富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

台湾一周の旅3日目 霧社から魯山温泉

八月九日(月)朝早く目覚めれば朝霧に埔里の市街囲む山々に薄切り立ちこめ涼風も心地よし。九時過ぎの巴士で山間に走れば渓谷のあちこちに地崩れあり渓谷の川は橋流され土砂に流木といふには大きな木々、川沿いの住宅は半倒壊、または軒まで土砂に埋り一ヶ月前の記録的大雨の被害無惨。小一時間で霧社に至る。幼き頃に台湾の話となると祖父母に霧社事件の話聞かされ野蛮な土族の残虐なる日本人殺害と。あとで歴史学べば昭和五年、日本の台湾統治も三十五年、蕃人と呼ばれた土着民相手の警察主導の「理蕃」統治も完成が宣われた頃、十月二十七日の朝、地元民モーナルーダオ率いる蜂起部隊次々と各地の警察派出所襲い警察官と家族殺害し武器奪い、この霧社の日本人学校の運動会の場に向い君が代の調べ風琴で奏でられると、それを合図に運動場に雪崩れ込みこの霧社の日本人入植者227名中134名が殺害される。霧社事件。事件重くみた台湾総督府は軍隊投入して反乱軍征伐に挑み五十日余で鎮圧し蜂起軍の死者160名、自殺140名、400名に及ぶ行方不明。その後地元民の「帰順」で後に太平洋戦争において高砂義勇軍として戦地に送られ日本のために勇敢に戦ったといふ。当時の日本が台湾全土を統治したとはいへ今でも整備された道路を自動車で入っても台中から二時間余もかかるこの高度千米の山岳地帯にて此処まで警察統治徹底した当時の政治装置。いまの霧社のこの集落の人口と同じほどの数の日本人入植者が此処にまで入ったとは驚くばかり。なぜ台湾統治から三十五年も経た昭和五年になって日本がその「理蕃」の政策も安定と思った頃にこの反乱蜂起が起きたのか。昭和五年といふ日本が明らかに軍国主義化する時代であり、日本の台湾統治政策にも明らかに皇国化といふそれまでの植民政策とは明らかに異なる「事業」が始ること。台湾においても強引な皇民化政策あり。その象徴たる装置としての教育、日本人学校、運動会、君が代といふ余りに象徴的な空間に向けての蜂起……。考えさせられること多し。蜂起軍記念碑とモーナルーダオの墓地(写真)参拝。その裏手の渓谷見渡す崖に当時の日本人学校の跡地あり今は託児所。日本人墓地は荒れ果てていると聞いていたが場所を訪ねれば新しい建物あり。一見トマソン建築の残る階段(写真)は日本人墓地であったのであろうか。戦前の霧社神社は徳龍宮といふ道教の寺と化す。角を出しての嘗ての鳥居(写真)。塗装されたが崩れかかった石灯籠(写真)。道教の派手な寺も土台見れば石組みが神社の趾(写真)。山間の碧湖を眺める。涼風心地よし。なぜかこの「霧社」といふ地名とその霧社でおきた高砂族の話が子どもながらに耳に残り数十年を経て今日此処に至る。また十五年ほど前に余が東都にあった頃、広尾の広尾橋より天現寺に抜ける明治通りの裏町、渋谷川に近き場所に「和亭」といふ小料理屋あり、ここの気風よき女将さんが台湾の生れにて父親が霧社で警察だったといふ話を聞いたこともまた思い出す。次のバスまで一時間半ほどあり集落の街道沿いの食堂に入り麦酒に喉潤し昼には多少早いがリュック預っていてもらった祝儀もあり米粉と青菜炒め注文せば山間のこの地で採れた青菜のこれのまた美味なること。昼のバスで二十分ほど更に山間に走り魯山温泉。土産物屋の並ぶまさに温泉街の路地を入り吊橋(写真)渡ると魯山の温泉宿街(写真)。天盧大飯店に投宿。部屋は広くQueen Sizeのベットが二つあっても尚まだ板の間がベット四つ余り。とうぜん冷房などなくとも涼風が部屋に流れ入る。午後まだ陽も高きうちから露天風呂。風呂高低温打たせ湯から半身浴、日本風の岩風呂まで各種あり夕方まで余とZ嬢以外誰も入らず閑静。唯一の不便は男女混浴で水着着用はまだ良いが政府規則にて水泳帽被らされること。異様。ハインラインの『月は無慈悲な夜の女王』ようやく読了。月の植民地がMicroftと名付けられた月植民地の一切合切取仕切る電脳の活躍により地球連邦より独立する物語。主人公に語りかけるこの電脳が最初の丁寧な口調からだんだんと友達のように語り口調変えるを矢野徹の和訳が実に好し。物語は月の人々が地球連邦による支配望まず地球からの独立と自治を求めたようでいて実はこの電脳マイクこそが優れた能力ゆへに自立願いそれが為に月に住む人を扇動したが事実か。結局、この月社会はマイクといふこの電脳が陰で帝王として君臨す。ただマイクが唯一できぬことは喜怒哀楽の感情擁くこと。自ら笑い話を作ってもどれが可笑しいかわからず人にどれが面白いかの判断を願わねばならず。選ばれた面白い話を分析して更に面白い話作れても更に面白がられぬ不幸。ハインラインの強調は人こそその喜怒哀楽の感情有するといふこと。この早川の文庫本。実に廿三年前に購いようやくの読了。旅の文庫本ゆへこの宿に残してゆくつもり。捨てられるのか誰かに読まれるのか。夕方少し寝て温泉街を散歩。屋台で水蜜桃購ふ。歩きながら頬張るとまさに蜜の如き果汁と柔らかな果肉。温泉宿から川の上流へと勧めば狭い渓谷の崖下の遊歩道の先にさらに古い温泉宿の趾あり。すでに廃墟と化し唯一一軒の料理屋のみ(写真)元ヒッピーの如き主人が業む。風情あり。宿屋の晩飯も地元の野菜美味。二更にまた露天風呂に浴す。この宿も昨晩に続き部屋の電話はモデムもなき直線にてインターネットつながらず。山間の閑静なる温泉にあってはそれでよいか。年に数日くらいメール読まぬ日もあり。日記の更新できぬことのみ多少焦り。それどころか部屋の電源すら少なくこうして日記綴るも冷蔵庫のコンセント抜いて而もテーブルより遠いため板の間に寝ころんでの記述。ずいぶん昔のサントリーのCMにサントリーオールドの小瓶の宣伝だったか若者が鄙びた温泉宿にて畳に寝ころんでオールド飲みながら漱石の『こころ』読む筋あり。それを髣髴。網野善彦『無縁・公界・樂』少し読む。

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