富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

十月廿九日(金)薄曇。朝刊(朝日)開けば思わず卒倒せむばかりに驚くは昨日園遊会にて東京都教育委員の愛国棋士米長某厚顔しくも陛下の御前にて「日本中の学校で国旗を掲げ、国歌を斉唱させることが私の仕事でございます」と述べ陛下に「強制はよくない」と苦言呈されしことと佐藤忠男先生の映画『2046』の映画評に「香港人の不安と痛み映し出す」といふ題に涙零れるほど。朝日新聞購読していてよかった、とつくづく感動(笑)。畏れ多くも畏きは天皇陛下の御言葉。昨日園遊会にて東京都教育委員の愛国棋士米長某陛下の御前にて「日本中の学校で国旗を掲げ、国歌を斉唱させることが私の仕事でございます」と述べるに陛下「ああ、そう」と先帝髣髴させらるる受け応えに米長某「頑張っております」と付け加え陛下「やはり、強制になるということではないことが望ましい」と述べられ給ふ。愚直なるはこの将棋指し「もうもちろんそう本当に素晴らしいお言葉をいただきありがとうございました」と低頭し謝辞。平成の歴史に残る場面なり(朝日)(映像)。ちなみに読売、産経の愛国両紙はこれにつき本日朝刊では沈黙。陛下の御発言について宮内庁次長園遊会後発言の趣旨確認し「陛下の趣旨は、自発的に掲げる、あるいは歌うということが好ましいと言われたのだと思います」と説明。これは「国旗・国歌法制定時の『強制しようとするものではない』との首相答弁に沿っており政策や政治に踏み込んだものではない」と釈明。久が原のT君の指摘通り「この明治維新以降天皇の口にせられし最も過激なる言」は先帝の二二六内亂の砌「朕自ら近衛兵を率ゐて鎮壓せん」と勇み立たせ給ひけむ先帝陛下逆鱗の言に勝れること数倍、殆ど比較にならず、と。確かに。時の宰相田中義一天皇に異言を咎められを辞したるの先例すら昨日の園遊会でのこれに比べれば軽し。T君察するに先帝陛下ならば何と仰せられ候や。たゞ無言で通り過ぐるか、さなくば「あ、さう」とでも流し給ふか、恐らくそのいづれかなるべく候。聖上のお言葉は無學代議士・小役人の國會答辯にてはなく候。その場しのぎの輕々なる言など、今上皇帝これまでの御生涯を鑑み奉りても、一つとしてこれあるべからず候。その發語に無駄なき御性情、また昨日席上にて御對話の文脈に則れば「強制でないのが望ましい」とは「現に強制してゐる」ことの婉曲なる御指摘に他ならず。この間髮をも入れざる陛下の機鋒の鋭さ、言語感覺の鋭敏さに對して自ら發する語のみならず相手の語の内實さへも斟酌なす能はざる將棋指し某の魯鈍さ、どうにもかうにもお話にもならずとはこのことに候、とT君。ふだんあまり覘かぬ2ちゃんねるでも珍しく横からチャチャも入らず米長某への避難と陛下への「見直した」といふ発言多し。ちなみに米長某のホームページには本人の「さわやか日記」も昨日のこと記載未だなくサイト上「世間様は私が一生懸命に生きているのを分ってくれている人の方が多いように思います。感謝。ありがたいことです。励みになります」と素直に喜びを語ったといふ名人(こちら)に掲示板も将棋名人に対して「最大の禁じ手」「誤手」などと辛辣なる苦言多し。本日は金曜日にて午後三時より東京都知事石原某の記者会見期待するばかり。官房長官細田某「象徴としてのお立場を十分にご理解になった上でご発言になっており、国政に関する権能を有しないと定める憲法の趣旨に反することはない」との認識を表明。話題の法相南野某女は期待に応え(笑)国旗掲揚国家斉唱を「自ら進んで行うのが望ましいと(いう意味で)おっしゃったのではないか」と見事なる発言、国歌斉唱時に起立しなかった教職員を東京都教育委員会が懲戒処分にしたことについては「個別案件にとやかく言うものではない」としながらも「一人ひとりの価値観(の問題)だから、自主性に任せていいと思う」と都教委の対応に疑問も呈すまさに右往左往。