富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

台湾一周の旅8日目 台北に還る

八月十四日(土)晴。朝風呂に浴し九時半過ぎにホテルの自動車にて花蓮の市街に下る。今回はタイヤル族舞踊の若衆らの同乗なし。車に同乗の女客一人を花蓮の空港に降ろして花蓮市街の古い日本家屋残る裏道走り花蓮站。站前広場に昔の鉄道車両蒸気機関車から客車、貨物車まで保存されし一角あり嘗ての鉄道少年は血が騒ぎ早速見学(写真)。客車は勝手に車内に入れる開放ぶり。一輌は戦前の花蓮〜台南間の夜汽車用にと車輌半分に寝台設けた珍しき車輌で扉開けて這入れば猛暑に蒸した車輌に思い切り小便の悪臭漂い確かに便所ではあるが使用禁止のその場所に小便の跡あり。それでも寝台車見学と車内に入ろうとせば寝台に悪臭放つ小汚い浮浪者の先客あり睡眠中。先客起こしては失礼と退散。花蓮の站も台東と同じく市街郊外の新駅舎で町歩きも興味なく列車の待ち時間に待合室で新聞読めば昨日が原住のアミ族節句で豊収祷る祭り日だそうで花蓮でも各地でアミ族の祝い事あり。記事の写真見れば祭事に当たる別当役の男らの衣装が昨日ホテルで見た「タイヤル族の」若衆らの衣装と全く同じ(笑)。花蓮の平地はアミ族多く太魯閣は山岳にてタイヤル族のはずで何かホテルでの催事の説明に間違いもあろうが文化人類学のフィールドワークでもなければ所詮、観光として「原住民の踊り」であらばタイヤル族だろうがアミ族だろうが珍しければ好し、か。もう一つ記事に中国の「多毛男」の近況あり。ご記憶であろうか?、十数年前まで『女性自身』だの『週刊女性』だのテレビの不思議発見番組に屡屡登場の中国の多毛児君。可愛らしき男童が顔から腕から全身毛だらけで全住民の踊りと同じく奇異な「まなざし」受けていた少年。その男ももう二十六歳だそうな。持病の手術受け経過良好で依然、全身「先祖返り」の毛だらけ、だそうな。なぜこの記事に注目かといへば余は二十年ほど前に中国は北朝鮮国境の黄緑江河口の都市・丹東にて偶然にこの少年見かけたが故。その夏、余は旧満州の東北三省を西は満州里より北は黒龍江省の大興安玲山脈、東は北朝鮮国境の山・長白山に登り向こう岸は北朝鮮といふカルデラ湖・天池にまで遊び、この天池まで輿に乗って登る老女あり誰かと思えば故・周恩来首相夫人の登β穎超女史。で長白山より下り瀋陽よりどうせなら、と丹東まで足を運んだ次第。この丹東の唯一の観光といへば黄緑江の遊覧船に乗り北朝鮮側の都市・新義州をば船上から眺め朝鮮戦争にて米軍により爆破されし橋の跡を眺めること。新義州は中国より丸見えのため北朝鮮政府もかなりインフラ整備に力入れていたそうで、観光船が近づくと川辺で遊ぶ幼き子供ら、皆、白いシャツに紅色のネッカチーフ、胸に当然の偉大なる領袖の尊顔バッチ、が船に向かい手を振る様。川沿いの建物も正面から見ると五、六階建てだがガイドの説明通り横から見ると実は対中国側ばかり高く建てた謂わば見せかけの建物と納得。……とこの遊覧船以外に小さな丹東の町ですることもなく当時、外国人の宿泊が唯一許されし丹東賓館なる宿、ただここも当時の余には予算オーバーで「そんなカネがない」と強調せば当時ののんびりとした中国、「仕方ないな、安い部屋か……」と特別に用意してくれたのが賓館の敷地内に点在するコテージ式の建物の入り口の服務員部屋宛われる。その棟の担当服務員は笑顔で自らの荷物どかして「私はとなり棟の部屋にいるからね」と。