富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

七月初二(金)薄曇。朝起きてまず朝日新聞眺める。昨年の七月二日に香港の前日のデモの写真掲げ「50万人デモ 香港大荒れ」と書いた過去あり。今年はわりと無難な記事(こちら)だがデモの写真が市民のデモ行進でなく「女長毛」と名高い活動家・雷玉蓮女史であったことはご愛敬か。晩にジム。一時間鍛錬。今日こそは、と灣仔のマレー料理Sabah訪れれば席ありガドガドとアッサムラクサ食す。美味。疲労感甚だしく帰宅しても何も手につかず。霞かかる満月を愛でる。深夜に驟雨あり風強し。
新華社通信が昨日のデモについて記事あり(こちら)。「1日下午、香港部分市民在港島游行。游行期間、有89条巴士線路和23条専線小巴被迫改道」(1日午後香港の一部の市民が香港島で行進。行進の間、89路線のバスと23路線のミニバスが路線変更を余儀なくされた)と。この部分が今日のSCMP紙に大きく取上げられ、確かにここだけ読めば事実の過小報道であるし、バスの路線変更を(事実にしても)記事の冒頭の段落に書くのが「何でもいいからネガティブな部分を!」と涙含まし記述(笑)。だがこの記事をよく読めば新華社が、本来なら市民が返還7周年を祝賀(こちら)とか「一国二制度は確実に定着し外国勢力による香港の政治的不安定の強調は遺憾」(こちら)といった報道ばかりで当然なのが、どうであれデモに言及したこと(董建華の談話を用いてだが)、これだけでも中国政府にしては立派。
▼鹿児島の川辺町が熱い。河辺町役場の掲示板が、である。仏壇が特産といふ田舎の閑かな町で掲示板も「河辺町でバトミントンが習えますか?」といふ質問に役場の生涯教育課が答えるようなのんびりとした掲示板が6月30日より教育勅語論争の舞台と化す。川辺町教育委員会が小中学生のいる家庭などに配布した名文集の冊子に「教育勅語」が全文掲載。町教委が冊子回収し失敬にも教育勅語削除して再配布。朝日によると(こちら)「冊子は子どもたちの間で日本語の使い方が乱れていることから、美しさに触れてもらおうと初めて作った」と聞くからに斎藤孝様の『声に出して読みたい日本語』の薩摩版だか出典は「和歌、漢詩文、現代文、英文など」にわたるといふのだから発想ぢたいは興味深し。だが問題は「明治以降の漢詩がなく」教育勅語を用いたこと。それを採用の編集委員は「今の時代にも感じられる道徳的な部分があると思った」のはさすが薩摩は明治の日本を作ったんでごわす、町長も教育勅語について「配布前に掲載に気づいたが、そのまま配布を認め」たんも立派。問題は県教委で「5月初めまでに入手したが、掲載には気づかなかった」といふのは冊子読んでないから(笑)。さまざまな問題孕むが教育勅語が戦前の皇国主義の象徴であるとか、立派な道徳的価値観が書かれているのだから今こそ復活すべき、といった議論以前に、この教育勅語が果して「美しい日本語」に値するかどうか。実はこの明治期になぜ教育勅語が出されたかといへば(明治神宮の説明によれば)当時「我が国伝統の倫理道徳に関する教育が軽視される情勢にあり」「このような実情を深く憂慮された明治天皇は、徳育の振興が最も大切であるとされ、わが国の教育方針を明らかにするため」教育勅語渙発されたのであり「戦後に教育勅語が排除された結果、我が国の倫理道徳観は著しく低下し、極端な個人主義が横溢し、教育現場はもとより、地域社会、家庭においても深刻な問題が多発」しており「今こそ、私たちは教育勅語の精神を再認識し、道義の国日本再生のために、精進努力しなければなりません」なのだから、まさに時代は明治帝の憂慮されたのと今日同じ状況にあるといふわけか。……とこれは人それぞれどう考えるかは別として、問題は明治神宮教育勅語を「勅語には、日本人が祖先から受け継いできた豊かな感性と美徳が表され、人が生きていくべき上で心がけるべき徳目が簡潔に述べられていました」としているが、その美しい日本の心がこの教育勅語にあるのかどうか。「朕惟フニ我カ皇祖皇宗國ヲ肇ムルコト宏遠ニ」で始る勅語は「徳ヲ樹ツルコト深厚ナリ我カ臣民克ク忠ニ克ク孝ニ億兆心ヲ一ニシテ」あたりまで儒家の如き漢意で「世世厥ノ美ヲ濟セルハ此レ我ガ國軆ノ精華ニシテ教育ノ淵源亦實ニ此ニ存ス」あたりが儒教から近代への橋渡しとなり(つまり近代国家にとって国民の教育が最も大切であること)ここからが「爾臣民父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ恭儉己レヲ持シ」とまた儒家っぽいフレーズのあと、ここからが本当にきれいな日本語なのか?余は疑問だが「博愛衆ニ及ホシ學ヲ修メ業ヲ習ヒ以テ智能ヲ啓發シ徳器ヲ成就シ進テ公益ヲ廣ノ世務ヲ開キ」と福澤諭吉先生か西周先生かいきなり明治の日本語のオンパレード、で、それじゃ近代主義的な人権に及ぶかといへばさに非ず「常ニ國憲ヲ重ジ國法ニ遵ヒ一旦緩急アレハ義勇公ニ奉ジ以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」と教育が実は国家の軍の礎になることが暴露され最後は「是ノ如キハ獨リ朕カ忠良ノ臣民タルノミナラズ又以テ爾祖先ノ遺風ヲ顕彰スルニ足ラン斯ノ道ハ實ニ我カ皇祖皇宗ノ遺訓ニシテ子孫臣民ノ倶ニ遵守スヘキ所之ヲ古今ニ通シテ謬ラス之ヲ中外ニ施シテ悖ラス朕爾臣民ト倶ニ挙挙服膺シテ咸其徳ヲ一ニセンコトヲ庶幾フ」とここが左翼が最も厭がる天皇主義で結ばれる、のが教育勅語。つまり教育勅語とは明治の時代にふさわしく実は八百万瑞穂の国の昔からに儒家思想から近代の西洋思想、国防から天皇崇拝までとにかくごちゃまぜ、確かに文体は漢文、文語体だがこれを明治の漢文として紹介するならば「美しい日本語」であるよか「これくらい明治になって漢文も伝統から乖離しているのです」と紹介すべきほど。成島柳北荷風散人では役場の作る読本には向かぬか。政治家なら副島種臣の漢文でも明治でよかろう筈。「君が代」にしてもそうなのだが「君が代」だの教育勅語を賛美する派と否定する派が実際の歌や勅語の言葉の問題にあらず主義主張で大切だの大切じゃないと争ふが、実は「きぃいみぃいがぁああよぉおおわぁああ」と日本語の音の美しさも無視して西洋の音符に意味もわからず乗せてしまった醜悪さと同じで教育勅語も思想のデパートの如く和洋中華ごちゃまぜで、これが君が代といい教育勅語といい実に明治的といへば明治らしいが、それらが日本の伝統でもなんでもない、といふことを改めて考えるべき。話を川辺町に戻せば、日本語の言葉の乱れが著しいから、美しさをわかってもらうために、という意図では、実は教育勅語も明治の日本語の乱れの産物であることを知っておらぬゆへの誤謬と言えようか。

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