富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

六月十九日(土)快晴。昼前水泳。昼に尖沙咀のジムで一時間余の鍛錬。午後九龍某所に用事あり殺伐とせし郊外住宅地に毎週ウンザリであつたが此処に先週入会のジムありジム施設偵察。薮用済ませ尖沙咀に戻り再びジム。Z嬢と錦城韓国料理にて石焼ビビムバと冷麺。昨日に続き香港文化中心に参り音楽庁にてイヴァン=フィッシャー率いるブダペスト祝祭管弦楽団の演奏会。日本ではすつかり馴染みの楽団ながら香港は余の知るところでは初。匈牙利といへば小林研一郎の匈牙利国立交響楽団であろうが一九八三年にフィッシャー氏の熱意にブタペスト市が乗じ楽団設けて僅か二十年で世界でも評判の楽団に成長し見事なもの。残念は客の入りは七分程、なにせ香港ではブ祝管は知名度低くS席で六百ドル超えては苛しいものあり中途半端な二階正面のA席など全く売れておらず寧ろステージ裏や三階のC席満員にて本当に聴きたい客がこの席に押込まれていると思ふと料金下げて本当に聴きたい客で満席にすることが行政のなすべきことのはず。ラヴェルの円舞曲に始り弦楽器の最初の四小節で「ああ、これは聞きに来てよかった」と安心。何といつても今晩はこの円舞曲に続きシューマンのチェロ協奏曲イ短調でチェロがミッシャ=マイスキーなのであるから拝むほど。余にこの楽団でマイスキーのチェロを語る言葉はなし。ただ音律聴き心地よく過すばかり。マイスキーに万雷の拍手。アンコールで三曲。内二曲は当然の如くバッハの無伴奏チェロ組曲より一番のPreludeを早弾き見せ思わず時計見たら一分十五秒。カザルスが二分半くらいで弾いた筈。ただ早いだけでなくマイスキーのきちんと解釈に基づくのだから見事に曲が活きる。バッハ本人に聞かせたい、とZ嬢。拍手鳴りやまずAllemandeも弾いてマイスキーが舞台降りる。月並な表現だが休憩の間の余韻と興奮。マイスキーは明日から韓国ツアーで明晩にはもう韓国の統營でリサイタル。驚異的なる強靱な精神力なければマイスキーやつてられぬであろう。マイスキー聴けただけで今この時に生きていてよかつた、と感じ入る。休憩にて何人か知己の方にお会いして皆ただ口にするは感嘆のみ。某銀行のK氏などこの値段でこの演奏がこうして聴けるなど東京では考えられぬと、確かにそうであろう。で休憩のあとがベートーベンの交響曲四番。四番である。余もZ嬢も曲のフレーズすら浮ばず知己のA氏も同様と苦笑していたが何故に四番なのか。聴いて納得はまずフィッシャーがかなりこの曲が好きであること、楽団がフィッシャーの手塩に掛けた楽団であるからこそ、弦楽器、とくにバイオリンが奏者全員のチームワークとしてかなり弾き熟せぬとならず、しかも木管はそれぞれの楽器がきちんとソロをとれるだけの実力が求められ、そういう意味では楽団の底力がないと演奏できぬ曲であり、たんにマイナーだからで演奏されぬのではなく、実は田園や運命に比べそんじょそこらの楽団ではとても演奏会には出せぬ曲なのだ、と納得……だが勿論けして面白い曲でないのは確か。だがフィッシャーにとってはこの曲が演奏できるといふのはこの楽団を率いる楽しみの筈……だがそんなこと殆ど誰も理解しておらぬが。いやいや実に満足の演奏会。二十年でこれだけの楽団が育つたなどと聴くと香港でも浅はかなる行政が「香港もブタペスト見習い音楽文化の振興を」などと意気込みそうだがブタペストに土壌がありフィッシャーの言を借りれば石油が埋蔵されているのに誰も気がつかぬからフィッシャーがこの資源を穿つてみせたのがこの楽団。尖沙咀の繁華街、夜十一時の地下鉄に十代の若者らの姿多し。昨日で殆どの中学の今年度終了(とても修了とは言い難し)にて薄汚い若者ら街に放たれるが休み早々にへらへらと夜の街に繰出す輩など顔見れば一見して与太顔ばかり。夏休みなど与えず少しでも勉強させたほうがマシか、とつい新嘉坡の李光耀の如き教育論も一理ありかと思ふ。

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