富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

台湾一周の旅5日目 台東から魯鹿温泉

八月十一日(水)連日早起。台南站。站の待合室にあれば小旅行だろうかの老男女一見して数十年の友とわかるが集れば口々に「おはよう」と日本語で挨拶始まり会話は台湾語ながら言葉の節々に日本語の単語混じり。そのうち一人の老紳士がZ嬢に「大きなリュックだね、日本人?」と話しかけられ、聞けば仲間で温泉旅行とか。流暢な上に「ボクはね……」と言葉に品あり。廿年前ならよく見受けたこの老人らの日本語会話も今では七十越えた彼らですら恐らく戦前の国民学校の最期の世代。日本の台湾占領の過去ももはや彼らの世代が最期。午前六時三十七分発の急行呂光号に乗車。台南から高雄経て台東迄向ふ一日数本のうち最も早く発つ便。高雄までの西部幹線電化されているものの高雄より台東に向ふ東部線が単線の非電化区のためディーゼル機関車が先頭(機関車と発電車の二両)と険しき山線あるがため後尾にも一台機関車加わる編成。この旅程にてこの区間のみかなり端折る部分にて台東まで一気に四時間弱、台湾南部を大きく走る。高雄から台湾島南端まで四重渓温泉、塑丁の岬までも旅したきところ其処まで周遊するととても日数足りず今回は断念。高雄より屏東すぎるあたり迄は台湾の西部平地らしい郊外の沿線風景続く。それが坊寮を過ぎて突然山間の長き隧道潜ると右手に青き海景広がる。ここから坊山まで右手には自動車道路一筋走るだけで眼下に波打寄せる海、左手に丘陵といふ、日本でいへば五所川原から能代まで五能線と似た絶景。ただし南国、照りつける太陽と紺碧の台湾海峡の海。その風景に手許の本に目を落すも忘れ見入っていると列車は左に大きく曲りながら長い長い隧道に入り此処からがディーゼル機関車奮発の山線。先程までの海の景色が嘘の如き山間で遠くに馬羅寺山(1471米)望み隧道の連続からよくぞ大正期だかにこの鉄路建設したものの驚くばかり。台湾島一周の鉄路網建設もあったが何より重要は木材運搬。沿線にはすでに廃站となった木材積込みの站いくつか。この山線がちょうど前述の塑丁の半島の付け根縦断にて列車は急な勾配降り始め台湾東岸へと至り大武より復た右手に海(写真)、左手に今度は丘陵どころか遠くに南大武山(2841米)、北大武山(3092米)から霧頭山(2736米)とアルプスの如き連峰眺める山岳を仰ぐ。想像し給へ。信州松本を出た北へと向う列車が左手に北アルプスの連峰を眺め目を右に転じると其処に広大な太平洋の広がる様を。台湾鉄路のまさに最高の絶景此処にあり。列車は一時間余これを走り午前十時半に台東に至る。台東は市街の旧線廃止し市郊外の新站。タクシーにて旧市街。今日は台東より更に魯鹿の渓谷に至るがこの渓谷に至るバス路線は日に僅か二本のみ。バスの始発站と時間確認し市内の台湾銀行にて両替。まさに真上から照りつける強烈な太陽と肌じりじりと灼く暑さ。汗も乾き塩ふくほど。十分ほど歩くも辛いが台湾一の見事さ誇る台東天后宮参拝(写真)。中正路の北平半畝園にて牛肉刀削麺と同じ刀削麺の涼麺食す(写真)。素朴な美味。さらに餃子所望し福建路の老大衆餃子館なる店に入るが餃子二人で十五個のみの注文に「それでお昼が足りるの?」と店の女将怪訝な表情。まさかすでに刀削麺食してとは思いもよらず、か(笑)。午後一時のバスに乗車。台東を出て北上は沿海をとらず内陸に走る鉄道に沿って関山まで。わずか三十キロを一時間有に要するは国道から幾度も旧道に入り山間の林間道など走るがため。日本統治時代に架けた古い橋の石門だの監獄のあとなどバスの車窓より眺める。関山よりバスは魯鹿の渓谷に介る。この道は台湾南部をこの関山から西側の玉井を経て台南に横貫する二百キロ余りの道路にて途中の天池より桃源までは海抜二千八百米ほどまで登る一大絶景。当然、この旅でも台南からこの横貫道路で台湾山脈越える予定も立てたものの雨期の崖崩れなどで不通になること多く実は今回も海抜2772米の大関山隧道付近で不通で復旧の見込みなし。渓谷の丘陵をば削岩して道が数十米下の渓流眺めつつバスは一時間ほどかけて関山から二十キロほど山間の魯鹿温泉に到着。バスのはこの先の利稲で折返し。乗客は我ら含め僅か五名のみ。天龍飯店に投宿。空は曇り雨となる。魯鹿温泉といっても更に奥に青年活動中心が2つと小さなロッジあるばかりで温泉旅館は谷あいのこの旅館一つ。旅館は渓谷につかまるように建ち旅館傍らに渓谷に渡る吊橋あり(写真)。驟雨あり、その過ぎるを待ち小雨のなか吊橋渡る。眼下には吊橋の渡し板の隙間より六、七十米下の渓流見え足は竦み冷汗。吊橋の上から渓谷の上流、そして谷下と眺めれば雨上がりつつ空も明るくなり霧が立ちこめ見事な景色(写真)。向ふ岸に渡れば苔生した岩肌に石板嵌め込まれ何かと読めばここに橋かけた日本人十数名の名前あり(写真)。十数名と更に三十余名の警察官参加とあり傍らの案内板読めば布農(ブヌン)族が日本人警官をば殺猟の相手としたために布農族征する日本側の動きあり、この橋もその警備道建設のためと識る。