富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

八月廿六日(木)臺灣から福建省襲つた颱風は急に左旋囘し香港へと向かふ。颱風警報1號發令ながら幸ひに勢ひも失せて雨空。こゝ數日の氣温低下に夏風邪ひく。この毎年のことながらこの處暑の頃に外の暑さと室内の極寒の温度差の由。それでも輕くジムに寄り歸宅。文藝春秋九月號に石原愼太郎の「特攻と日本人……ある見事な青春群像」といふ文章(談話)あり。特攻隊に散つた若者らへの鎭魂で、結局は畏くも天皇陛下靖國神社參拜を切に願ふもの。特攻隊で死んだ彼らが「今の日本のあり樣を見たらどう思ふだらうか」と石原は述べるが、そりや「今は平和で幸せでほんたうにいゝことだ」と素直に思ふであらう。陛下の參拜が實現すれば石原は「その一瞬にこの日本で大きなものがはつきりと變はるに違ひないと思ふのですが」と談話結ぶが、その大きなものがはつきりと變はることを我々は危惧する。文藝春秋はなにも石原のこの談話讀むためでなくモブノリオの『介護入門』讀みたかつたのだが風邪であたま朦朧として讀めず。
▼久が原のT君が當然かもしれないが二村定一のCD所有と。子どもの頃に神田小唄だの浪花小唄だの諳んじて歌ふT君は中學生時分から定一が好きな歌手だと。『御濱御殿綱豐卿』は梅玉襲名で先代の仁左衞門の新井勘解由(白石)は今月は三十代の橋之助(自ら落涙の熱演だとか)でT君歳月の流れを感じざるを得ずと。で『勸進帳』は昭和六十年の現・團十郎の襲名五月公演での六代目歌右衞門の義經。餘は當時仙臺に住まひ赤貧の身とても上京して團十郎襲名など見れもせず。さすがのT君も「大檀那ともあらう御方が今さら何で立役を…」と千穐樂近くまで見に行かず、が大成駒の義經は花道七三での決まりで「青嵐吹き落ちるが如き氣迫と形の良さ。「判官御手を」ト絶妙な手順で中啓を持ち替へて辨慶にゐざり寄る緊張と氣品」にT君心服し千秋樂まで通ひ詰めたと。ちなみに先代の松緑が富樫、長唄は芳村五郎治。

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