富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

台湾一周の旅9日目 台北より香港に還る

八月十五日(日)快晴。終戦記念日。ふと十年ほど前に台北にて龍山寺参拝の折、寺社境内にて日本帝国陸軍の軍服着こなし軍剣翳し日章旗を手に日本語で台湾政治の腐敗など訴える台湾人の老兵に出交したこと思い出す。もう他界されたか、終戦記念日にはそういった旧帝国軍隊の台湾兵らまだ龍山寺であるとかどこぞに集うのか。Grand Clubのフロアラウンジにて早朝にゆっくりと朝食。新聞何紙か目を通す。中國時報台北市長・馬英九君の八月十五日記念の論説あり。日本による台湾の植民地化の歴史について語り東アジアの平和の希求や日本政府の歴史の真摯なる反思をば主張。馬市長の主張で興味深き点はこの歴史のなかで台湾の少数民族が過酷な日々を送ったことについての言及。1910年に日本の台湾総督府(佐久間総督)は軍を用いて台南より花蓮にかけての山中にて五年に渡る大規模な蕃族の征伐を実施、これにより約1万人が殺害されるが当時のこの地域の少数民族の八分の一に該当。その征伐は残虐なるもので集落焼き払い抵抗する者は斬首といふ手段で殺害。この四半世紀後に霧社事件。そして高砂義勇軍としての南方での戦死。この少数民族が日本統治時代に受けた悲劇。九八年(余の記憶不確か)のこの八月十五日に当時の義勇軍の生存者が二二八記念公園に集い対日本政府に義勇軍兵士の靖国祭祀や賠償金について抗議の声を上げ日本にて訴訟起し日本政府もこの台湾の声に呼応する動き見せたことに言及し、少数民族の悲劇乗り越えるこの強い意志をば讃える。この佐久間総督が佐久間神社の名前の由来か。台湾の「人食い人種の首狩り族」たる蛮族の理蕃化政策に加担の日本軍が彼らを斬首ではどちらが野蛮か答えは明白。プールに泳ぐ。二二八記念公園(新公園)の二二八記念館見学。この記念館の建物はかつての台北放送局(JFAK)。此処から福建語、広東語などで日本帝国政府の政策宣伝された場所。史実展示は戦前の日本統治時代から始る。台湾住民の皇民化。日本語普及のための「国語家庭の認定」など(昭和十八年)。日本の敗戦。国民党の台湾上陸。戦後のインフレ。1947年2月28日。台北市圓環そばの天馬茶房近く。ヤミ烟草販売摘発に端を発したこの悲劇。この出来事で抗議行った者ばかりか台湾独立運動やリベラル主義の知識人、法曹界、マスコミ記者など多くが命失い反共主義白色テロの時代へと。被害者の詳しい経歴だの見るにつけ戦後の台湾をば本来建設してゆく筈のかなりの数の若者がこの事件から五十年代前半にかけての白色テロにて殺害されたことを改めて知る。展示はその後の台湾の民主化についてもかなり充実。六十年代からの反蒋、台湾独立運動での運動家殺害や民主化デモ、焼身自殺での政府への抗議。美麗島事件では裁判の被告席に現・副相当の呂女史あり。この裁判での被告弁護団に若き民主派弁護士・陳水扁あり。民主化ののちついに九十八年に正式に台湾政府としての二二八事件への謝罪と追悼に至る道筋を見事に展示。公園散歩して台北站近くのアウトドアショップ並ぶ一角から国父記念館。孫文が来台の折に宿泊せし日本人経営の「梅屋敷」なる日本家屋が修復現存され座敷にて史料展示。ここより中山路歩く際に台北站の線路が地下に潜る以前、地上に幾筋もの線路走りここに大きな陸橋あったことなど思い出す。林田桶店(写真)にて檜板の風呂の腰掛け購ふ。かつては日本のどの町にもあった手作りの桶屋。日本でなく台北に健在とは。ご主人、日曜で桶づくりの道具などもきれいに片づいたままでBSにてNHKのど自慢を楽しそうに見ている。この界隈、古い店何軒かからこの「のど自慢」の音が流れ出て、覗いてみれば老主人がテレビ鑑賞。台湾料理の老舗「青葉」にて生蠣のお好み焼き、潤餅(福建風春巻)、芋粥食す。日曜日の昼前にかなりの混雑。客層はいかにも台北の「昔からこの店を贔屓」といった家族連れが祖父からちょっと小生意気な孫まででブランチ気分。日本橋の「たいめいけん」だの香港のかつての益新飯店の雰囲気。かつての台北の銀座通り中山北路も頂好や信義路など市東部の新興繁華街に押されかなり閑散。リージェントホテル向かいの旧米国大使館官邸改造の「台北之家」に誠品書店の出店あり映画、都市史などの書籍、VCDなど充実。蔡明亮監督の『不見』のVCD探すが李康生の『不散』はあっても『不見』なし。戦前からの建築物や古道散歩といった書籍眺める。閑散も中山路より南京西路に入るとMRT中山站のあたりはファッションビルなど賑わいあり。其処を風呂の腰掛けもった奇妙なオヤジ歩いているのだから周囲の視線に余の気分は尼ヶ崎駅前。ここから台北現代美術館(旧台北市役所)(写真)など眺めつつ裏通りを台北站まで炎天下を散歩。風呂の腰掛けもってホテルに戻るとやはり周囲の視線あり。荷造り済ませ午後三時にチェックアウト。出かける気も今更おきずラウンジにて珈琲一服し読書。ホテル前より空港バスに乗る直前に「世界一高い」Taipei101(写真)の超高層ビルの地下でかき氷をば食す(写真)。それにしても誰の設計だろうか正直言ってダサい。中国の頂上に「玉」いただく超高層ビルもダサいが、この、へんに中華意識した意匠散見されるのも上海と違った意味でダサい。午後五時の空港バスは更に市内4つのホテルまわり渋滞で市内出るのに一時間要す。六時半に空港着。午後八時前のCX451便に搭乗。今年一月成田からの戻りで余がわざわざ台北経由選んだのがこの便。エコノミー席の場合キャセイパシフィック航空ではB747-400は旧態依然。同じ香港?台北でも台北からの機内食は本当に美味。香港に到着。市街に戻るAirport Expressの閑散とせし車内にて携帯電話でゲーム音うるさい若者あり。このブースに乗客はこのゲームキチガイと余とZ嬢、それに西洋人一人の計四人。余りの非常識に注意すると「携帯で音出してゲームしていけないって法律でもあるのか?」などと反論される。こんなことで殺されてもおかしくない時代。「法律で禁止されてるとかされてないじゃなくて常識の問題でしょう。法律で禁止されていなかったら何をしてもいいってワケじゃない」と言うと、答えずにゲーム続行。だが多少音小さくして緊張に手が震えているのが可愛いいが。青衣站でその若者降りる際に「香港は何処だってうるさいのだ。ゲームやったってぜんぜん迷惑じゃない」と捨て台詞。香港が騒音ひどいのは事実だが、この車内は静寂にて場所を弁えろと言いたいところ。だがよくよく考えれば携帯にてゲームすること楽しみ若者より、問題は携帯電話にゲーム機能などつけて商品価値高めてみせた経済社会の悪か。香港站よりタクシーで帰宅せば香港の空港に着陸して飛行機降りてからちょうど一時間で帰宅。なんと便利この上なき香港かとあらためて感動。

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