富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

六月廿二日(火)端午節。休日だといふのに昨晩二時過ぎに寐ても朝六時に目覚める老境の性。無理に二度寝してしまい今度は九時まで目覚めず疲れあり。昼前に裏山を駈走。薄曇りながらさすがに三十度越えれば裏山のジョギングトレイルまで上るのに難儀せど先週の駈走から体重2kg落しておりさすがに身体は軽く膝の負担もなし。ここ数日の驟雨に石清水も豊に流れ何度か火照った身体を清水にて冷せば何ともいへぬ涼感。寶馬山近くよりQuarry Bayに下りジムに寄り帰宅。午後、母に請われし漢方の生薬購ひに佐敦の裕華百貨店。かつて文革だの大陸が閉ざされし時代ならまだしも今では深センだの内地にていくらでも廉価で揃ふ国内品、内地からの客も国貨商店など見向きもせず香港各地の中国国貨も旗艦店たる中環、銅鑼灣の二軒廃業し今ではこの裕華を残すのみ。一つ残った裕華の一人贏ちの様子。佐敦の裏通り、久々に麦文記に雲呑麺でも食すかと思えば珍しく連休で隣家の澳門牛乳プリンも休み。端午節で職人、奉公人に暇やる風習も今ではこのような小さな老舗ばかりなり。九龍公園抜ければ水泳場に長蛇の列。とても待って入場する気にもなれず。尖沙咀の某會所に逃げる。會所にて弁護士で馬主でもある旧知のM氏と、今日は端午節ゆえに香港各地ではドラゴンボートの競走あり海岸の車の渋滞も甚だしかろう、とても出かける気になれず、と話せば、この端午節の日に水に入れば幸運齎すとそれ故にプールとていつもの休日以上の混み様と気がつき、九龍公園のプールであの長蛇の列見て瞬間に気づかぬとは余も鈍感。FCCのバーにてハインラインの『月は無慈悲な夜の女王』少し読みZ嬢来てアイリッシュスチューとクラブサンドイッチで軽く夕食済ませ19時半より同所にて上映の英国チャンネル4にて97年に放映されし香港返還の記録映画番組見る。先週火曜日から日に二本、計三回の上映。本日は九六年下期と九七年上期の二本。それぞれ五十分ほどの作品。僅か七年前のことながら変換前の董建華の精悍ぶり、北京中央の返還への自信、何より興味深きは北京中央により組織されし御用政党民建聯の程介南、曾玉成の当時の態度の勇ましさ。程介南は自らの醜聞にて議員辞職し曾玉成は親中派中学培僑中学の校長職を辞め政治に専念する過程をカメラ克明に写すが所詮、曾玉成の自らの力量でも何でもなく北京のご所望により祭り上げられただけの共狗、で昨年の区議選大敗で責任とっての党首辞任。北京中央の意のままにわんわんと吠えてはみせたが中央の07年行政長官、08年立法会での普通選挙実施否決で民建聯など香港に存在しても御用政党であるばかり何ら得もなきこと市民に見透かされたこの七年。まさかあの「黙っていても安泰」なはずの御用政党がここまで地に墜ち民主派が直接選挙区で圧勝する現実を思えば香港の政治空間など日本などに比べまだまだ真っ当と感じ入る。
▼久が原の朗然亭T君もやはり昨日余の読みし平出鏗二郎『東京風俗志』での歌舞伎舞台での「左右」は鳥渡解せず、と。その儘読めば舞台から客席に向い左右とする以外になく著者の勘違い、誤植やも知れぬが初版から再版が続き今更筑摩学芸文庫にまでなって誰か気がつきそうなものだが。T君に教示いただくは「囃子部屋を舞台の上手より下手へ移したるは事實、それに從ひ幕澑まりも上手へ移り、幕引きの左右が逆轉せしが現今の制」だが「天保四年初演「道行旅路花聟」幕切に勘平にあしらはれ鷺坂伴内が幕を引く滑稽の振事あり」「これは花道にゐるお輕勘平に對して伴内の下手より上手へ移動せざるべからず、據つて今の世にもこの一幕に限りては古法に任せ幕澑まりを下手へ取り候」とお軽勘平の道行での逸話知る。またT君曰く囃子部屋舞台上手より下手への移設は確かに「上手棧敷客に喧騒迷惑云々も確かにある」だろうが「花道にて役者の所作しどころに關聯」もあり上手を上席とするのも「神を祀りたる舞臺を南面とせば上手は東、下手は西とて、古來の席次にも相應」とT君。ところでZ嬢に聞いて笑ったがZ嬢が十年近く前に某公共団体主催のエアロビクスといふと聞えもいいがオバチャンらの体操クラスで指導者が動き教えるのに「しょんしょんわんわんしょんわんわん、さいわんほーほーさいわんほー、しょんさいしょんさいしょんしょんさい」と指導者が稽古つけるのに生徒と対峙せば左右逆になるを右左を用いず、この「しょんさい、しょんさい」用い誰も疑問なくこれに応じており何かと思えば「上環上環上環環、西湾河河西湾河、上西上西上上西」で要するに九龍から見ると右手が上環、左手が西湾河で右左だと指導者と生徒で左右逆になり説明も面倒なため、このどの向きであろうがこの上環vs西湾河の普遍制をば用いていた、と(笑)。なかなか興味深き事例なり。
