富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

正月初二(日)快晴。箱根駅伝テレビ中継あり。昼前に妹の自動車で家を出で一路成田空港。雲一つなき青空の下車内汗ばむ程。鹿島灘走る筈がカーナビ鉾田から橋本登美三郎とNHK海老沢勝二の故郷の町「潮来」抜ける路線選ぶ。何度でも綴るが海老沢NHK政治部記者となり同郷で早大政経学部同窓の橋本の知遇得る。日経の鶴田も茨城の出身。日本の報道の根本この茨城の田舎者らに支配されたと思ふと野卑な話。海老沢もNHK離れたくないなら会長職などに執着せず本来なら茨城に戻り受信料集金係にでもなり視聴者一人一人の苦言受け詫びを入れ受信料頂くべき。北浦から利根川渡り千葉へと入り国道沿いの何の変哲もなきラーメン屋にて昼食。今どき百円「おみくじ」が各テーブルにありいたく感動。箱根駅伝五区の箱根の上り坂。順天堂大学の選手の驚異的なる走りに驚くばかり。ハイライトとショートピース人の土産に購ふため途中の店に寄れば(実は免税店でもちゃんとハイライトもショートピースもあり「空港では売ってない」と云った某君に煙草税金計二千円請求したきところ)その店の帳場で景品は「ライターかタバコのどちらがいいですか?」と尋ねられタバコ買って景品「タバコ?」と思えば訛りで実は「たまご」。十一月に梅田の新阪急ホテルにてセイフティボックス利用の際に「ナマ物とかありませんよね?」と云われて以来の驚きに凍りついておれば半打入りのタマゴ出される。なぜタバコでタマゴ六個も貰えるのか、さすが千葉。やはりタマゴは取扱注意で預けるのか割れ物だから機内持ち込みか、身体検査の際にタマゴもX線通すのか、と笑っているうちに対向車と擦れ違うも難儀する、狐でも出そうな山道を越え全日空ホテルの裏に出て成田空港。検問は旅券見せ「ご出発ですか?」と尋ねられ「はい」と答えると「ターミナルは第1?第2?」で「第1」と答えるだけで通れるわけで、旅券と航空券すら提示求められず(といっても航空券ぢたい発券省略されているが)何のための警備かわからず。「ターミナルは?」と聞かた際に「第4」と答え警官が「えっ?」と退いたら追い打ちで「第4ですよ、第四インター」なんて答えるとウケるのだろうか。だが今どきの若い警官など第四インターぢたい知らぬかも。キャセイパシフィック航空521便。滑走路二十分も走り離陸。見事な夕陽背にした富士を愛でる。東都上空から銀座から皇居、新宿まで昏時の灯火に見惚れる。酒は黒松白鹿一合。機内で香港紙読みインド洋大津波での義捐金、香港ですでに三億ドル近くとあり。四十億円。大阪市程度の人口規模でのこの額。川瀬巴水木版画集『夕暮れ巴水』読む。リンボウ林望先生の詩が大正から昭和の近代の東都の風景の木版画に添えられる。実家に巴水の木版画あり。銀座と思われる昏時の市街にぼんやりとガス灯ともり「東をどり」といふ看板。その下に寿司屋の屋台あり。幼きころ暫く実家の玄関に掛けられ馴染みの木版画。だが版画サイトの巴水の作品集にこの作品掲載されておらず「なんでも鑑定団」的にヒヤッとするが唯一確かなことは昭和廿四年に故郷の町の商工会議所が巴水の展示会開催しておりその開催者の一人が我が祖父で巴水本人より入手のはず。このたび香港に持ち帰ることとすると老父にこの本も持たされる。うとうととしておれば侯孝賢監督の『珈琲時光』流れているとZ嬢に起こされ「これさいわい」と眺めるが三分ももたず再び寝入る。大塚英志江藤淳と少女フェミニズム的戦後』少し読む。恰度一年前の今日に成田より香港に戻る機内で江藤淳『妻と私』読んだ記憶鮮明。香港空港に着陸し僅か五分でゲートに繋がり六十五番とかなり遠方ながらさっさと入境手続きから荷物受取りと済みエアポートエクスプレスとタクシーで飛行機着陸から七十分後には自宅到着。さっさと旅荷片付け日常の生活に戻る。夜半の気温十二度と極寒なり。

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