富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

九月十七日(金)朝、絶好の快晴。午後に曇る。養和病院の歯科にて李医師の執刀にて歯茎の種痘の切除手術といふほど大それたことではないが看護婦二人がすでに打合せで理解しているのだろうがテキパキと用意する道具が通常の歯科治療といふより手術っぽくゾッとするばかり。実際にかなり麻酔注射して歯茎切開し差し歯の根茎の腐った部分取り除き更に差し歯のネジ釘をば截断し新しい歯茎の芯となるべき金属差し歯茎代用の物質をば注入し歯茎を糸縫まで。目を瞑っていても李医師のその執刀の見事さ、機敏さは明らか。そりゃ町医者よか費用も嵩むが歯茎内部の治療でこれに不具合あらば次は大変なことになると思えば信頼おける名医にかかるは一理ありなどと思っている間に終了。切開から糸縫までで一時間余かかり麻酔で痛みはなかろうが疲労はないか、目眩いはせぬかと労られるが口腔内に違和感ある程度。いずれにせよ鎮痛剤と抗生物質の服薬で酒も飲めず切開部分からの出血避けるため過度の運動も避けねばならず悶々とするばかり。FCCでペリエ飲みこの日剰綴り新聞読み。Z嬢とIFCの映画館にてPedro Almodovar監督の“La mala educacion”観る。スペインの全寮制の学校の同級生二人に神父の絡む物語だが筋立てややこしくしすぎ後半はその説明に終わってしてしまふ難あり。劇中劇を余は好まず。映画といへば『小城之春』の田壯壯監督が棋士呉清源氏の半生描く『呉清源』なる作品の撮影中と知る。呉清源役は台湾の張震を起用。何か派手好きな張震にどこまで演じられるか多少疑問もあり。かといって李康生ならカルト映画になってしまふか。さすがに麻酔切れると縫ったあとが痛みでないが疼き体力消耗も甚だし。歯茎の中に異物感もまだあり。帰宅して甘蕉だのプロティンだの流動食食し服薬して早々に臥牀。
▼香港の一人の娘がデンマーク出身の香港駐在のビジネスマンと出会い恋におちるがそのデンマーク人はデンマーク王室の皇太子。九五年に二人は結ばれ香港娘はデンマーク皇太子妃に、といふ現代のお伽話あり。ただ香港娘とはいっても九龍牛池湾の坪石邨の公共団地に住まい長沙湾にある貨物輸送の会社のOL、父親は九龍湾の茶餐庁の給仕、母親は坪石邨の惠康超級市場でパート勤務、三歳年下の妹は勉強好きで香港大学で政治行政専攻、一番下の弟は中学出てから旺角界隈でふらふらとチンピラ気取り、なら生っ粋の土着の香港娘ながら(←陶傑氏風の表現)彼女は父親が中英混血で母親も泰西の生まれ。香港らしいといへば香港らしい「混血」であるが、その皇太子夫妻が離婚、と今日の蘋果日報は「董建華23条立法暫定再考慮」だのKCRとMTRの合併統合問題でもなく、この離婚報道一面トップ(写真)。どうでもいいニュースだがふと気になったのはこの皇太子妃の紹介で父の中英混血はいいが母親は「墺太利波蘭の混血」と紹介。オーストリアポーランドといふ国家は確かに別モノだしそれぞれ歴史もあろうが国境はチェコ挟んでわずか200キロしか離れておらずポーランドポーランドだとしてもオーストリアといふ人種混成の国家にあって母親のオーストリア人である片親の出自などわからず。欧州中部の近代国家の国籍異なるだけで「混血」といふのだろうか。同じ200キロでも熊本と松山のほうが豊予海峡でよっぽど隔てられるような気がするが。我々の常識はわずか百年、二百年の時間で物事を理解してしまふ誤謬あり。
▼ブラジル訪問中の首相小泉三世、十二年ぶりにブラジルに移民の従兄弟と再会果し、サンパウロでの日系人による熱烈歓迎にブラジル日本移民史料館での演説時で感極まり激動得流男兒涙(←こういった漢文のこの響きのよさが日本語に訳せず)。小泉三世、日頃日本では我々の如き「かくあるべき理想像から甚だ墜落した国民」にばかり接し不満落胆多きところ遠きブラジルの彼の地で懸命に活きる日系人に日本人の気概かくあるべきと感無量か。首相の気持ち察すれば心痛きほどにその心中感じ入るばかり。
▼築地のH君より。H君の知人(在日二世)が米国より帰国し成田からタクシーに乗れば運転手が外国の話始め道々延々と「向こうの連中はタチが悪いからねえ」とチョーセンジンの悪口を聞かされた、と。商売が在日のあくどい手口に騙されて会社をのっとられ、そもそも連中は性格がねじけて悪質、奴らのおかげで日本は住みにくくなった……と。H君の知人はあえて在日とは明かさず「運転手さん、しかし日本人でも悪い奴はいるでしょうが」と返すと「いやいや、向こうの連中は、なんていうの?戦争のこととかで日本人に恨みもってるでしょ、だから日本人を騙したりするのは全然平気なんですよ。同じ人間なら、あんなひどいことはしませんよ」と言われたそうな。運転手氏は自分からトランクの荷物を玄関まで運んでくれるような善良な市民、その「屈託のない」差別意識(そして裏返しの罪悪感?)。毎日タクシーで客と接していても「お客さん、ひょっとしてあちらの人?」と確認してみることすら思い当たらぬ、ようするに韓国人とか中国人というのは、自分とはまったく別世界の住人で、身の回りにごく普通に生活してるなてことが思いも寄らなぬか。余が朝鮮人なるもの初めて意識に記憶あるは六、七歳の頃か余の近くで毎日顔合わす普段はとても優しき大人が糞尿の汲取りで市が依託のバキュームカーでの作業員に何か注文があり話し戻ってくると「あれぇは朝鮮人でまともに日本語も話せねぇんだよ、これがぁ」と笑ってその日本語のマネをせしこと。この余には優しき人がなぜこんな酷さあるかと鮮烈な記憶あり。

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