富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

十月三十日(土)快晴。イラクの人質となっていた日本人青年殺害との報道あり。朝早く金鐘。M君と会い用事済ませピークの太平餐館?(旧ピークカフェ)のベランダにて朝食。昼前にもう一つの用事済ませ昼にかけピークの知人宅にてガーデンパーティ。午後M君に中環に送られジム。来週末の余興用に三鞭酒購いにワトソンズワインセラーに参るがLansonは扱っておらぬそうで思いっきりドライの三鞭酒欲すと余が言えばMoet&Chandon勧められモエの何処かドライなのかとわからずOliversにてLansonの黒帯四本購ひFCCにて土曜日午後のドライマティーニ二杯。新聞など目通し。夕方Robinson道のI氏宅。I君夫妻、O君、Z嬢らと来週末の余興の準備打合せ。三鞭酒四本お渡し。I夫人手作りのケーキと珈琲。居間よりヴィクトリア湾絶景(写真)。某客あり中環スンンレー街の蓮香楼に食す。七時で満席繁盛(写真)。梅菜蒸肉餅など食して思うは例えば日本で親子丼の具だけ食せば鹹さも甘さも強すぎるがこの店の味付けといふのは肴によし飯のおかずによし。今晩は行けぬと覚悟していた灣仔のアートセンターでのLaden2004なるダンスのパフォーマンスZ嬢と観る。小亜細亜舞踏網絡と称しChan Yu Chun(台北)、Natalie Cursio(ブリスベン)、Daniel楊春江(香港)、池田素子(東京)と丁永斗(ソウル)の五人の舞踏家による独舞と休憩はさんでの群舞。その順で最初どうなることかと不安だったかさすがに地場のDanial Yeungの登場からの三人の踊りが小劇場のわずか五十余名の観衆惹き付け群舞の良さは格別。期待以上の舞台。Danial Yeungの踊るための身体とそれと対峙する静体としての?曜君の舞台の対比興味深し。ジムに一浴。
▼一昨日の米長騒動はやはり陛下の御言葉に牴れぬことが得策と陛下には大変失礼ながらこの国はすでに陛下を象徴などと据えるは形式にすぎず、ただ戦後六十年培ひし「あるがまま」に徹す。読売産経は依然米長騒動には黙して語らず朝日も朝日にとっては陛下の御言葉は朝日にとって勇気づけられるものながら本日の社説にて米長愛国名人が園遊会といふ場で政治的発言したことの誤りに言及、陛下の主張は異例だが政府見解の通りで「天皇が政治に巻き込まれれば象徴天皇制の根幹が揺らぐ。園遊会発言を機に、このことをあらためて確認したい」と結局は「黙して語らぬ」と同じこと。つまり右派はなかったことにして但し東京都の強制は「行き過ぎ」で自重、左派は内心は陛下の御言葉に勇気づけられたものの陛下の政治利用避ける点では今後「陛下も愛国心の強制は……」に言及できず。そういう意味では陛下の存在が、天皇制といふものが日本にとって戦後単なる象徴のようでいて、形骸化しているとすら見えていて、やはり実に政治的に君臨していることの証であり、寧ろ平成になり今上天皇の存在が日本の政治にとってどれだけ抑止力として働くか明らかになる。今になって宮台真司の指摘する天皇の政治性、政治的利用価値について考えさせられるばかり。新潟の地震と日本人青年のイラクでの殺害の谷間にて米長騒動の風化進むのであろう。まほろばに将棋の駒が勇み出て天の岩戸に滑り倒けたり、か。
▼銅鑼灣の蘭芳街の角にバブルにて地上げの土地あり。バブル崩壊し数年更地のまま一昨年だか地盤工事始まるものの杭打ちからして音が弱々しく打つ杭も細く一軒家の如し。ようやく全貌現れるが銅鑼灣の一等地ながら両袖の「再開発」で地上げと撤退が噂される老朽化せし建物とファザードを形成する同じ高さの、しかもチャチながら五十年代の巴里の如き建築に「何を今更この建築がこの銅鑼灣に」と驚くばかり。デザイン的には個人的に嫌いぢゃないが実際に接ってみると様式の美しさは外見のみで実際の施工の拙さは空前絶後。三年経てば取り壊し要すか。最初からそれを見越しての建築なのか。

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