小雨あがり道路沿い散歩。旅館向いの小店の狗二匹が我らの道案内。宿に戻り読書。小雨のなか渓谷沿いの露天風呂。渓谷の鬱葱と茂る緑、霧が流れ何ともいえぬ風情。熱った肌に小雨の冷たさが実に心地よし。網野善彦『無縁・公界・樂』読了。この本、この旅館の喫茶室の書棚に残す。食堂に晩餐せば泊り客は我らの他二組のみ。麦酒注文せば「置いてない」と。旅館など宿泊客の飲代こそ高収益と思っていたが。持込み可とのことで向いの小店に走る。この店との共存策なのか。食後、旅館の案内にスタルケルの弟子のDavid Darlingなるチェロ奏者この霧鹿の地訪れ地元の布農族と音楽交流した“Wulu Bunun Tribe”なる記録VCDの上映希望あれば、とありテレビも僅か一局しか映らぬし此処まで来てテレビ看る気もせぬは当然、ホテルのロビーにてこのVCD小一時間の記録片を看る。この布農族には最低で八人要す八部合唱あり狩猟だの神への畏敬だの豊饒祈り彼らの音曲は音階などといふ規律超越したまさに和声そのもの。Darlingそれに畏怖の念もち懸命にチェロ奏でるが布農族の者にとってチェロの旋律がどうしても不安定で(音階に填められた音が彼らにとっては調和攪す)Darlingかなり布農族の音団より得たものあっても布農族にとっては紅毛の楽士が来ただけで其処から何も得られずの感あり。旅館の者に訪ねればこの記録片に出てくる布農族の住む集落、小学校に二、三十人の児童あり(魯鹿国民小学校)、はさらにこの山の奥だそうで(利稲から大関山隧道手前の向陽、亜口のあたりか)下界から遠く離れたこの山間にその文化集団あることに驚くばかり。三更に復た露天風呂。雨あがり夜空に満天の星。
網野善彦『無縁・公界・樂』について。日本の歴史学震撼させた、と記憶に残る名著。今読むと、中世までにおける日本列島社会の自由な遊民の存在だの、けして驚くほどのことなくなっているのは、つまりはこの本が1978年に上梓され、当時は劇的ですらあったこの史観、今では定説の如く理解されてしまっている証左。中世から近世にかけて大きな変化は「無縁」が社会の自由の大切なファクターであったものが「無縁」はネガティブな意味に変質し、自由な社会空間である公界が苦界となり、樂が織田豊臣の時代に権力によって取込まれ骨抜きにされたこと(信長の楽市楽座などまるでポジティブな改革のようにとられるが楽市楽座は信長がつくったものではなく市も座も本来「楽」であったものが制度かされる)。網野氏は子供の遊びの「エンガチョ」から説き起こす。エンガチョ=無縁、追手から逃れられるアジール(避難所)の存在。文楽(文学)・芸能・美術・宗教など人の魂ゆるがす文化はみなこの「無縁」の場に生れ「無縁」の人々によって担われたこと。考えてみれば、たとえば「不法」といふ言葉も今ではネガティブな罪となるが「不法」とておそらくは法の要らぬ世界。法といふと仏語(ぶつご)の影響にて真理=法(のり)ととらえられ、それに反くが不法だが、法がなくとも調和とれた世界が無縁の地、公界。無法とて同じ。無法地帯は悪ではなく無法でもよき社会。網野氏は最期に曰く
日本の人民生活に真に根ざした「無縁」の思想、「有主」の世界を克服し、吸収しつくしてやまぬ「無所有」の思想は、失うべきものは「有主」の鉄鎖しかもたない、現代の「無縁」の人々によって、そこから必ず想像されるであろう。
こうして考えるとまさに現代とは、東京などの都市などそういった「無縁」の場所のようでいて、実は監視カメラからインターネットの利用まで徹底的に管理され、官憲は自宅だろうが何処までも権力を有し人を拘束し、法や規則からの逸脱が許されず……と「無縁」の場所が徹底して排除されているのが現代社会ではなかろうか。網野氏の上述の言葉から探れば、例えばその「無縁」を求めたのは「中島らも」とかであろう。また、この「無縁」でふと中上健次の「路地」を思い出労働に勤しみつつも賭けに酒に歌舞音曲に優れ、蔑視された路地の人々。「無縁」の世界。そういった意味では今晩看たこの霧鹿とて布農族の人々にとってはこの豊かな自然のなかで自らの文化社会にて「無法不法」であった空間に日本の官憲が支配に挑み社会が解体されようとしたこと。
アジールについては網野氏はアフリカのアジールの形態を紹介している。アジールとなる場所は、1)王や族長など特定の人間の身体に触れた罪人には手を触れられない(だからこそ殿様などには下々の者が勝手に手を触れぬようにしていたのは、その殿様が高貴だから、という意味づくりだけでなく、手を触れられるとその者にアドバンテージを与えてしまふことの防禦だろうか)、2)家屋(敷地内は他の者の侵入を防ぐ)、3)長なる者の屋敷、4)族長や王の墓場(だから立入り禁止とされている)、5)特定の聖なる部落や都市、6)寺院、神殿、7)聖なる樹木、8)森、の8つ。

富柏村サイト http://www.fookpaktsuen.com/