これについて文部科学相中山君「国旗国歌は強制ということではなくて、喜んで自発的に掲揚したり斉唱したりするありさまが望ましいということをお述べになったのではないか」と感想述べ東京都の教職員処分は「校長や先生は関係法令や職務上の命令に従う責務を負っている。思想や良心の自由が内心にとどまる限りでは保証されなければならないが、(不起立という)外的行為となって表れる場合は一定の合理的範囲内で制約を受ける」と指摘し 「校長が学習指導要領に基づき本来の職務を命じることは教職員の思想良心の自由を侵すものにはならない」と述べ法相とは異なる見解。首相小泉三世は本日午前皇居に内奏。気になるところ。自民党総務会長久間某は陛下の発言につき「非常にごく当たり前のことで、自然と強制でなく、みんなが国旗を掲揚し、国家を歌うことが望ましいと言われたのだろう。そういう雰囲気が出来上がるのが一番いい」と述べる。自民党としての「おとしどころ」はここか。あきらかに陛下の御言葉を歪曲した理解。陛下の「強制はよくない」は自然と国旗掲揚し国家歌う「それならそれはいいが」強制はよくない、つまり国旗国歌に反対する人もいても容認すべきことが大切、けして「みんな」と強いることへの苦言。イラクではアジア人の遺体発見といふ報に政府まだこれが日本人捕虜かどうか確認していない、と小泉三世。もし日本人捕虜殺害され陛下の愛国心強制反対では政府与党にとってダブルパンチ。都知事の記者会見(映像)。新潟の地震について述べ東京での災害の場合、ヘリポートなど東京のもつ救援設備、施設は規模が違うと地震たっぷり。だが素人目にも新潟の辺鄙なる地であれだけの災害。東京で同じ規模の直下型地震発生の場合、ハイパー消防だか百機以上の救助用ヘリコプターでどれだけ対応しきれるのか想像するだけで怖いものあり。朝日の記者の「米長騒動」についての質問に対して都知事「文相の発言妥当」と述べる。法相は「ピントはずれ」と苦言。ただし詳細わからず憶測で言いたくないと逃げ口上。東京都のことを「誰かがホウカ?して(←聞き取れず)言うのは」強制強制というが東京は強制じゃない。国が決めたこと義務として行っているだけ、と逃げ答弁。その「誰だか強制と言っている」のはまさに陛下のはず。わかっているのだろうか。陛下の逆鱗に触れ臣民としてどう謝するべきか。それにしても国が決めたのは平成15年の文部科学省初等中等教育局長による「学校における国旗及び国歌に関する指導について(通知)」によれば「学習指導要領に基づく国旗及び国歌に関する指導が適切に行われるよう指導をお願い」し「卒業式及び入学式における国旗掲揚及び国歌斉唱についても,児童生徒に我が国の国旗と国歌の意義を理解させ,これを尊重する態度を育てるという学習指導要領の趣旨を踏まえ,域内の全ての学校において適切に実施されるよう一層の指導の徹底をお願いします」というもの。具体的に学習指導要領(こちら)見ても国旗国歌への理解と普及期しているものの、だからといって各校に係官派遣し式の徹底的監督行い公務員の処罰までして、これ強制以外の何ものでもなし。ふだん国の政策だの権限などにつき言いたい放題で国ができぬから自治体が、と言ってはやりたい放題で、こういう時だけ国の方針にしたがっているだけ、と逃げ口上以外の何ものでもなし。いや、国ができぬから自治体が、は石原らしさか。組の総親分に「テメーのシマ、ちっと緊めておけよ」と指示受けて地元に戻りちょっとでも抵抗する輩をば半殺しにするほど痛めつけた挙句「親分の指示に従ったまでで」と言い逃れの如し。東京新聞の記者の質問に国立市のマンション建築問題に触れれば「あのマンションより駅前の並木通りに名前を言ってもいいが、と景観壊す「中華料理屋、中華料理屋」そこまで石原にとっては中国が迷惑か(笑)。記者会見のあまりの小市民性にしみじみと知事の「不安と痛み」感じ入る。