富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

農歴五月初四。夏至。筑摩学芸文庫にて平出鏗二郎著『東京風俗志』下巻読む。著者は明治二年名古屋に生れ医学校卒業後東京帝国大学に国文学を修め文部省図書課の官吏となり教科書検定に係り小学校の修身教科書の起草委員を務め文部省編修官となる傍ら大学の国文史料編纂に携るが脳神経病み明治四十四年僅か四十二歳にて没す。地方出の官吏でありながら東都の社会風俗の知識に長ける。文部省の当世の役人にこれだけの才覚ある人士あろうかなかろうか。明治の東都の風俗愉しく読むが湯屋を語るに「湯屋は古への柘榴口附の制廢れて一斑温泉風呂の制に傚ひ屋上に湯氣ぬきを裝置するが故に湯氣に蒸せぶの憂なし」と書かれてもその「柘榴口附の制」なるものが何か余には解らず辞書引けば「湯のさめるを防ぐため湯船の正面板戸で深く蔽い身体屈めて湯場の中に入る、銭湯の湯船の入口」のことでならば成る程と合点するがつまり江戸の風呂は「湯気に蒸せぶ」今でいえば蒸風呂の効果もありと識る。この下巻の骨頂は何といっても飲食にて「飯」は春の筍飯、夏の蓮葉飯、秋の栗飯・松茸飯、目黒は筍飯に栗飯、蓮葉飯は上野の不忍と読むだけで垂涎、魚は何といっても松魚(かつを)なのだが、それでも明治のこの頃にはもう「衣典しても啖ふ」つまり着物質入してでも喰らふ、漢詩の柏木如亭曰ク「欲解新衣当新味」の程松魚が美味いといふ喩えもこの時代にはその気勢漸くに衰へる、と。著者は鮪まぐろについて言及せぬはマグロが今日の如く好まれなかったからであり当然。だがこの松魚にかわって人気とりがマグロであることも明白。余はマグロが今日の如く食されるは遠洋漁業だの冷凍マグロの輸入などによるものと信じるが意外と明治のこの頃からのことかも。もともとマグロなど今日の如く刺身に食すほど高級な魚にあらず「漬け」を飯にのせて「かっ喰らふ」程度。今日の高級なる天婦羅や牛鍋が明治の頃には魚を揚げたり肉を煮たりの高尚ならざる料理店、而して鮓屋など平出曰ク「多く道傍に屋台構へて商ふものの外ほとんど料理屋の体をなすもの少なからず」と貶まれたもので、しかも小鰭、細魚、海老に穴子といった魚うおを握るのならまだしもマグロのヅケなど鮓屋でも供さぬ店多し(……とまるで明治を生きた如く語るが余に鮓のことならある程度語らせ給へ)。戦後とて新宿に昭和三十年代までヅケ丼の汚れた屋台あり。まるで鮪の赤身こそ東都の生っ粋の食材の如く思ふ者も多く鮨屋にて鮪の赤身に舌鼓など打つも、実は青森の大間崎沖ででも獲れたマグロが冷蔵され築地に届きでもすれば確かに美味いが、冷蔵もなき時代だの、今日のアフリカだインド洋だの冷凍マグロではヅケでじゅうぶん。マグロをば美味い美味いと刺身にて食すのか余には到底理解できず。東都生れのA氏と先日、北角の寿司・加藤にて寿司談義となればA氏も子供の頃などマグロなど父親も喰わなかった、と。加藤はご主人が青森の人ゆへ美味いマグロご存じだが、そうでもなければズケでいいはず。築地など今でも寿司屋の外にマグロ丼の屋台店あるのは昔の名残り。閑話休題この飲食の外余の浅学痛感せしは葬儀について。明治に青山、谷中に共葬墓地出来た訳はそもそも都下の寺院に墓地あり檀家の葬埋をば扱ったが明治六年に東京市内の墓地での埋葬(つまり土葬)禁じたが但し当時まだ火葬普及せず青山、谷中、浅草橋場町などの官立の共葬墓地及び「旧朱引の外」で千坪以上の面積有し隣地との境界より五間以上を距る墓地で警察の許可を受けた場合のみ土葬認める。この措置は当然、人口増加により土葬による死体腐蝕での伝染病など考慮したもので青山、谷中の墓地に埋葬の際も墓窩の深さ六尺以上と制す徹底ぶり。今でこそ著名人の葬儀多き青山斎場だの谷中といへば明治からの文士の印象ながら実は明治の土葬風習維持のための墓場だったとは「成る程ねぇ」と感じ入る。ところで歌舞伎についての平出氏の記載に一つ解せぬ点あり。久が原の朗然亭T君に尋ねれば直に解ることだろうが、著者曰く歌舞伎座の「土間及び棧敷は東の方を上等とす。もと囃子部屋は左側にありしを右側に移しゝも特に東の方の觀客に對して俳優の口跡の紘歌の音に制されて聞き難きことありしを避けたるなり」と記載あり。客席にて東が上席はわかるがその東側の客がお囃子の鐘や太鼓の音で役者の口跡聞き難きを避けるために(とこれもわかるが)左にあった囃子部屋を右に移し……とここが解せず。「舞台正面に向へば」右の東が上手で左の西が下手。鐘や太鼓の所謂「下座音楽」の囃子小屋は下手にあるはずで上手の客の邪魔にはならず。左から右に移しては明らかに上手の客の迷惑。著者の記述で客席は東、西と綴りつつ舞台は右、左で上手下手を使わず、しかも「舞台正面に向って」といった註もなければ、著者にとっては舞台は舞台に立って客席を見て右、左といふのか、と思えば左(つまり舞台上手)から右(下手)に写したといふこの表現も納得。ちなみに京劇は現在まで鐘に太鼓の音曲は上手(つまり舞台向って右)に位置す。

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