨励し免税特典など提案。これについて本日の信報は社説で経済成長と出生率低下は当然、今日に始まったことに非ず、移民に頼るべきところだが大陸からの合法移民はすでに来港の実質的な自由化で寧ろ移民定住数半減しているのが現実、となれば唯一の方法は教育熱で香港での大陸の子女就学を大々的に認め、それに付随して保護者の居住も認めれば彼らが香港で育ち今後の香港の発展に寄与するのでは?と。少子化老化になんら抜本的対策も見出せず、ただ外国人増えるのが怖い日本社会とは感覚の大きな差。

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