紐育タイムスの本日朝刊はAP電(こちら)で「米長騒動」をば“Japan Emperor Discourages Overt Patriorism”と伝える。当然「国旗国歌は強制ということではなくて喜んで自発的に掲揚したり斉唱したりするありさまが望ましいということをお述べになった」とは受け取っておらず(笑)。早晩に大気汚染甚だしき灣仔。シーズンに入り本日蘋果日報にも運動靴の紹介ありし10K Running Pro Shop(かつて灣仔道にあったがGloucester Rdに移転)訪れ香港では珍しきアシックスの運動靴見るが代理店なき由たかだか運動靴一足がいくらレース用とはいへHK$1400だのの値段は法外。Tom Leeでピアノ楽譜など眺め余りの自動車の排気ガスのひどさにさすがにマスク要るほどの中を歩きProtrekにてMontrailの「マサイ」なるアフリカの土族の名をいただいたトレイルランニングシューズなど購入。狂気の沙汰のミニバスで中環。蘭桂坊は異教徒どもがハロウィンといふケルト族の迷習真似た節句遊びに混雑の気配。明後日に閉業のクラブ64訪れれば閉業惜しむ客で結構な繁盛(写真)。店の窓にチェ=ゲバラならぬ梁國雄君のサイン入りTシャツ掲げられるを見てこの酒場惜しむ気持ちより寧ろ歴史的使命終え潮時かと感じ入る。八九年の天安門事件のあとにクラブ64といふ意味深な名前で酒場が生れ梁君だの政治的青年やアート系の若者集い香港に貴重なる空間ながら梁君が立法会議員の当選せば「議員の飲み屋」であり実際に一昨日は民主党のマーチン李銘柱君や「大班」鄭経翰君らこの店訪れ惜別(李銘柱君ここでもやはり一滴の酒も固辞し「ハーゲンダッツの」アイスクリーム頬張る。クラブ64の筋向かいにXTCアイスあるにもかかわらず「あの」ハーゲンダッツなり)の写真を新聞でも見て、かつてのパリのサンジェルパンデプレの左翼思想家鳩るカフェぢゃあるまいし、寧ろ問題は梁君がチェ=ゲバラに代わりTシャツのプリント柄になるのは左翼の左翼的なヒロイズム。珍しく蘭桂坊に足踏み入れたので祝儀にと知る店のハッピーアワーにハイネケン一瓶飲みFCCにてドライマティーニ二杯。ラウンジの、確かに金曜晩にて酒場混雑するがあくまでラウンジの、三四人の客が黙って新聞読みワイヤレスヘッドフォンでBBCのニュース眺める空間で、余の隣の卓に中年の夫婦とその娘及び娘の親友らしき娘二人の五人現れる。十五、六の娘らの躾け乏しきこと言葉を絶する程にて粗野なるアメリカ英語にてクチャクチャと大声で雑談続け娘らの品位のなさより驚くは娘をば注意するなり注意せぬ迄も会話するなりもせず黙って寧ろ娘らとの会話避ける如く新聞にて顔を多い背中丸めて新聞読んだ「ふり」に徹する父親とやはり娘らとの会話ももてぬ母親。娘らも余があの歳ならさすがに親と話すことなど最も厭ふ頃だが親に料理屋に連れてこられれば努めて親との会話をした記憶あり。あまり娘らの白痴ぶりに呆れ、殊にそのうちの一人はソファにだらしなく身を擡げタンクトップは乳蔽すばかりでヘソと贅肉をば大らかに露出しだらしなく開いた口とラリってるのか潤んだ目差しは街に企つ売女私娼の如し。マクドナルドであるまいし此処は私人倶楽部であり娘らの資質など余は問いもせぬがそれを連れてくる中年夫婦の常識のなさに呆れれば新聞に顔隠したままの父親は論外だが母親がさすがに余の視線と遭って娘らに「少し静かに」と告げるがそれまでで結局会話もなにもなし。娘らの格好とその汚い英語使いから一見して島南の某校の学生かと察す。娘との会話すらできぬ親、親への気遣いもなき娘。地球崩壊の日も近し。父親の臆病ぶり特筆に値す。娘はときどき「いただきまーす」だの日本語用いて余計に恥ずかしき気分。帰宅急ぎタクシーに乗れば珍しく九龍見渡すほど視界広くビクトリアハーバーの上に十六夜の月愛でる。帰宅して浅蜊と茸のパスタ。