富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

十二月七日(火)晴。湿度30%台と乾燥甚だし。風邪治りかけるが(といふより薬で無理矢理に咳だの発熱抑えており)気分爽やかならず。灣仔の華潤大廈の薬局に実家の父の漢方薬注文し支払い済ませ早々に帰宅。NHKのニュース10で偽札事件とかで昨晩「新しくなる前の偽物の千円札」といふ表現あり一瞬聞き流せるが「新しくなるまえの千円札の偽物」のことであり「旧券の偽千円札」のことかと納得。今晩のニュースでは「新しくなるまえの千円札の偽物」といふ表現に変わる。何も考えていないのだろうが聞いて言葉がわからぬこと多し。言葉の乱れなど苦言するのは単なる年寄りと思いつつ。
▼朝日の(国際衛星版では今朝)丸谷才一の月一連載「袖のボタン」に「釋迢空という名前」といふ文章あり。国文学の折口信夫歌人の釋迢空が同一人物だといふことを余は十六の頃だったか郷里の真殿皎といふ詩人に教えらたことふと思い出す。丸谷先生は「歌人たちはこれ(釋迢空)を単なる筆名と取って、折口を「釋さん」などと読んでいたらしいが、「釋」は浄土真宗で死者の法名の上につける語」と説明する。余がこれを知ったのは数年前に香港の日本人墓地の墓地台帳整理した折に戒名に「釋」が多く(「釋」などといふ姓がそんなある筈もなく)明治大正の頃の香港は本願寺あり浄土真宗の特有の戒名かと察す。でその時に釋迢空の名がふと頭よぎり折口(これも正確には「おりくち」で「おりぐち」に非ず)も真宗の信者か、などと思ったのだが、当然、死者のための名であり生前の折口が釋迢空という戒名つけることぢたいおかしいのだが、当時それ以上考えもせず。で丸谷才一富岡多恵子の『釋迢空ノート』の推論を引用。これは、藤無染といふ真宗の僧が折口につけた法名といふのが富岡女史の推理。折口は明治三十八年十九歳で國學院に入学した際九月にこの藤無染の麹町三番町の下宿に同居し二人は年末に小石川柳町の下宿に移った記録が折口の自筆年譜にあり。國學院に通ふのに麹町だの小石川といふのも不便な話だが富岡女史によれば折口少年十三歳の夏に一人旅の途中で九歳年長の藤に出遇ひ恋仲となり二人で旅を繰り返し同棲し(これが下宿暮らしにあたるのだろうが)二年後の明治四十年に藤の結婚で二人の仲破局迎える(藤無染は更に二年後に逝去)。と丸谷引用。ところでこの話も健全なる現代社会では犯罪。藤無染は少年僻愛の犯罪者にて折口は放浪癖のある不良少年。だが折口はその同棲の頃に五百首もの歌詠んだそうで、この少年期なくして折口の大成なし。キョービもはや折口のような天才の生まれる芽も摘まれるか。で丸谷は次に今年刊行の『初稿・死者の書』(国書刊行会)の編者・安藤礼二の解説『光の曼荼羅』取り上げ、安藤が無染が編著の『二聖の福音』といふ小冊子の発見し、真宗僧でありながら「新仏教」唱えキリスト教と仏教の結びつけなど試みたのが藤無染であり、恋人であり学識あるこの藤が折口に強烈なる刺戟与え、折口のキリスト教への生涯の執着も理解に易しい、と述べたのが安藤。で丸谷はこの二人の折口論を長く引用するのだが(実は余もこの二冊手許にありながら読んでおらず)で、丸谷先生は何が言いたいか、というと二人ともここまで折口を語っても「迢空」といふ名の意味には触れておらず(……とここで話は最初のところに繋がるのだが)無染が折口に迢空といふ名をなぜ授けたか。迢空といふ語はないが、「迢」といふ字は諸橋大漢和には「はるか、高い」の意で「超」に同じ、とあれば迢空=超空となる。「超空」は山魅。山の精で形は小児の如く一本足。喜び来りて人を犯す。夜に人の声でもせば山を飛んで来ることから超空といふそうな。で丸谷先生が想像した情景は「二人は山歩きを好んでしばしば山中を放浪した」が(ここまで事実)「そのときたまたま少年は片足を痛め」「それで年長者は彼を幼い山中の妖怪、迢空に見立て、さらに、上に釋とつければ絶好の法名だと言ったのではないか。いかにも若くして余を去る真宗の僧にふさわしい、哀れの深い冗談だった」と。想像の話が最後は「哀れの深い冗談だった」とまるで実際にあったが如し。いずれにせよ足を挫いたことが原因で絶妙の異名をつけた冗談、ではつまらぬ話。勿論、この超空なる山の一本足の妖怪に着目は丸谷先生の眼識。だが「青年が少年連れて山を歩いて少年が足を痛め」では二十年代のドイツの健全なる青少年育成のためのワンダーホーゲル(笑)。折口信夫には「餓鬼」についての考察があるが(餓鬼阿弥蘇生譚)ヒトをば魅了する精霊が餓鬼であり、「足を挫いた」などといふ現実的=つまらない想像ではなく「折口に魅了された」藤が折口少年をば「ヒトを惑わす餓鬼にたとえて」小児のような妖怪・超空といふ名を授け而もヒトの形こそすれ折口少年が超空ならもはやこの世のものに非ず、それゆへ「釋」をつけたのではなかろうか。それを折口自身が「超」より「迢」が詩情に富むとして、この無染に付けられた「釋迢空」なる名をば用いた、と考えたいところ。
