富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

八月廿五日(水)銀行にて今後の貯蓄などにつき所謂財テクの指南受ける。低金利だからこそ盲目的に定期預金になどしておかず、かといって投機に走らず元金保障型のファンドに確実に運用すべき等々。早晩にジム。FCCに旧知のG氏招きG氏お連れになったH氏と鼎談。H氏が二村定一ご存知で話盛り上がる。藤原義江のレコオドはCDでも入手に易いが定一となるとなかなか入手困難と。在外選挙の話題となり地方区で海外選挙区作られるか最低でも海外の政党別得票数の公開があれば面白いのではないか。その場合、組織票強い公明党がトップ、それに自主的な投票で民主が続き「ここはひとつ宜しく」が通じぬ自民が第三党か。帰宅して平成十年正月の浅草公会堂での「三之助」による勧進帳あらためてビデオで見る。新之助の初役の弁慶について先日読んだ新之助論も関容子の本でもこの弁慶で当日朝までの新之助成田屋の家での緊張感多く語られ元旦の晩に家を飛び出し深夜徘徊して公園で夜を明かし自宅に戻り父・團十郎に詫びを入れ一睡もせず弁慶に挑んだといふその緊張感がどれくらいのものかと改めて映像見入る。若干廿二歳の若者が浅草とはいへ弁慶の大役に挑み、新之助なりに役に成りきった舞台。それにしても菊之助義経が(余にはどうしても菊之助の祖父・梅幸義経がトラウマの如く昔から脳裏に焼き付いてしまっているのだが)もっと画面に映されてほしかったもの。
▼久が原の畏友T君「江戸川乱歩先生と大衆の20世紀展」にて乱歩先生旧居幻影城訪れる。T君曰く「肝腎の書庫土藏は入口のみ公開、内部は硝子張にて入る能はず」「辛うじて一階書架の藏書背文字のみ瞥見」すれば「歴史文學など人文系統中心の藏書なるは當然として、濫讀の氣味こそ多少はあれ、亂歩先生御在世當時の富裕なる讀書人にしてみれば至極當たり前の書目ばかり目に付き」「少なくとも一階部分には」「特異なる蒐書癖の痕さまで殘らず、少々意外の感に打たれ候」と。「二階部分は非公開なれども、此處は和本中心の格納所と聽き候儘、現に「手品本六種」など亂歩先生自筆の覺え書き認められたる箱包紙の類ちらりと見えて」「一見して思ひ候に、幻影城と御大層なる名にて呼ばるれど、一萬册の藏書とて「仕事」をする人にとりてはごく當たり前の分量」「どの程度熟讀せられしか、否熟讀せられずとも如何に自らの仕事に活かされしかを慮れば足ることにして、文人にとりて書物は唯のコレクションならず、必需の實用品なりてふ至極當たり前のことに心付かされ候」と。T君の「蒐書の當人生きて蒐書に絶えず氣を配る間は書架に常に知の出入りありて藏書も生動し、死して新たに入る本なくば書架上停滯し藏書は死物」「畏敬すべきは亂歩先生の人間なり仕事なり、埃を被りたる死書の山にては是なく候」といふ感想に肯定くばかり。余は乱歩先生のこの幻影城をばどうせ見せ物にするのなら、書蔵に先生垂涎の愛でるオブジェとしての人まで匿ってみせてもいいかもと想像。T君その足で午後は思ひ立ちて神宮外苑なる聖徳記念繪畫館に杖を曵く。「國會議事堂上野の博物館などゝ同じ大正から戰前の石造建築特有の墓所に似たる陰鬱なる外觀のみ著名に候ひて、内部に帝國全盛期の和洋畫家による明治天皇一代を表す繪畫幾多藏せらるゝを知らざる都民多く」「大帝の前半生は日本畫、後半生は西洋畫にて描かれ候が、當時のレベルを反映し候て壓倒的に日本畫諸作の筆力高く」「中に大嘗宮描きたる前田青邨の畫風洵に瑞々しく、蒼古たる畫題筆致の他作の中に一異彩を放ち、鏑木清方謹寫せる昭憲皇太后詠鴈の圖、一見綺麗事に似たれど寫眞そのまゝの面貌から人格性格自ずと光り出でゝ、諸家の及ばぬ肖像畫家の眼を感じ取り得て」明治帝の「御生誕から御葬送までの畫面を追ふに、一面たりとも手拔きたる作品なく、それぞれの畫家乾坤一擲の氣迫畫面に溢れ、それと相俟つて自ずと明治大帝の生涯目の當たりに泛ぶは好惡を越ゆるべき壯觀、こは明治を生きたる明治人の、幻想と言ふにはあまりに確固たる時代幻想の姿と察し」「思へば歴史なるものは常に幻想にして、その幻想を如何に享受し今を生きるか以外に歴史の價値は是なく候べし。妖しげに演出せられたる展觀場に並びあまたの人の好奇の目に曝されし讀み捨ての死書の山より、見物人も疎らなれども一時代を生きたる畫人渾身の力により確固たる幻想を描き留めたる古繪畫のはうが、餘程「今」を考へしむる光彩を放ち居り候」との感。神宮外苑、かつての権太原といってもお若い方はご存知なかろうが余も十六歳の夏だかにふと思ふところあり暑い夏の午後この界隈探索せば全くといっていいほど人の気配もなきこの絵画館に入り冷え冷えとした館内にて明治帝の姿眺めたこと彷彿。
▼築地のH君より寒村の生家は遊郭の仕出し屋だったらしいとメールあり。もともと粋筋の人がアナーキスト。啄木がテロリストの哀歌をうたい賢治が天空飛んでしまっていた時代。過去に憧れても仕方ないが憧れる。ところでH君より歌舞伎好きといわれる小泉三世に「実は歌舞伎をあんまりよく知らない疑惑」が浮上、と(笑)。夏休み満喫の小泉三世歌舞伎座で芝居見物し「忠臣蔵は、いつもみてもいいね」と相変わらず「ワンフレーズ」の感想を述べたそうだが今月の歌舞伎座忠臣蔵忠臣蔵でも真山青果作『元禄忠臣蔵』「御濱御殿の場」。この芝居を総理はほんとうに「いつみても感動する」くらいたびたび見てるのだろうか、とH君。渡辺保先生の「歌舞伎手帖」によると御濱御殿の場は「このシリーズの中でもっとも上演回数の多い人気狂言」とあるが近年はそれほどかかる芝居ではなくH君も見ておらず。ちなみに前回の上演は平成十四年五月の京都南座、その前が歌舞伎座で十三年八月。ここで小泉三世が見ていたかどうかが問題(笑)。この月の三世の動静をば朝日新聞勤務の知人に問い合わせ「首相動静」で確認してもらったが(笑)この夏は三世ご自身の靖国参拝でかなり身辺慌ただしく夏休みは1週間ずっと箱根にひっこみ歌舞伎座で芝居見物の記録見あたらず。だが歌舞伎見物あったとしてもこの8月は勘九郎野田秀樹演出の「研辰」であろう、きっと。ちなみに保先生によると「御濱御殿」の場は「男の意気事、熱情、至誠、そしてハラのさぐり合い、ついには絶体絶命の状況があらわれるまで、二人の言葉が熱狂を生む。真山青果の傑作」で、この全段の「男の意気事、熱情」というあたりは確かに三世好みかもしれぬが「二人の言葉が熱狂を生む」というのは、よりにもよって首相にもっとも縁遠い世界ではないか(笑)、とH君。なにしろ「言葉の力」をまったく顧みない人であり、さらにまた熱狂を生むような対話というのを徹頭徹尾避けている。御意。

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