最近気に入りのSalice Salentinoの赤葡萄酒(00年)飲む。NHKニュース10は新潟の地震のニュース特集。被害地の悲惨な状況。被害者がマスコミの共同取材に答え、最後に傍らの調整役らしきどこかの社の者に「以上です」と会釈して去ればレスキュー隊も同じくよく話すとしゃべりの上手さに驚くばかり。レスキュー隊、でよいのにレスキュー隊の隊員のみなさん、など「北朝鮮拉致被害者の人々の皆さん」の如き過剰表現、NHKの記者も「食事を食べ」など言葉もどこかみな不自然だが不自然であることに気づかぬ者も多し。余談ながら先日さる高名な国語学者の先生の手紙読み、その文章の句点の多さ、文脈の不自然さに驚く。ちなみに新潟地震の報道終わればパレスチナアラファト議長の危篤だかパリでの緊急治療のニュースで次がスポーツニュース。西武の松坂投手の結婚発表だかで松坂君も「結婚させていただくことになりまして」と過剰なる謙譲表現。新潟地震の報道長引いたことで而もアラファトの治療と松坂の結婚でイラクの日本人人質の件も当然のことながら「黙りを決め込む」ことが得策と判断されたであろう米長騒動と陛下のご発言など続報は報じられもせず。新潟の地震は悲惨だがNHKニュース10を眺めて思ったは、結局は地震の被害なき全国の茶の間に悲惨さ、悲しさを伝えるばかりで、実際に被害の問題点であるとか緊急救助についての提案などマスコミが本来すべき報道は皆無。ただただ現場の苦しみに耐える人々の映像垂れ流し。見るほうは「寒くなるのに大変だねぇ」「可哀想だねぇ」と画面見るばかり。NHKが偉大なるローカル局であることまぢまぢと見せつけられた感あり。晩にあらためて久が原のT君よりメールあり。以下編まず引用。
國歌・國旗と申さば、象徴たる天皇御自身の地位とも等しく、これに言及せらるゝには、陛下御自身細心の注意あられたるものと察し居り候。その言動に些か衝動的なる嫌ひもこれある東宮殿下とは異なり、今上陛下の言に輕率なるものこれまでに皆無なるは、貴兄既往お察しと存じ候。假令御逍遙途上偶然の御發語なるにもせよ、失言の響き感ぜられざるは、今上陛下生來の御言葉の重みと申すべきものにて候。それにつけても思ひ出ださるは、大東亞開戰當時を囘顧せられし先帝陛下の言にて候。曰く「あのまゝ開戰の詔勅を出ださゞりせば軍部のクーデター惹起して帝位も危うく、實に已む無き次第であつた」云々。先帝陛下の自覺の根源は、帝位を守るは即ち三種の神器を護持することに他ならず、國家・國民と神器とを等價に考へてをられしフシこれあり候。この點、科學者と言はれし評判とは凡そ對極的なる超現實的フェティシズムを、昭和天皇の内に感ぜざるを得ず候も、今上陛下にはこれまでさうした非現實性を看取せしことはなく候。思へば今上陛下は、取り卷く現實と御自身との距離とに鋭敏なる實感を抱き給ふ御方なるべし。その御方が、現在自民黨政權の強制せる國歌・國旗フェティシズムに對し疑念の語を投げ掛けられたるは、當然と言はゞ當然に候へども、この御態度の裏には、「開戰の詔勅を出ださゞりせば帝位も危うく已む無き」と「帝位」に執着せられし先帝陛下とは全く異なる、強き御信念の窺はれ候。國旗・國歌フェティシズムこそ、これまで天皇制のある面を強固に支へ來たりし發想にて、國旗・國歌に對しはつきり疑念を呈するは、すなはち、自らの「帝位」そのものに對する、舊來の天皇制護持者に對する、明確なる訣別に等し。恐らく今上陛下は時の政權・輿論の流れにも超然と、御自ら信じ給ふ自由主義的人間觀を貫かるべく、縱令、帝位・神器すら危ふくなりたりとも、それらの如きは弊履の如く捨てゝ顧みず、御自身の信念(と最愛の皇后宮と)を護り守りて國家に殉じ給ふ御覺悟なるべし。昨日の御發言には、愚生をしてかくまで思はする力あり。米軍の伊勢灣上陸の可能性に、先づ第一に伊勢神宮熱田神宮の護持を考へ給ひし昭和天皇とは、甚だしき相違と申すべし。天ノ岩屋戸以来の神器、萬世一系の神話ならで、「憲法=現實社會現前の常識」に從ひ、帝位の危ふきをすら顧みず天皇たる責務を全うせんとせらるゝ御態度、必ずや後世に特記せらる折あるべしと、さまざまなる思念浮びて未だに纒まらず、贅言三たびお耳に逹し納め候。