貧乏旅行とはいへ流石に余は恐縮するばかり。感謝。ちゃんと個室にベットあればバックパッカーの余には十分で感謝感謝。で投宿しても何もすることもなく門番のような部屋ゆえ窓からは建物入り口がよく眺められぼんやる外を眺めておればそのコテージ前を歩いているのが、その多毛児(……とここで話が戻る)。当時はかなり日本のマスコミに紹介されし児童ゆへ何か目の錯覚かと思えば確かに多毛児。ホテル従業員に筆談にて尋ねれば丹東にて医学学会だかありそれに招かれたとか。その晩も何もすることなく部屋でぼんやりと携帯ラジオにてラジオ日本の放送など聞いておれば(御巣鷹山での日航機墜落の夏なり)「日本人?、暇だったら酒、飲みませんか?」といきなり同世代の日本人の若者二人。聞けば、丹東に小さな発電所建設あり発動機だかの取付けに従事の派遣員らしく、珍しく日本人の旅行者などが来て服務員部屋に寝泊まりと聞き、と誘われる。招きに参上せばこの若者の上司の部屋での鄙びた酒盛り。上司は、こんなところまでよく一人で旅行するねぇ、と感心の呆れ顔。多毛児の話するが彼ら一向に信じず。……閑話休題。駅舎内のセブンイレブンにて今回全く切符とれず断念の阿里山登山鉄道名物の奮起湖弁当購い(名前だけの大量生産だが)花蓮を午前十一時半過ぎに発つ急行呂光号に乗る。古い客車の急行とはいへ日本の列車でいへば特急のグリーン車に遜色なく、寧ろシートピッチなどこの客車が勝るほど(写真)。今朝、太魯閣にては快晴が山下れば曇り空。太魯閣の山にかかるどんよりとした雲。花蓮を出て七、八分で太魯閣渓谷から流れ出ずる立霧渓の河口。左を見れば太魯閣、右は河口(写真)。列車の行く手には断崖絶壁とはまさにこれのこと、海に面した「清水断崖」眺める。鉄道は残念ながらこの絶壁のなかを刳り貫いた隧道を走り絶壁の奇景眺められず。隧道出た和仁站からまた海沿いの景色が南澳まで。此処から烏石鼻岬の七、八キロに及ぶ長き隧道で、出ると冷泉で有名な蘇澳。一昨日に高雄過ぎてから台東、花蓮と鉄道はかなりの難所越えて見事な景色娯しませ、さぞやこの難工事と思ったが、戦前の日本の鉄道建設は台湾西岸こそ開通していたものの、難所多き東岸は台北からこの蘇澳まで、そして花蓮から台東までが部分開業。蘇澳から花蓮のまさにこの難所と、南は台東以南が大武〜枋山間の山越えは未開通で戦後ようやく台湾一周の鉄道路完成。ところで戦前の未完は当時の日本の、鉄道の技術力なら丹那隧道建設や箱根の山越えなどありけして難題ではなかろう。寧ろ昭和に入ってからの恐慌だの、そして何より戦争体制への突入が鉄鋼をば要すこの鉄道建設など大局から見れば急を要せず未完とさせたのではないかと想像。蘇澳より列車は平地を走り宜蘭。宜蘭は福建省からの客家人の入植が昔盛んだった古い町。複び沿岸に出れば海には亀山島眺め、大里まで一見して素人目にも白亜紀であるとかかなり古代からの岩場と思われる沿岸の岩場続く。海水浴場で有名な福隆は土曜日で海岸線の自動車道路は渋滞。ふと気づけば丘陵にいくつも点在する墓場の多くが海とは反対の西向き。通常であれば福隆の集落と海を見下ろすべきでさらに高い西の山眺める墓場かなり奇妙。ふと思うは福隆といふ地名も「いかにも」だが福建人多き場所にて墓墳の向きは確かに山と台湾海峡の向こうの故郷・福建か、と思えば道理あり。この福隆よりいくつもの站に停車。