富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

農歴八月十五日。中秋。老父母のもとに先週末に慌てて月餅送るが届いたかどうか。電話するが実家不在。昨年も中秋の観月にパーカー山へとご一緒せしU女史と今晩も複び中秋の月愛でようかといふ話となりH氏夫妻誘い晩にShau Kei Wanの地下鉄站に待ち合わせ。石澳へと向かふバスは長蛇の列にてタクシー雇い石澳土地湾へ到る。土地湾のバス停より龍背へと上る。中秋の晩とて一昨晩と同じく人一人居らず。東方の海上に満月上がり眼下に石澳の浜辺に集ふ者どもの蝋燭だの灯籠の明かり揺れる。浜に遊ぶ若者らの歓声龍背の山上にまで聞こゆる。月を愛でつつ持参のポケット瓶にてジャックダニエル一飲。土地湾に下りバスで亦たShau Kei Wanに戻る。擦れ違う石澳行きの増発バスに中秋の月をば弁明に浜辺にて初秋の一夜楽しまむと十代の若者ら満載。不純交遊か狂った果実だのと老いた人眉蹙めるは易しきところ奈良平安の昔とて初秋の月夜の晩に月明かり他依りにに遊ぶは若者の性かと合点。越華會海鮮小館に食す。烏賊の揚げ物、清炒西蘭花扁桃でからめた蝦子丸と一昨晩至極の油葱走地鶏など。地鶏食し終わっても大量の油葱残り、これで炒飯など即席で作ればかなり美味と思い残った油葱包んでもらふ。地下鉄站自宅まで漫ろ歩く。団地の広場には中秋の宴会あり。屋台など並び舞台上では近所の若者がブレイクダンスなど興じる。集合団地裏の小徑にも子供づれの若い家族が提灯たずさえ中秋の月見をば楽しみ近所の子供らもこの日とばかりに遅くまで遊技場のジャングルジムなどに遊ぶ。子供多きこの賑やかな節句の光景に心温まるものあり。日本にはすでにこうした団聚も珍しくなりぬ。帰宅せば実家の母より月餅届いたと伝言あり。慣れぬ漢詩にて今宵の月を詠む。
観月明亮在龍背  Kan yue ming liang Zai lung bei
南方之夜交酌盃  Nan fong zhi ye Jiao zhuo bei
回憶故郷歎月光  Hui yi ku xiang tan yue kwong
酔酒涕零首下垂  Zui jiu ti ling Shou xia shui
▼市街疾走する恐怖のミニバス(といっても最近は寧ろ大型二階建てバスこそ高性能で爆走しこちらのほうがよっぽど怖いが)は基本的にバスが個人所有であり、そもそもミニバスの誕生は六七年のスターフェリーの運賃値上げに発端あり文化大革命の影響もあり反英暴動となり市街の公共交通、バス運行が麻痺状態。そこでトラックの荷台に乗客のせて搬ぶ白タク?が登場。バス運行正常化の頃にはすでにライトバンなどで私営のミニバスがすっかり庶民の足となっており渋渋当時の香港政庁が認めたのがミニバス。但し政府が路線認可する緑ミニバスと放任状態の赤ミニバスがあり。緑ミニバスは路線もバス停も決まっており八達通(オクトパス)利用も可。赤ミニバスは運賃も天候や節句など需要の相場次第で、八達通使用できぬのもいまだに個人営業のため。とはいへ香港島であれば東行き赤ミニが乗客満載でも銅鑼湾でわざわざ糖街に入るのは此処が謂わば関所で「その筋」に通行料収めるため通行回数把握がこの場所ゆへ。説明長くなったが余が気になるは余の自宅近所で緑ミニバスに乗り車扉に書かれたバス所有者の住所と名前を見るにつけ、決まって九龍湾だかの「馬亜木」といふ人の名前。始めは偶然に「ああ、また運転手は馬さんか」と思ったが、頻繁に馬亜木さんに当たって、よくよく見るとダッシュボードの運転手証には別の名前。「なるほど、さては馬亜木さんはミニバス所有して、それを各運転手に又貸しか、九龍湾の団地だかが車庫住所になってはいるが、けっこう地味に稼いでいるな」と程度に推測の域を出ず。それがこの馬亜木といふ名前知って十年も経て今日の蘋果日報の財経欄見て驚いたのは「小巴大王3.5億買4舗位」といふ記事。六百輌のミニバス有するミニバス大王の馬亜木氏はミニバスの収益で不動産投資続け不動産資産がHK$20億だそうな。毎日のように見る、ミニバスの車扉の下に土泥で汚れたバス所有者の名前がこの億万長者であったとは。

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