富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

一月四日(火)曇。大気汚染甚著。平日は毎朝新聞数紙購入の新聞スタンドに十日ぶりかで参れば新聞売りのオヤジに「無事だったか」と言われ何かと思えばいつも来る客がクリスマス後に現れぬと旅先で何かあったのではないかと気になると言われる。「日本に帰ってたから」とつい言って「日本人だったの?」と2年半で日本人とバレる。別にバレてもいいのだが記録更新ならず。昼にハッピイヴァレイの日本料理・慕情にて白味噌仕立の雑煮供さるる。年末よりの飲酒にさすがに本晩休肝をなす。
▼台湾財界重鎮辜振甫氏逝去。享年八十七歳。対中交流の海峡交流基金会理事長務め中共も礼尽す大人物。東京帝大卒。朝日に「日本の植民地時代、日本と関係が深かった富豪の家庭に生まれ」とあるが具体的には辜振甫の父は台湾総督府より専売品特権売買の認可受け土地開発などにも力入れ一躍大地主となり台湾四大家族の一と賞され軍事物資供給などまで幅広き商内にて子会社には所謂「慰安婦」提供業務までありその史実につき辜家否定も肯定もせず沈黙通したりと蘋果日報に記述あり。辜振甫東京帝大卒業後一九四七年には台湾にて台湾独立運動担う「台湾自治委員会」結成。国民党の台湾接収後に密告により検挙され二年余刑務所入り。出所後台湾セメントなど実業で成功し八二年に国民党中常委となる。李登輝と境遇近し。辜振甫同父異母の義弟・辜寛敏は台湾大学在学中に台湾独立運動に加わり日本に亡命し運動続けし筋金入りの台独運動家にて七〇年代一旦は台独の主張放棄し台湾に戻りしが八十年代後半に戒厳令解除後再び台独政党結成するなどして民進党阿扁総統就任後は総督府資政。辜振甫自身は台湾の有力な財界人にて李登輝総統就任後その人智買われASEANの台湾代表だの対中交渉といふ台湾政府の重要な役を演ずる。また演ずるといへば京劇の愛好者どころか自ら京劇団主宰し舞台に立つ玄人顔負けの役者であり紳士然とする上に教養その姿容貌に満ち溢れ若い頃の女形も美しく中共でいへばまさに周恩来に匹敵。信報に「深感辜振甫爲人處世自有其令人欽佩之處、其服飾儀容、表情聲調、語言修辭、使他在會見部屬訪賓之時、常態營造出融洽氣氛、加上他學識淵博、談吐平易、内力深厚、而又坦蕩明朗、雖身處上層政商關係之間、但在己趨複雜化的臺灣政黨權勢角逐中、仍態從容矜持、親切自在、贏得人前及人後之無比的尊崇 」と辜氏に仕えた陳自創なる人の追悼あり。辜振甫の人柄見事に著し墓誌にその儘銘むに値する名文なり。その陳氏綴るによれば辜振甫の伯父・辜鴻銘は清末民初の時代「怪傑」と呼ばれる程東西九言語に精通し林語堂孫中山孫文)をしてその英文造詣中国第一と褒えられたる文化人。辜振甫夫人は曾祖父が清末に溥儀の帝師(学問教授役)まで務め祖父の厳復は中国にて最初の英国留学生。

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