▼歌舞伎の話に戻れば久が原のT君より今月の歌舞伎座の「吃又」での雀右衛門の好演ぶり。この芝居、T君曰く彼自身が「GHQ高級將校ならば媾和條約締結後も99ヵ年に亙つて上演禁止にしたであらう」(笑)といふほど嫌いだが(余も同感)、今月の京屋・雀右衞門の女房お徳は畢生の名演とT君。成駒屋の大旦那が実は生涯一度も勤めざりしこの役とT君に教えられ「さもありなむ」と合点に易しところ「雀右衞門が懸け得る熱意、思ひ半ばに過ぐべし」とT君。又平の「親もない、子もない」との述懷に、思はず俯き我が腹を押さふる石女の孤獨、一心凝つて筆が指から離れずなりし夫の手を「えらいこつちや」とつぶやきつゝ泣きながらさすつてやる母のやうなる情愛、只々不具者の夫が可愛ゆきばかり愚鈍なる女の眞情の美しさを寫すに雀右衞門ほど身に叶ひたる役者はなし。とT君の描写に京屋の舞台の様ありありと脳裏に映る。又平は吉右衛門。芝居上手も今では播磨屋に辣しく接すられもする歌右衛門勘三郎らも他界では。ところで海老蔵助六。T君、助六の黄足袋は踝の出づる淺く伊逹もの「これが宛然、當今青少年の日常用ゐるスニーカーソックスに見ゆるが如し」と。足袋も「ソックス」に見える、これが当世の海老蔵といふものか。
週刊読書人角川春樹氏のインタビューあり。余はかつてこの人に畏怖の念あり。然れど氏の「向日葵や信長の首斬り落す」だの「黒き蝶ゴッホの耳を殺ぎに来る」といふ俳句の余りに戯れ句ぶりに「普通の人か」と安堵。だがやはり覚醒剤でムショの臭い飯喰って出所してきたかと思うとやはり怖い(笑)。
▼朝日の世論調査にて小泉二世の支持率40%で不支持が42%と逆転。本来「小泉支持」とは戦後の自民党政治の悪しき点の改革支持であり本来は外の政党に委ねるべき作業ながら野党にそれが能わず自民党内部から「自民党をぶっ壊す」と号びし小泉二世に国民が乗った故の高い支持。だが結局は漫画「侍ジャイアンツ」の番場蛮投手が巨人軍をぶっ壊すといいつつ結局は反則擬ひの魔球まで使い巨人の栄光に尽力した如く小泉二世も自民党壊すどころか対北朝鮮外交、靖国神社参拝、公明党との連携、個人情報保護に軍事関連法の成立と自民党の課題をばあっけらかんと突破し寧ろ自民党の立直しに尽力。だがさすがに「もうじゅうぶん」の感ありか。最初から危険視されるべきところそれに国民の支持。南無阿弥。北朝鮮拉致被害者の関係者とて同じこと。本来、拉致被害者救出が純粋なる目的のはずが支援者団体の幹部が自民党より参議院選立候補とか拉致家族が東京で立候補とか家族の中には自民党の集票装置の如く選挙応援にまで出て、小泉二世の二度目の訪朝での小泉罵倒に素直に小泉訪朝支持する国民との間にも感情にかなり乖離あること明らかに。当然の結果か。
▼朝日の文化欄に小林信彦参議院選挙前に文章あり。本人曰く「もともとが無思想な商人の息子であり、あらゆる意味で非政治的で孤立していた」と自嘲する小林信彦が政治を語らねばならぬ時代が当世。この人らしい優しき文章ゆへに危機感滲む。いま右傾化といわれれるが思い起せば昭和二十九年の就職試験で憲法改正をどう思うかと当時ですら憲法改正反対と誦えれば就職試験で落される如き空気はありけして自由にものが言える時代ではなかった、と。ただし特高が現れたり非国民といふ罵りはなし。明らかに時代が変ったのは東京オリンピックで日の丸の旗が配られ玄関に立てること強いられもしたが、氏が明らかに時代が変ったと感じたのは八十年代以降。地下鉄サリン事件での一般市民を狙った無差別攻撃と阪神大震災での村山首相の対応の遅れのボケ具合。戦後の日本はここまで来ていたのかといふ再認識。それで小泉二世現れ一瞬、小林信彦という人ですら小泉二世により「薄暗い閉鎖的なトンネルを抜けた、と思った」といふが、これが甘いのだが(結局、何もせずの他力本願)、「まさか、そこから<戦前>のリプライの恐怖が始まるとは思ってもいなかった」と。ただリプライが「戦争を体験していない政治家・官僚が大半なので(略)歪みと滑稽さがあった」が。氏は昭和廿年代後半に当時の大人に「政治など誰がやっても同じ」と言われたが吉田内閣が倒れたことを引合いに出し、今度の参議院選挙に半ばあきらめも含む期待をかける。一読せば良識的な小林信彦の手記である。が、これが日本の非常にリベラルな良識かと思うと、頼りなきもの。
▼昨晩、香港代表する鮑料理の店・阿一鮑魚の富臨飯店にて香港代表する「組」の和勝和と和合圖が合同で会合開き香港警察のO記(有組織罪案及三合會調査科つまり暴力団対策)乗込み両組の幹部計十六名を拘束。聞けば組の合併問題協議、この世界もリストラだの再編成の要あり銀行、企業と何ら変りなし。

富柏村サイト http://www.fookpaktsuen.com/