引用終わり。遅晩に米長名人の「さわやか日記」本夕に昨日の記述あったのを読む。将棋のことから陛下との会話始まり「現役はやめました。将棋盤を挟んで親子が楽しんでいる家族は幸せだと思います。将棋の普及に務めております。陛下のお正月の昭和天皇と皇太子殿下とご一緒の写真は大切な我が家の宝でございます」と述べ陛下より「教育委員として本当にご苦労さまです」との御言葉を拝し「はい。一生懸命頑張っております」と。ここに「日本中の学校で国旗を掲げ、国歌を斉唱させることが私の仕事でございます」と述べたことも陛下に「強制はよくない」と指摘受けたことことも一切なし。欺瞞にあらず。恐らく米長名人にとって二十四時間の間に余りの高圧が精神にかかり「日本中の学校で国旗を掲げ、国歌を斉唱させることが私の仕事でございます」と述べたことが記憶から消え去っているようなもの。その日記は最後に「開かれた皇室、明るい皇室、心温まる皇室。幸せな一日でした」と結ぶ。まさに憔悴しきった極楽。ランニングハイ。どこかでこの「開かれた皇室、明るい皇室、心温まる皇室」的な穏やかな天皇崇拝、と思えばこの感覚はまさに『近代の超克』の世界。昭和に入り教養人の知性に高圧かかり開戦でもって脳がイカれてしまひ転向といふには烏滸がましき思想なき、高尚なる、まるで母の胎内のごとき内で心地よく、畏くも天皇戴いたわが国に生きることの喜びなど語る、あの世界。昨夕よりさぞやお疲れなのであろう。
▼下述の『2046』の佐藤忠男王家衛にも況して遜色らぬ迷評論読んだあとに信報の文化欄に鐘寶賢氏の同じく映画評あり一読して溜飲下がる思い。映画監督でも王晶が大衆路線に走ったのに対して王家衛は藝術指向のマイナー路線選び、と語り始め、話は突然、この随筆の筆者偶然読むことになるDavid Puttnamの“Movie and Money”なる1895年の映画発明から映画界がいかに欲望、競走、欺瞞や裏切り、果ては暗殺まで映画に纏る暗き側面がすべてカネ絡みと暴露する書だそうで、なぜそれが王家衛に繋がるかといえば、筆者が銅鑼灣の書店で二年前の秋、偶然に王家衛とその連れの女性がいるのを見て、その女性が誰かといえば陳以新。王家衛は一九六三年五歳の時に両親と上海から香港に渡り父親は船員でそれゆへ王家衛の映画に南洋の街が旅人の宿として描かれるのに影響あり、と鐘氏指摘するが、母親に映画によく連れていかれた王少年は大学で設計学んだもののジーパン屋だのバーでバイト生活。偶然そのバーで知り合った客の女の子に失恋した王がヤケになり、偶然バーで出遇ったサングラスかけた女性がこの陳以新。陳は当時、TVBテレビ局のプロデューサーで連日の撮影に憔悴しきって夜もサングラスはずせぬにいたが、王家衛と知り合った陳女史は王家衛をばTVB局の番組製作部に引き入れ、王家衛と陳以新は結婚。王家衛テレビ離れ映画製作に乗り出すこととなり陳は王家衛作品のプロデューサーになる決意。一九八八年に『旺角カルメン』制作し(まさかこれが王家衛とは余は今日まで知らず)九〇年に陳以新が四千萬ドルの資金集め迷作『阿飛正傳』の制作に取りかかる。鳴り物入りで年末年始前に放映開始したがいきなりコケて十二館のみでクリスマス迎える。収益は伸びずとも香港電影金像奨で5部門で金賞とるなど評価あり映画界で王家衛の作風が定着。それ以降『2046』の今日に至るのだが、筆者が〇二年の秋、銅鑼灣の本屋で出遇った王家衛と一緒のこの陳以新。