富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

十一月廿九日(月)快晴。昼にFCCにてWHOのアジア地区の最高責任者であるWHO西太平洋事務局長・尾身茂氏の講演あり。WHOは先週、近くインフルエンザの新たな大流行が起こる恐れがあり最大で世界人口の3割が発病し200万から700万人が死亡すると警告発したが、尾身氏は、このインフルエンザがSARSに比べても深刻なものである見解を示しSARSは結果的に約800名の死亡を出したものの動物の感染源が特定でき感染は感染者との至近距離での直接接触などに限られ特定のマンションや病院の院内感染など感染ルートの把握もできたことが被害を最小限に留めることが出来たが、それに対して今回のインフルエンザは鶏インフルエンザと言われているがすでにトラやガチョウなど動物間の感染が多種ありどの動物からヒトに感染するかが特定できず動物によって症状が異なっており空気感染で容易に拡散する。動物によって症状に違いがあったり鶏の間で感染が広まっても鶏肉の生産農場で従事者に感染がないケースや直接に鶏と接触の可能性のない小児に感染者が出るなど把握がかなり難しい。……といふ話を聞いて余はSARSの時はほとんど感じぬ恐怖感あり。SARSの時は特に日本の大騒ぎに「アホか」と思ったが今回は日本のあまりの関心の低さ。講演に先立つ昼食で隣席にDrという肩書きで医者とわかる若者おり食事中の気軽な会話で「インフルエンザと、よく医者の使うFluという名称はかんぺきに同じものなの?」など質問せば「厳密には同じであるべきなのだが、医者も含めヒトは風邪の初期症状の場合などにFluという名称を使う場合が屡々あり混用もなきにしもあらず」など的確に教えていただき、向かいの席の医者にも「SARSに比べ市民の関心が低すぎる」などと話しておれば、隣席の若医者は政府の衛生署の主任医師で而も昨年SARSの際には「疫埠」騒ぎで水際にあったであろう港湾衛生の専門医務官、向かいも政府の衛生防護センターの流行病学の主任医師で、かなりの専門家であったこと名刺交換で発覚(笑)。荷物多く一旦帰宅後に夕食前に近所のジムに参れば医者に会うのが多い日のようで政府の公立診療所の医師B君に会う。現場の医者の立場で昨年はSARSと対峙し今回のインフルエンザの所感問えば本当にこの流感爆発あるかどうか、爆発せばWHOの予測も正しいとなるが、最悪のケース想定と理解、と。だが実際に今年正月から春にかけてインフルエンザの流行あった折には医者の間では実際に流行した場合にSARSのような対応が実際には出来ないことでかなり不安あったのは事実とB君。自宅に戻りインフルエンザに対してのアルコール消毒必要と思いドライマティーニ二杯。居間の掛け軸を冬の落ち着いたものに替えようと豊山長谷寺観音菩薩のもの選ぶ。ビビムバ食す。ニュース見ていればウクライナの大統領選挙で国を二分するかの如き与野党対立。選挙の不正もあり。米国大統領選挙の伯仲といい高知県知事選挙といい、もはやかつての米ソ冷戦構造の如き資本主義と共産主義の仲良し時代は過ぎ去り、今の対立こそ根本的に相手の存在など全く認められぬ絶対的対立。インフルエンザも怖いがこれも怖い。怖いといえば日本で導入をば画策中の陪審員制度も怖い。真当な市民革命すら経ておらぬ国家は陪審員制度などやらぬほうがよし。あれは、それがいいのかどうか余はわからぬが陪審員が個々人であっても少なくとも基督教なら基督教という基本価値観があり、それに基づく正義であるとか公平であるとか、一応はそれが司法をば支配する中でだからこそ、一定の信頼?が置かれるのではなかろうか。国の普遍法たる憲法や現行法令の理解もじゅうぶんに為されぬ国家ではやはり怖いものがある。福島の大叔父八十八歳で逝去。父母の従兄弟にあたる方に書状認る。尾身医師の講演につき日刊ベリタに久々の送稿(こちら)。翌日の蘋果日報にこの講演「WHO、SARSが冬に到来と語る」と記事あり(唖然)。確かに尾身医師は講演の冒頭でSARSがまた発生する可能性もあるが感染者はごく少なく昨年の如き拡散はあり得ないことで極度の心配は不要、とわずか数分コメントしただけで「今日お話したいのは、そのSARSに比べもっと深刻なこと」とインフルエンザについて講演の大部分の時間耗やす。それがどうしてこの記事になるのか、さすが蘋果日報で、インフルエンザよりSARSのほうが記事として関心集めるといふ発想か。
▼かつての香港競馬花形騎手で現在は競馬調教師の告東尼(クルーズ)九肚山の豪宅に賊押し入りクルーズ調教師頭部損傷。これまでも落馬事故などで後頭部などかなりの治療受け骨もつないで形をば保ってきたそうで、それに重大な影響懸念されたが翌日の新聞報道によれば大事に至らず数日で退院、歩行なども可と。デットーリ騎手といい福永騎手といい死にはけして至らぬ幸運のようなものあり。それが天才の所以。

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