列車ダイヤの乱れあり遅れるはいいが納得いかぬは特急列車優先にて本来は我らの急行が先に台北に着くはずが一時間半ほどの遅れで後続の特急列車三本に抜かれる始末。だがどの站のホームに停まっても駅前には古い家屋残る町並み。時間が止まった如し。かなり昔に廃された製炭工場(写真)。侯孝賢監督の映画『非情的城市』の撮影された「九イ分」も沿線の瑞芳站よりバスで入るそうな。この九イ分、かなりレトロ観光で賑わい週末となると台北方面からかなりの集客あり確かに瑞芳站はかなりの混雑。台北まであと半時間ほどながら列車の行く手には驟雨か暗雲立ち込める。車中、江戸川乱歩の文庫本読み、『黄金仮面』など明智とルパンの対決に、これを読んだ小学生の頃思い出しつつ楽しめたが『白髪鬼』となると乱歩らしい猟奇趣味あり沿線の三、四十年前の如き風景と遽に曇った黒雲の空があまりに乱歩的世界。読了。台北市街に入る頃に大雨。幸い松山站に下車の頃に一瞬雨止み駅前のタクシーに飛び乗りグランドハイアット台北に投宿。だがタクシー下りれば呼鈴ボーイもバックパッカー二人の登場に宿泊客と思いもせず相手にされず(笑)。フロントロビー通り越してそのままリュック背負って二十二階のGrand Clubフロアのレセプションに上がって宿泊手続き。部屋で荷物整理して外出前にこのGrand Clubのラウンジにて黄昏時の三鞭酒やhors d’oeuvreのおふるまいあり雨に烟る台北の市街眺めつつ三鞭酒にてZ嬢と旅の終わりに乾杯。ラウンジに日本の新聞揃い何が一番の興味かといえば読売巨人軍渡邉恒雄君の辞任。朝日は一面トップ(笑)。読売もさすがに一面左肩に。ドラフトでの金銭譲渡が発端とか。それにしても新オーナーが滝鼻卓「雄」巨人軍社長で、その社長後任が桃井「恒」夫とナベツネの亡霊か。いずれにせよ形式的な引退に他ならず今後も渡邉上皇院政続くと思えば暗澹たる思い。朝日の取材に巨人軍の上原選手「コメントのしようがありません」、高橋選手「ノーコメントにしておいてください」と、選手もネベツネの顔色伺いは歌舞伎役者の松竹・永山帝の場合と同じく忸怩たるものあり。雨のなか歩いて「頂好」の繁華街。途中、ホテル近くの台北市役所前に若い娘ら雨のなか群衆し何かと思えば今晩が台北流行音楽節とだかで開演前の行列。市役所の正面玄関前に巨きな特設ステージ設けて(写真)主催の台北政府もなかなか大したもの。日本から藤木直人とかいふ芸人ら参加とか。Z嬢の「もう一度、あの担仔麺」といふ願い叶え頂好の度小月に食す。台南の度小月の出店ながら台南の店と違い「洗練されて小奇麗」(写真)。頂好にはかなり日本人に名の知られた和昌茶荘といふ茶葉問屋あり。Z嬢十数年前に台湾人の知人からこの店の茶を頂く。この和昌茶荘に寄り茶を何杯か頂き茶談義。茶葉と小ぶりの急須購ふ。MRTに搭り「西門」の繁華街。市内に何軒か支店ある薔薇色の看板目印のRose Record西門店に立ち寄る。白先勇原作の『薜子』昨年テレビドラマ化され好評にてVCD発売。第一話より六十分物の全二十枚組のこれ一套購入。近くの阿宗麺線にて立ち食い。二十年前はけして清潔とはいえず、がすっかり今様に驚く(写真)。隣の「麺線持ち込みお断り」の張り紙ある北平一條龍餃子館にて餃子食す。MRTにて市政府站まで戻れば二更に流行音楽節まだ続く模様。舞台裏手抜けてホテルに戻りフィットネスクラブのサウナに浴す。曽秀萍の白先勇論続けて読む。

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