彼女にとって映画とはまさに“Movie and Money”の世界であり、彼女の子供の頃の夢がスチュワーデスになることで(『2046』にこの挿話あり)彼女の好きな歌劇が『花様年華』であり、まさに彼女の夢が王家衛の映画のなかの世界に現れている、と。一読してなるほど、と納得。結局、王家衛の映画とは王家衛の独創的な世界なのではなく、王家衛にとってなくてはならぬゴッドマザー的存在の妻でありプロヂューサーの陳以新が、彼女の世界を王家衛五里霧中のなかで賢明に撮影し映像にしている世界。「これでいい?」と絶えず彼女に尋ねていれば、あの脚本もなく撮影現場で次々と変わる演出も理解可か。すべて推測ながら、この映画評といふより王家衛の背景なるものを読むと、佐藤忠男の「香港人の不安と痛み」といふ映画評が非常に胡散臭く思えてならず。
王家衛監督の名作『2046』につき待ってました!と映画評論の大御所佐藤忠男先生の映画評朝日に掲載される。「香港人の不安と痛み映し出す」といふ題に「そうだったのか……」とそれを映画から読み取れぬ余の感性の乏しさ恨むばかり。スター集めた恋愛映画は外見でこの映画は「香港文化の輝きとはいったいなんなのか、これからどうなるのかと真剣に自問しているような厳しさ」を内に秘めた作品と佐藤先生。この映画からそれを読み取ろうとせば余は「香港映画の輝きとはすでに過去のものであり、これからダメになる」としか思えぬほどの駄作と思ったが佐藤先生はこの2046が香港の97年からの五十年不変の約束が終わる年であることを挙げて「いわばこの数字は、香港が近年享受してきた自由と繁栄がどんなに頼りない条件のうえに成り立っているかを象徴するもの」であり「この映画のストーリーの進行する時代が本土では文化大革命が進行中の1960年代であることも重要」で「香港人の心のヒリヒリするような痛い処を恋物語に映し出している力作である」と。ガチョーン! この映画評読んでの衝撃は昨年十月の中嶋嶺雄先生による台湾香港民主化に関する大見解(昨年十月十九日日剰参照あれ)に続くヒットなり。梁朝偉演じるわけのわからぬ女たらしの三流ライターの自堕落なる生活とそのライターが書く2046年の未来小説のどこに香港人の不安と痛みが描かれていようか。香港のこの一国二制度と登β小平の五十年不変の制度も佐藤先生に「どんなに頼りない条件のうえ」かと指摘されると復す言葉もないが先生のおっしゃる「香港人の心のヒリヒリするところ」が何なのか映画評ではまったくわからず。まぁ強いていえばこの梁朝偉演じる三流物書きが香港人を象徴しており、それほど頼りない条件で危なっかしく生活している、といふことなのだろうか。毎年香港国際映画祭で尊顔をお見かけする映画評論の大御所ゆへ実際には映画について何も語らず勝手に香港のことなど評すこの姿勢は残念極まりなし。
▼South China Morning Post紙の報道で昨日余も言及せしFar Eastern Economic Review誌が経済週刊誌の体裁を止め月刊の経済論評誌に模様替えを決定と知る。香港で58年の歴史ある評価高き経済誌ながらアジア通貨危機以降定期購読減りダウジョーンズ社傘下となるがインターネットでの政経情報の影響などあり六年間赤字経営。余もこの雑誌の質の高き特集記事や文化欄の充実などあり八十年代後半に東京に住まいし頃から二、三年前まで定期購読。かつての表紙レイアウトなど実にセンスもよく壁に貼れば芸術作品の如し。月刊論評誌ではこれまで以上に存続厳しきことは想像に易く事実上の廃刊か。
▼シナの民間伝承には興味深きもの多し。子どもの尿滋養に好しと飲む者あれば老虎の尿も風濕(リウマチ)の防止に効あり整腸に好しと飲む人あり。重慶野生動物園の管理員ふと思いつき四十頭有する虎の陰茎に安全套(コンドーム)被せ虎の尿液をば摂取しこれを売る商案。専門家は動物の尿に毒菌多くけして飲まぬよう警告発す。
▼京屋文化勲章授賞決まる。

富柏村サイト http://www.fookpaktsuen.com/