富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

十一月朔日(月)十一月朔日(月)薄曇。昼間、モンブランの万年筆を床に落とす。ひやっとするが書き味今ひとつだったのがインクの出も書き味もよくなり、こういうこともあるのかと安堵。金鐘の香港レコオドで発売なったといふJim Jarmusch監督の“Coffee and Cigarettes”のVCD探すとすでに売り切れ、と。香港でこの映画がそんな注目だったか。Z嬢と八十年代に東京で映画見ていた頃の気に入りがこれ……と昔話なり。昨日七歳のJ君に余の九龍バスのミニチュアカー見せたのが契機けでバスの話盛り上がり明後日香港離れるJ君にJ君の好きな九龍バス(こちら)のミニチュアカーを差し上げようとホンハムのバス乗り場にある九龍バスの顧客服務中心に寄るがその最新型バスはミニチュアがまだ発売されておらず。晩にアイランドシャングリラホテルにて蘇格蘭のモルト酒Glenmorangieの試飲会あり参加。……のはずがホテルのボールルームの会場、入り口で名刺渡して中に入るとスコッチモルトの試飲会にしてはやたら豪華な雰囲気あり「あれっ?」と思えば其処はSotheby'sの競り会場(笑)。「しまった、間違えた」としりあがり寿の地球防衛家の人々の如き動顛するがそれを外に出すと恥ずかしいので「いかにもオークションに来た」装い会場の展示された宝石など眺め(たふりして)あ、ちょっと用事を思い出した様装ひ会場出て試飲会(隣のボールルーム)に向かふ。Satheby'sといへば昨日だか自称「九龍皇帝」曽土財氏の街頭書画?が、かつては九龍の公共物に落書きするキチガイ爺さんだったのが何時の間にか芸術家となり、ついにSatheby'sのオークションに出されHK$55,000にて落札される。購入した人の名が「康さん」と云ふのを聞いた九龍皇帝は老人ホームで「きっとその康なる夫人は康煕妃の末裔に違いなし」とさすが(笑)。試飲会の会場に入ると10年物の薄目のオンザロックで喉を潤すところから始まりポート酒樽仕込み、シェリー酒樽仕込み、マデイラ酒樽仕込みと芳香しい酒を試飲し15年物へ、この酒造元の研究者の説明では15年以上の酒といふのは単に寝かせられいいのではなく品質管理も難しければ天候の具合に左右され樽からの蒸発もあるゆへに天に昇る酒分の多さからAngel's BenefitだのAngel's Shareとすら云われ珍重される。試飲はゆっくりと進むが余はケツカッチンがため給仕に請ふて先に25年物と白眉の30年物いただく。30年物となるともはや芳香などといふ世界ではなく純度の高いアルコール、アクアビット(神の水)とは本来このことかと納得。それにしてもワインでもそうなのだがなぜ酒の味を語る時にアーモンドだの、オレンジ、バニラ、シトラス、白檀だの土の香りだのと形容するのか余には解らず。酒の芳香楽しむ最中に「チョコレートの香り」などと説明されるとチョコでも混ぜたのかと想像してしまふ。同じテーブルにも何人か話したき趣味人いらっしゃるが先に座を辞し残念な限り。晩八時をまわり試飲会から失礼してタクシーで既に演奏始っているであろうToots Thielemansの演奏会のため市大会堂へ。五分ほど遅刻。ジャズハーモニカの名人Toots Thielemansの演奏は1982年にジャコパストリアスのビッグバンドにてシールマンスも競演。武道館の一列目中央の席にて高校の頃に太宰から安部公房、岩崎ひちろからジャズまで意気投合せし親友のO君とジャコとシールマンスの何とも形容し難いベースとハーモニカでの「掛け合い」を楽しむ。当時ですらステージにはジャコが手を引いて現れかなり年配だと思ったが今年実に八十二歳でいまだ現役。ハーモニカの演奏には更に円熟しそのまさに音色にただただ酔ふ。競演はピアノのKenny Werner氏。演奏会の前にGlenmorangieを小一時間で七杯も飲んでいるのだからシールマンスに更に酔ふ心地よさ。八十二歳。おそらくこれがシールマンスの演奏聴く最後になるのだろうか、と思えば歌舞伎でいえば大成駒であるとか先代の仁左衛門、ジャズでいえば勿論、その日本公演の五年後に三十五歳の若さで逝去せしジャコやその八十年代に「生き返っていた」マイルスデイヴィスであるとかの藝を髣髴。それにしてもシールスマンのハーモニカの音色にただただ聞き入るばかり。たっぷりと二時間。陳腐なる表現だが至極の時。アンコールでの一曲毎のスンディングオベーション。陽気な幼さすら見せそれに応えるシールスマン。拍手に応じて大切なハーモニカをば客席に投げるマネなど。まさか二十一世紀に入り香港でシールスマンの演奏が聴けるとは。しかも市大会堂といふまさにシールスマンの演奏キャリアと同じ時を過ごしたホールの、このモダンな様式がシールスマンに実によく似合ふ。帰宅して今晩試飲会にてカナッペいくつか頬張った程度であったがマッカラン酒を飲む。Glenmorangieは確かに美味いのだが「まろやかさ」は欠けており口直し。荷風先生の日剰読む。昭和廿三年の十二月ついに小林青年登場。小林青年の佑けで千葉の八幡に十八坪の住宅を購入。小林青年の登場は日剰の読者にとって荷風先生の生涯もそろそろ終焉に近づいたか、と思わされる。
▼築地のH君より米長騒動に関する紐育タイムスの記事が差し替えありと指摘受け見てみれば確かに28日の“Japan Emperor Discourages Overt Patriotism”が翌日“Japanese Emperor's Comments Cuase Stir”となり内容細かく見たが米長騒動での小泉談話など挿入された第二報で意図的な差し替えでもなかろうが、ならばなぜ第一報を消さねばならぬのか気になるところ。強いていえば陛下の“It is desirable that it not be compulsory”といふ御言葉が直接の発言から記事の地の文に入れ込まれたくらい。どうせなら米長皇室名人をば非難し罵声浴びせられる掲示板の書き込みに「感動しました。感激しました。陛下をご尊敬申し上げている人達のなんと多いことか。お言葉の深さを本当に肝に汲みいるように受けとめている。数々の書き込みを拝見して、心がひとつであるという氣が致しました」だの「開かれた皇室、明るい皇室、心温まる皇室。」といった名人の感動まで記事で言及し天皇ビーム浴びた日本人の思考回路どうなるかまで記事になると面白いのだが。
文藝春秋誌(十月廿八日号)にて和仁廉夫さんの、昨年秋に日本人集団買収事件あった珠海の按摩小姐に関するルポを読む。それにしてもこの集団買春の斡旋実施容疑で国際刑事機構より国際指名手配されている日本人三名は依然この会社で勤務中。ちなみに五人の日本人のうちこの三名の他の1名はフジモリ元秘露大統領。日本が中国との間に犯人引き渡し協定ないため、だそうだし、会社にしてみれば買春費用を会社から一括支払いしたとされる社員をばお白州に(巴里の国際刑事機構にお白州はなしか……)引き出すを許せば会社がこの集団買春をば認めたことになるのであるから社内お咎めなしなのだろうし、日本の警察当局も海外での売春行為は不問か、何よりも珠海が今ではこの「按摩」産業への依存度高く、とさまざまな「事情」交錯。

富柏村サイト http://www.fookpaktsuen.com/