▼最近つくづく大切だと思うのは、何か予約した際など相手の名前を聞いて書き残すこと、必ずリコンファームすること。昨日網上にてマカオのハイアットホテルに正月の宿泊予約済ませたがZ嬢の都合で年末に変更の要あり。予約変更をば電話ですれば、まず昼に予約確定と返事の来たにもかかわらずホテル側に予約の記録なし。理由尋ねればホテル予約係にてネット予約の担当者本日休みだそうで、それでは何故に自動的に予約確認できたのか、自動でできるならなぜネット予約をマニュアルで現場に卸す係が必要なのか、よくわからぬが電話に出た者はとにかく客室もあるので年末の予約を入れ明日に年始の予約取り消すから問題なしと述べる。念押すが「問題なし」とのことだがその電話にでた小娘のあまりにお気軽な感じがどうも信用おけず本日ネット上にはまだ年始の予約残ったままでホテルに電話せば年始の予約はあるが昨日電話での年末の予約など見あたらず。昨晩Sという娘に念押したがと言っても埒開かず電話にでた者が事情了解の上で年末の予約入れ三十分以内にメールで確認書送ると約束し実際に確認書届いたもののネット上では年始の予約残っておりもはやそこまで関与せず。ホテルといへば昨日もある人にザ・リパルスベイの料理屋ヴェランダの予約頼まれアメックスのペニンスラカードの特典で予約入れれば予約確認の電話まであり一瞬信頼したものの「はっ」と思いレストランに直接確認の電話せば予約入っておらず。アメックスの担当の者の名前控えてあり電話して「さきほど『リパルスベイの』と言ったがもしかしてペニンスラホテルの同名のレストラン予約してはいやせんか?」と質せば「はっ」と息が漏れ「あいすみませぬ」と。やはり。ホテルであるとかクレジットカードのカスタマーサーヴィスといった本来、接客専門の業に目立つこのテのたんに粗野粗暴な仕事ぶり。二つも三つも続くと不信感ばかり募り何事も怖くなる。
OECDの学力到達度調査でかつて優秀な成績誇った日本が数学六位で読解力で十位にも入れず(数学の一位は香港)(朝日)。NHKのニュースでテストの例を見れば犯罪件数のグラフを見せて犯罪が激増しているかどうか、その答えと判断の理由を述べる問題で、棒グラフでは昨年と今年の差が大きいが実は507と515だかで500までが省略され500からが拡張されたグラフで実は1.5%だかの増加率で激増とはいえぬといふのが答えだが日本で11%台だかの正解率。少なくともテスト成績がいいくらいが取り柄だった日本。成績も悪ければ何も残らず。文部大臣中山君は記者会見にて何のために勉強するのかの意義を教えていかなければならない、とか言っていたが答えは「国のため」だろうか(笑)。何のために勉強するのかなどどうでもいい話。教育というと日本は「意義は何か、目的は何か、達成は何処か」などの論議ばかり。単に面白い勉強をすること、勉強するに面白いだけの社会であること。学習指導要領で縛り国旗国歌だの愛国心だの徳育だのとタテマエばかりでは何も育たず。
▼昨日の新聞各紙に「請以新眼光看西九龍」“Striking the right balance is crucial to cultural project”といふ政務司司長・曽蔭権の文章掲載され何事かと思えば、西九龍の埋立地に政府推進する文化地区建設(こちら)に対してその結局は器作るだけで中身空白なる実情に否定的な世論高まる中で推進役の政府ナンバー2自身が将来に向けて香港を国際都市とするため必須の文化施設建設であり前向きに社会建設を、と提唱。これ読んだだけで結局土建屋儲かるだけで「だめだこりゃ」だが蘋果日報はこの曽蔭権の投稿の横に登β永鏘(David Tang)の英文の投稿載せる。DT氏曰く“Our artistic values will always depend on individuals, who will either evolve or not, and not whether there is a West Kowloon”御意。芸術など政府がカネ出して埋立地にオペラ劇場だのコンサート会場作ったからといって育つものじゃなし。倉庫街でもスラムでもヒトとタイミングの問題で何かが生れるだけの話。将来の子供たちに創造的な香港社会を、などと述べる政府だが土建政治しかできぬのならせめて西九龍の埋立てしまった土地はそのまま公園にでもしておけばいい話。

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